筑波山神社(延喜式内社)/茨城県つくば市

20150428

鎮座地:茨城県つ<ば市筑波1-1

3月27日の歴史クラブ行事「関八州式内社めぐり」で、夷針神社、染谷・佐志能神社、羽梨山神社、笠間稲荷神社、稲田神社、鴨大神御子神主玉神社、大国玉神社に続いて参拝しました。この日最後の参拝社となります。
私は所用で参加できなかったので、この日の記事は例によって池田さんが撮ってきてくれた写真で記事にしています。

大きな石垣の横を歩き、二の鳥居から入ります。
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二の鳥居のところに「つくば道」の案内が。
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古<からの参道は「つくば道」として知られる。つくば市北条を起点として拝殿に至る道で、その全区間が日本の道100選に選ばれている。
またこの参道の途中、6丁目には-の鳥居が立っている。この鳥居は宝暦9年(1759年)の造営で、以前は「天地開闢筑波神社」の額を掲げたという。この日は、一の鳥居はパスしている。

御神橋
切妻造小羽葺(こばぶき)屋根付、間口1間、奥行4間で、安土桃山時代の様式の反橋である。寛永10年(1633年)の3代将軍徳川家光による寄進とされ、元禄15年(1702年)に5代将軍徳川綱吉により改修された。春秋の御座替祭の際には、神輿と従者がここを渡る。参拝者の渡橋は通常禁止されており、春秋の御座替祭と2月の年越祭の時のみ許される。この神橋は茨城県指定文化財に指定されている。
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社号標
式内社 常陸國筑波郡 筑波山神社二座 名神大、旧県社
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関東平野北東部、茨城県南西に立つ筑波山を神体山として祀る神社であり、主要社殿は次の3箇所に形    成されている。
男体山本殿一西峰頂上(男体山くなんたいさん〉、標高871メートル)
女体山本殿一東峰頂上(女体山くにょたいさん〉、標高877メートル)
拝殿一山腹(標高270メートル)。両本殿を遥拝する

由緒:
創建は不詳。筑波山は『常陸国風土記』でも富士山と対照されるほどの山容を持っていることから、関東平野に人が住み始めた頃から崇められてきたともいわれる。
 社伝(『筑波山縁起』)によると、『古事記』にある伊弉諾尊・伊弉冉尊による国産みで産み出された「おのころ島」が筑波山にあたるという。また『詞林采葉抄』(南北朝時代)では、筑波山は天照大神が降臨した神山であるともいい、文化年間(1804年-1818年)の『筑波山私記』でも同神の筑波から伊勢への遷座を伝える。
 なお、現在の主要部は拝殿周辺にあるが、拝殿はあくまで明治8年(1875年)に中禅寺跡地に造営されたものである。そのため「元来の筑波山神社」とは「男体山頂両・女体山頂岡」を指すものとされる。
・第10代崇神天皇の御代(約2000年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕した。
・第12代景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古事記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残っている。
・奈良時代の「萬葉集」には筑波の歌25首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかる。延喜式神名帳(927)で男神は明神大社、女神は小社に列した。
・中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主男八郎が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続いた。延暦元年(782)に法相宗の学僧・徳-(とくいつ)が、筑波山知足院中禅寺を開く。筑波山の御威光を借りて仏教を広めようと考えたと見られる。それ以降、明治の廃仏毀釈まで、筑波山神社のなかに仏教寺院がある神仏習合の形で、神と仏をともに祀った時代が長く続いた。
・江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じた。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となった。

手水舎(宝暦8年 1758)
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随神門前の石段
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特産新都之碑
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随神門
間ロ5間2尺、奥行3間の楼門で、茨城県内では随一の規模である。古くは寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光により寄進されたが、焼失を繰り返し、現在の楼門は、文化8年(1811年)の再建によるものである。神仏習合時代には「仁王門」として仁王像を安置したが、分離後は「随神門」とされ、拝殿向かって左側に倭建命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の随神像を安置する。この随神門はつ<ぱ市指定文化財に指定されている。
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倭建命
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豊木入日子命
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内側に大御幣
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筑波山頂境界確定記念碑
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狛犬
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拝殿
明治8年(1875年)の造営。この場所には明治以前には中禅寺の本堂(大御堂)があったが、神仏分離で大御堂が廃された後に新たに建てられた。拝殿前には礎石が残り、中禅寺の寺勢をしのばせている。
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大きな鈴
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大正11年奉納の鉄製賽銭箱
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ご祭神:
筑波男ノ神(つ<ばおのかみ、筑波男大神)一男体山の神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
筑波女ノ神(つくばめのかみ、筑波女大神)一女体山の神 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
筑波山は男休山・女体山からなる双耳峰で、その両峰にそれぞれ神があてられている。2峰が相並ぶ山容から、自然と男女2柱の祖神が祀られるようになったともいわれる。

拝殿周辺には門前町が形成され、当社の主要部を成している。ただし、明治以前の当地一帯は中禅寺を主とした仏教中心の霊地で、明治維新後に中禅寺が廃されるにあたって神社として復興し、拝殿が造営された。

神紋は「三つ葉葵」
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摂社:稲村神社《天照大神》、安座常(あざとこ)神社《素箋鳴尊》、小原木(こはらぎ)神社《月読尊》、渡(わたり)神社《蛭子命(ひるこのみこと)》があるが、いずれも筑波山中の白雲橋コース沿いに鎮座しているため、この日は参拝せず。


末社は春日神社 厳島神社 天満宮 稲荷神社 住吉神社 猿田彦神社 等(21社、神社整理以前は100社以上あったという)あるが、大半は山中にあり、拝殿周辺にある以下のお社に参拝した。

春日神社・春日神社拝殿
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春日神社・春日神社本殿
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朝日稲荷神社
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稲荷神社
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境内にあった「さざれ石」
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

筑波山神社ですか。ここは大昔、坂東33観音巡りを行っている時に、「第25番 筑波山大御堂」に行った後、行きました。どのような所だったかはもう記憶にないのですが、当時の旅日記をみると、「非常に大きく立派な門を通る。そして、石段を登って本殿に着く。この神社は隆盛を極めおり,境内にはこれ以外にも幾つも建物があり,それぞれが素晴らしく,全く見事としか言いようがない程である。」と書かれているので、「大御堂」と比較して、境内の大きさや建物の数の多さを言っているのだと思います。

なお、その時は、その後、ケーブルカーで筑波山頂上に行き、下りは歩いて下りました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私はまだ「坂東三十三観音」をやっていないので、
知りませんでした。
改めて調べてみると、気の毒な感じがしました。
広大なお寺だったらしいので。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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