蔵王権現/日本の神々の話

20150430

蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本独自の混淆宗教である修験道の本尊であるが、かって蔵王権現を祭った神社として、御嶽神社(みたけじんじゃ)などがあるので、民俗の神として入れておく。

明治元年(1868年)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令が出され、修験道は禁止された。里山伏(末派修験)は強制的に還俗させられた。また廃仏毀釈により、修験道の信仰に関するものが破壊された。修験系の講団体のなかには、明治以降、仏教色を薄めて教派神道となったものもある。御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などがある。

蔵王権現は、日本独自の混淆宗教である修験道の本尊である。正式名称は金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、または金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意[2]。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。

縁起
蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。

尊容
蔵王権現の像容は密教の明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てるのを通例とする。右手には三鈷杵を持ち左手は刀印を結び、左足は大地を力強く踏ん張って、右足は宙高く掲げられている。その背後には火炎が燃え盛る。図像上の最も顕著な特色は右足を高く上げていることで、このため、彫像の場合は左脚1本で像全体を支えることになるか、右脚をつっかえ棒で支えている。また単に高く掲げられたように見える右足は、実は虚空を踏んでいるのだという解釈もある。ただし、京都・広隆寺像のように両足を地に付けている像もある。

代表作として、鳥取県・三仏寺奥院(投入堂)の本尊像(平安時代、重文)が挙げられる。
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姿形の意味
右手の三鈷杵は天魔を粉砕する相を示し、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る利剣を示す。左足の踏みつけは地下の悪魔を押さえつけており、右足の蹴り上げは天地間の悪魔を払っている姿、背後の炎は大智慧をあらわしている。

歴史
役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現像の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年(762年)制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現像と似ている。

吉野から出土した、国宝の「鋳銅刻画蔵王権現像」(東京・西新井大師総持寺蔵)は、銅板に線刻で蔵王権現などの諸仏を表したもので、長保3年(1001年)銘があり、この頃までには蔵王権現の図像も確立していたことが分かる。

神仏習合の教説では安閑天皇(広国押建金日命)と同一の神格とされたため、明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。

また神道において、蔵王権現は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。

青梅市の御嶽神社は、明治維新までは「御嶽蔵王権現」だったが、それを改め、明治7年(1874)御嶽神社の社号となり、更に昭和27年 (1952)、武蔵御嶽神社と改め現在に至っています。
現在の祭神は、櫛麻智命、大己貴命、少彦名命、日本武尊、安閑天皇となっている。

その他、金峰神社・金峯神社(きんぶ、きんぷ、きんぽう、みたけ)があり、総本社は吉野金峰山寺の蔵王権現堂としている。

なお、覚明行者、普寛行者が創始した木曽御嶽信仰に基づく神社は、上記と区別して「おんたけじんじゃ」と呼ばれる。起源は蔵王権現信仰であるが別の信仰として分化している。
秩父御嶽神社(ちちぶおんたけじんじゃ)は、木曽御嶽神社を本社とするが、現在の祭神は、国常立命、大巳貴命、少彦名命、清貫一誠霊神となっている。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

蔵王権現と言うことで、ああ、蔵王山の熊野岳の頂上にある神社のことだなあと思ったのですが、そうではなかったのですね。でも、なぜ、あの辺りを蔵王山と言うのかと思ったら、大昔、苅田岳に「蔵王権現社」と言うのがあったと言うことのようで、納得しました。

それにしても、先日、行った根津神社は江戸時代は根津権現を祭っていたらしいですし、どうも、権現と言うのは私にはわかりにくいです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
「権現」というのは、「権大納言」などと同じく
「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って
「現れた」ことを示すというわけですね。
仏教の仏が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号なわけです。どうしてこうなったかいえば、寺院が神域をも
自分のものにしようとしたからですね。
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Author:四季歩
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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