稲田神社(延書式内社)/茨城県笠間市稲田

20150420

鎮座地:茨城県笠間市稲田763

3月27日の歴史クラブ行事「関八州式内社めぐり」で、夷針神社、染谷・佐志能神社、羽梨山神社、笠間稲荷神社に続いて参拝しました。
私は所用で参加できなかったので、この日の記事は例によって池田さんが撮ってきてくれた写真で記事にしています。

入り口に一の鳥居と社号標があり。
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社号標
式内社 常陸國新治郡 稻田神社、旧県社
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由緒:
 創建は不詳、江戸時代の「稲田姫宮神社縁起」によると、当地に住む邑長武持の家主が稲田好井の水を汲もうとすると、泉の傍らに-人の女が現れた。家主の知らせで、武持が尋ねると「自分は奇稲田姫でこの地の地主神である、わが父母の宮、夫婦の宮を建て、好井の水で稲を作りまつれ」と神託を下した。
 当社の北西300メートルの稲田山中腹には本宮が鎮座するが、祠の左手には巨石が突き出ており、稲田姫が降臨した盤座と伝えられる。当社には、ヤマタノオロチに追われた稲田姫が茶の根こつまずき、松の葉で眼を傷めたと云う伝承から眼病が治るという信仰がある。そのため、境内には茶と松は植えず、氏子の家にも松がなく、門松も立てず茶を絶つという。なお当社の北、八瓶山にはヤマタノオロチが棲んでいたと伝えられる。
鎌倉時代初期、領主の笠間時朝が藤原光俊・泰親ら8人を招いて奉納歌会を催しており、「宇都宮新和歌集」にその歌の記載がある。
室町末期、兵火により社殿を焼失、慶長7年(1602)伊奈忠次が再建、末文8年(1668)藩主の井上正利が除地4石を与えた。元禄7年(1694)に徳川光圀が当社に参詣、古社の衰徴を嘆き縁起等を奉納した。
社殿は弘化2年(1845)に焼失し、嘉永元年(1848)再建された。

ここで注目されるのは「眼を痛めた」という伝説である。関西で多いのが「天目一箇神」、私の住んでいる辺では坂戸に「一目連神社の石碑」がある。いずれも製鉄に関する神で、古代は鉄の温度を肉眼で判断しなければならず、そのため目を傷めてしまうことがこの神が生まれたと言われる。
ヤマタノオロチも、砂鉄で色が付いた暴れ川から生まれたものだと言われる。

参道が真っ直ぐ延びる。
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途中、「稲田尋常高等小学校の校歌」碑があり。
このお宮の祭神を歌いこんでいる。
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石段の途中に社号標があり、石段を上がりきったところに二の鳥居。
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社号標と件指定文化財「四神旗」の表示
四神旗は、徳川光圀が元禄11年(1698)に奉納したもの。
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手水舎
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境内から、足元の村をみる。
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社殿の右に広い広場があり、拝殿、本殿があり、本殿の右に八雲神社があり。
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拝殿
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主祭神:奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
合祀神:布都主神、菅原道真公、大山祇命、大日孁貴命、(おおひるめむちのみこと=天照大御神の別名)

本殿
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神紋は「右三つ巴」と「抱き稲」だが、「抱き稲」は手水舎の水盤で確認できたのみ。
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境内社です。
手摩乳神社(てなづちじんじゃ)、祭神:手摩乳命
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脚摩乳神社(あしなづちじんじゃ)、祭神;脚摩乳命
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八雲神社、本殿の右隣に鎮座
祭神;素養鴫命
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大山祇神社
祭神;大山祇命
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神明社、秋葉神社、稲荷神社と思われる。
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天満宮
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忠魂碑
銃弾の形である。
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ご神木
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

茨城県って、結構、たたら製鉄が行われていたようですね。尾崎前山製鉄遺跡のほか、波崎・鹿島海岸では「浜砂鉄」を使っての製鉄が行われていたようですので、四季歩さんが言われるとおり、目の病の伝承と製鉄が関係あるのかもしれませんね。

それにしても、炎を見ていて目を悪くすると言うのは、おそらく紫外線が出ていると言うことなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、出身が機械工学科だったので、会社でも
必要があって何度か溶接をしました。
その時保護マスクで溶接部分を見ながら
するんですが、時々マスクなしで見てしまったときは、
眼がつぶれたかとおもうほど何もみえなくなりました。
あれを肉眼で見続けることは不可能だと思いました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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