江戸東京博物館「大関ヶ原展」「広重・名所江戸百景展」&横網公園・旧安田庭園

20150512

5月7日(木)、歴史クラブ行事で行ってきました。

両国駅から歩いてすぐ、江戸東京博物館はあります。
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ここで「大関ヶ原展」が開催されています。
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【大関ヶ原展】
会場の入り口を入ると、3組の「関ヶ原合戦図屏風」が展示されていました。
とても巨大に屏風です。
全部は当然載せても、何だかまったくわからないので、部分を少し載せておきます。

「関ケ原合戦国展風」/大阪歴史博物館
江戸時代初期 八曲一双
江戸時代初期に描かれた現存する最古の関ケ原合戦図屏風で、八曲というかなり大型のものである。本作品は、徳川家康の養女である満天姫が、慶長十七年(1612)に津軽信牧に嫁ぐにあたって持参した嫁入り道具のうちの一つで、その来歴から「津軽屏風」と呼称されている。
 右隻には、赤坂に向かう徳川家康の軍や、石田三成が入った大垣城、そして杭瀬川の戦いの様子などが描かれ、左隻には関ケ原合戦の当日の様相が描かれている。

石田三成が入った大垣城の部分
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杭瀬川の戦いの様子
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「杭瀬川の戦い」とは、いよいよ家康が着陣したため、西軍が動揺いちじるしいため、その士気を回復するため、島左近が兵500を率い、宇喜多秀家が兵800をつけ、杭瀬川で東軍に戦を仕向けたもの。
東軍中村一忠が応ずるが、誘われ深入り。有馬豊氏の隊が救援、これも深入り、壊滅。
家康はこの敗戦を収束させるため、本多忠勝を派遣。敗兵を収容した。

家康が赤坂の地に到着する様子
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東軍諸将が、家康本陣にしようと赤坂の「岡山」に築いた陣地の様子。
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「関ケ原合戦国展風」/鳥取・渡辺美術館
江戸時代 六曲一双
鳥取県にある渡辺美術館が所蔵する関ケ原合戦図屏風。各所で刃を交える武将達の姿が躍動感溢れる筆致
で描かれている。
右隻の第一扇に陣幕を張って諸将と共に着座する徳川家康と思われる武将の姿が認められるほか、関ケ原に参集した武将の旗や馬印が随所に描かれるが、全体的に構図は乱戦の様相を呈している。

徳川家康の陣
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島津の陣に攻め込む井伊直政隊
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「関ケ原合戦国展風」/福井・敦賀市立博物館
菊池容斎画 安改元年(1854) 六曲一双
関ケ原合戦の様相を題材に措かれた屏風で、左隻は藤堂高虎や福島正則、井伊直政、本多忠勝など徳川方の諸将の軍勢を中心に描かれ、右隻には島津義弘や字喜多秀家といった石田方の陣容が描かれでいる。また小早川秀秋や脇坂安治ら内応軍の姿も配置されている。石田三成の陣は右隻の左下に「大一大万大吉」の旗印とともにあり、また右隻中央の上部には面体を頭巾で覆った大谷吉継の姿が見える。ただし徳川家康の軍勢の姿ははっきりと見えない。この屏風を描いたのは、幕末から明治維新にかけて活躍した狩野派の絵師菊池容斎。本作品は合戦の陣立てや合戦の流れを記録的に描いたものではなく、参戦した武将の旗などを描写しつつ、躍動感のある戦いの姿を表現して、歴史物語として関ケ原合戦を主題化した作品となっている。

画像は省略しました。

あと出展されていたものの中から、特に気に入ったものを数点載せておきます。

直江状
家康を怒らせた直江兼継の反論と伝えられる書状
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金扇馬標
戦場で家康を象徴した金の扇
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短刀 銘吉光 名物「包丁藤四郎」
大谷吉継が所持していたもの。
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槍 銘藤原正真作 号「蜻蛉切」
本多忠勝が所要した天下の名槍
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それから、常設展の階に行き、広重の「名所江戸百景」展を楽しみました。

再現された日本橋を渡ります。
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【広重・名所江戸百景展】
これは、前期と後期にほぼ半分ずつ出展され、前期と後期で総入れ替えされています。
私は前期も後期も見ました。
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幾つか紹介しておきます。

「日本橋雪晴」
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「両ごく回向院元柳橋」
いま大相撲が開催中ですが、相撲ヤグラを手前に配しています。
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「昌平橋聖堂神田川」
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そのあと、常設展を時間が許すだけ見ました。

【常設展】
「広重・名所江戸百景」のうち、「亀戸梅屋鋪」の版木による多色刷りの展示がされていた。
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「南総里見八犬伝」の展示
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神田明神の山車「関羽」の再現
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千代田区東神田の都立一ツ橋高校地層の発掘調査。
ここは、中世までは日比谷入江近くの葦の原で、江戸初期に埋め立てられて、寺院の一角となった。1657年の明暦の大火により焼失した後、長屋が建てられ、町屋のまま明治を迎えた。
その後震災、空襲の2度の惨禍にあい、今日にいたった。
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歌舞伎「助の由香縁江戸櫻」の再現
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それから、参加者全員で7階の「桜茶寮」で昼食。

横網公園に向かう途中、三階のテラスで、「浅草寺旧本堂大棟部分復元」を見た。
慶安2年(1649)に完成、昭和20年(1945)戦災炎上に至るまで大棟にあったもの。
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【横網公園】
当公園は元々陸軍被服廠があったところであったが1922年に赤羽(現在の東京都北区)に移転し、東京市(当時)が買収し公園として整備したものである。工事は1923年7月から始まったが、その最中の9月1日に関東大震災がおきた。直後、周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まったが、16時ごろ、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園に避難した人だけで3万8000人が犠牲になったという。震災後、その3万8000人の遺体はその場で火葬され、3メートルの高さになるほどの大量の遺骨はその場に急遽作られた仮設の慰霊堂に収容された。やがて東京の復興が進む中、建築家・伊東忠太の設計の元、当公園に関東大震災による遭難死者約58000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や慰霊堂が建てられ、1930年に完成。数十個の大瓶に移された遺骨は堂内に安置された。また横網町公園自体も1930年9月1日に開園した。翌1931年には当公園内に関東大震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成した。しかし、1945年、東京は第二次世界大戦により再び焦土と化し、多くの犠牲者が出た。特に3月10日の東京大空襲では多くの犠牲者が出た。当横網町公園をはじめ、多くの公園に犠牲者が仮埋葬されていた。その後第二次世界大戦で身元不明の遺骨などを当公園にある納骨堂を拡張し「震災記念堂」に合祀されることになった。そして1951年に「東京都慰霊堂」と改称され現在にいたっている。他には関東大震災の際に、朝鮮系の住民が震災に乗じて略奪や襲撃を起こしているという情報が流れたため、一部の朝鮮人(朝鮮人と間違えられた日本人も)が混乱下の避難民により殺害され、それを追悼する石碑や、東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑などがあり、横網町公園は関東大震災と第二次世界大戦のメモリアルパークとしての要素が強い公園となっている。

幽冥鐘の前で、先輩から話を聞きました。
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幽冥鐘は、関東大震災時に遭難死した死者追悼の目的で、中国仏教徒から寄贈された鐘です。
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慰霊堂は、外部の大規模な修復工事中でした。
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内部には、素晴らしい空間が広がっています。
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有名な建築家・伊東忠太氏の設計した空間は見事です。
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外部の工事の囲いに、装飾をマスコット化した「レイレイ」、「マモリュウ」、「ライオー」の絵があった。
この日は内部にあった「マモリュウ」と、復興記念館にある「ライオー」だけしか確認できなかった。
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続いて復興記念館です。
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よく見ると、「ライオー」はかなり傷んでいますね。空襲でやられたのでしようか。
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建物の横に、「震災記念屋外ギャラリー」があります。
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被災した物が展示されている。
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大日本麦酒株式会社吾妻橋工場の鉄柱が猛火により溶解し、かたまりとなってしまっている。
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自動車の焼骸
銀座の明治屋商店で使用されていた車。
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丸の内の内外ビル玄関脇の鉄筋コンクリート柱。
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そして、復興記念館の中に入ろうとしたら、なんと休館(泣)
ゴールデンウイーク連休直後が災いしました。
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下見のときに写した写真から、ちょっと載せておきます。

震災で折れた「凌雲閣」を爆破しているところ。
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震災で、皇居前広場に集まった避難民
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震災で炎上中の帝劇と警視庁
見物人は、まだ震災の深刻さを感じていない。
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黒煙の中の日比谷交差点
煙は境地用するため描き加えられている。
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交番に伝言の貼り札
これは東京駅丸の内側南口前にある警官詰め所。
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ということで、復興記念館展示を見てもらえなくなったので、急きょ近くにある「旧安田庭園」に皆を案内しました。
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これで、この日の予定は終了。
両国駅に戻るときに国技館の前を通りました。
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今場所は、初日に逸の城が白鵬を破ったので、面白い場所になりそうですね。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、多様なプログラムで行かれたのですね。新聞等によると、関ヶ原展は大人気だそうですが、さぞかし、混んでいたと思います。広重は前後編をご覧になられたのですね! 私は結局、前半のみで終わりそうです。ここは広重に関しては頑張っていますよね。昨年だったか1昨年だったかは、東海道53次もやっていましたし。

人形の付いた山車は江戸時代は方々にあったらしいのですが、明治時代辺りに、東京では廃れて、地方に行ってしまったらしいですね。それらが神田明神の祭りで、時々、里帰りすることもあるようです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
今回の大きな収穫は、広重の「名所江戸百景」を
全部撮影できたことですね(嬉)
照明のガラスへの映り込みが少なくて、
わりと良く撮れました。
広重の絵は素晴らしいですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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