源義高ウォーク

20150505

4日に「狭山市をおもしろくする会」、「狭山まちづくリストの会」共催のウォークに参加しました。
源義高に想いをはせながら、狭山市から嵐山の「大蔵館」まで歩こうという企画です。

私は、けっこう普段から史跡めぐりで歩き回っているとはいえ、長距離のウォークには自信が無く、この後も幹事を引き受けているイベントが13日までに3つあることから、ここで体調を崩すと大変なことになるので、「毛呂山歴史民俗資料館」まで参加することにしました。

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清水冠者源義高は、木曽義仲の嫡子であり、頼朝との和議のため義高は人質として、信濃の名族の子弟である海野幸氏や望月重隆らを伴い、頼朝の長女・大姫の婿という名目で鎌倉へ下った。
父・義仲が討たれたことにより、人質として鎌倉にいた義高の立場は悪化する。4月21日(6月1日)、頼朝が義高を誅殺しようとしていることを知った大姫は、義高を密かに逃がそうとする。義高と同年の側近で、いつも双六の相手をしていた幸氏が義高に成り代わり、義高は女房姿に扮して大姫の侍女達に囲まれ屋敷を抜けだし、大姫が手配した馬に乗って鎌倉を脱出する。しかし夜になって事が露見し、義高は4月26日(6月6日)に武蔵国で追手に捕らえられ、入間河原で親家の郎党・藤内光澄に討たれた。
義高の死を知った大姫は嘆き悲しみ病床に伏してしまう。母の政子は義高を討ったために大姫が病になってしまったと怒り、義高を討った郎従の不始末のせいだと頼朝に強く迫り、6月27日(8月5日)、光澄は晒し首にされた。

40名を超える参加者で、まずは準備体操をして体をほぐしてから歩き始めました。
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清水八幡
北条政子は義高の靈を慰めるため、この地に壮麗な社殿を建てたそうです。しかし入間川の氾濫により社殿は失われてしまいました。
永享2年(1430)に地元の人たちが神社の由来を刻んだ石祠を造り祭祀を続けていたが、その石祠も行方知れずになっていたところ、今から180年前に赤間川から石祠が発見され、地元の人たちの努力で現在の清水八幡が再建されたものです。
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入間川を渡ります。
鎌倉街道のころは、「八丁の渡し」があったあたりで、当時は徒歩渡りでした。
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信濃坂にある「陰隠し地蔵」
清水義高が、その陰に隠れて一旦は難を逃れたという。
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ここは、現在「奥州道交差点」と云い、昔から交通の要衝でした。
安永3年(1774)造立の石橋供養塔が道しるべになっています。
4面にそれぞれ「南江戸、東川越、北小川、西八王子」と刻まれている。
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智光山公園の前をとおり、
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お弁当など買い物と休憩タイム
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日光脇往還との交差点「鎌倉街道交差点」
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日光脇往還
八王子千人同心が日光東照宮の火の番警護を命じられ、八王子と日光東照宮の間を往復した。
狭山市では、根岸の渡しを通っています。
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その先に、いかにも「切り通し」らしい道があります。
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「鎌倉街道上道」碑
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さりげなく無事を祈る「馬頭観世音」碑
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霞野神社
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霞野神社本殿の南には、「女影ケ原古戦場跡」 の碑がある。
鎌倉幕府滅亡直後、いわゆる南北朝時代の建武二年(1335) 7月22日、鎌倉を追われ、信濃に潜んでいた鎌倉幕府の執権・北条高時の遺児・高行が、鎌倉幕府再興のため、足利氏を倒そうと起こした「中先代の乱」で、ここ女影ケ原で高行軍は、尊氏の弟で執権・直義率いる足利軍と相対し、これを打ち破った。その古戦場跡がこの辺りになると言われている。
その時、足利軍は、大将の一人、直義の妻の兄・渋川義李を失うなど手痛い打撃を受け、その後の戦いにも影響を残します。北条高行軍は、この後、鎌倉街道上道であと三度ほど合戦をしている。

道標を兼ねた大乗妙典碑
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霞野神社前の鎌倉街道と、右に分かれる道との間に隠れて道標を兼ねた「大乗妙典碑」があり、「右あうぎ町谷八王子道、左入間川所沢みち」と刻まれています。
「右あうぎ町谷八王子道」は、南の大谷沢で日光裏街道(国道407号線)に出て、入間市の扇町屋を通り、その後、国道一六号線を八王子に向かう道ではないかと思われます。
そして「左入間川所沢みち」が、いま通って来た鎌倉街道です。

女影交差点
この辺りは、鎌倉時代も「女影宿」として栄えた所と言われるところです。交差点の角に、「女影時計台」と表示されているかわいい時計塔が建てられています。
『新編武蔵風土記稿』には、「女影」の地名の由来となった伝説が載っています。それによると、女影に「千丈ケ池」があり、その昔、「せん」という女性がこの池に身を投げて死んだと伝えられ、その後、この池にその女性の影が映るようになり、地元の人がこれを「女影」と呼び、これが村の名前になったとあります。
今も女影の南にある「仙女ケ池」がそれであると言われています。
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この辺りは、昔(奈良時代)は大きなお寺(女影廃寺跡)があり、街道を挟んだ西が比定地。
発掘調査が行われ溝跡から多数の瓦や瓦塔片などが検出されたそうです。瓦塔は全国的には珍しく関東特有のものと考えられているようです。代表的なものとして美里町の東山遺跡から出土した重要文化財指定のものがあります。ここに古代の寺院跡があるということは、この付近はかなり古い時代から開かれていたことがうかがわれます。この交差点から県道を西に4.5キロメートルほど行ったところは高麗本郷といい、高岡廃寺や聖天院、高麗神社など朝鮮半島に関系した史跡・遺跡が多くあります。『続紀』にもあるように高麗人がやって来て移り住んだところです。

境橋
橋の、片側の欄干はかなり古いもので、この辺の道自体も旧街道の雰囲気は感じられます。
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橋を振り返る
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戦後の区画整理によって出来た旭ヶ丘の辺。このあたりは、街道の姿を探すのは、難しいです。
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西大家駅横の踏切
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ここでは街道の遺構が小川になっています!
こんな例は他には無いようで、珍しいとのことです。
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そこから旭ヶ丘に100mくらい行ったところの道で。
駅からここまでは川になっている。
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ここから先は、川の横に道が復活している。
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森戸橋
高麗川を渡ります。
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寛政7年(1795)造立の馬頭観音
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鎌倉街道旧道
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鎌倉街道遺跡
最初訪ねたときには、雑木林の中に入り込んでいって街道の輪郭がなんとなくわかる場所でした。
2011年11月に二度目訪ねたときに、バッサリと木が全部切られていて吃驚しました。
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この辺が鎌倉街道上道全体のなかでも、とても気持ちのいい部分です。
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県道39号線との交差点。
毛呂山歴史民俗資料館のすぐ近くです。
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毛呂山歴史民俗資料館到着
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毛呂山歴史民俗資料館前庭で昼食
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私と山畑さん、池田さんはここでリタイア。
皆さんを見送ってから、毛呂山歴史民俗資料館の展示を見て
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今回は「毛呂季光の活躍と末裔たち」という冊子を購入して、資料館を後にしました。
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それから30分ほど歩いて「武州長瀬」駅に。
池田さんが同行しているので、途中石碑を撮ったりして。
池田さんは、まだまだ歩き回りたいようでしたが、私はギブアップ寸前なのでそれを振り切り(笑)
帰途につきました。
武州長瀬駅に着いた時点で、同行した山畑さんの万歩計の数字が三万歩でした。
足がパンパンで、夜苦しかった(笑)

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

全27kmの内の約半分を歩かれた訳ですね。本日(5/5)は気温が下がった上、湿度も低いので、爽やかな感じですが、昨日(5/4)は結構、暑かったので汗をかいて大変だったと思います。

私の場合、秋葉原等に行く場合、大抵は家から歩いてゆきますが、直線距離で片道約6kmですが、昨日はあまり暑さに、帰りは電車に乗ってしまいました(笑)。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
普段、史跡巡りで歩き回っているので、
もっと歩けるかなと思っていましたが、
史跡巡りは写真を撮ったりしていて、止まって
いるのが多いので、やはり連続して歩くと、
駄目でしたね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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