奈良別命(ならわけのみこと)/日本の神々の話

20150518

2013年10月に、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で、熊谷市の「奈良神社」を訪ねましたが、その神社の祭神でした。

その記事を読む


豊鍬入彦命の4世の孫。仁徳天皇の頃に下野国造となっていた奈良別命が任を終えて、開拓し奈良郷を築いたとされる。土民らが、その恩に感じ、徳を慕って当社、奈良神社を創立したという。

『日本書紀』では事績は記されていない。また、下記のように記載のある文献においても、四世孫か六世孫かで異同がある。
『先代旧事本紀』「国造本紀」下毛野国造では、仁徳天皇の時に毛野国を分割し上下とし、豊城命四世孫の奈良別を初めて下毛野国造に任じたと記されている。
『新撰姓氏録』大網公条には「豊城入彦命六世孫 下毛君奈良」が、吉弥侯部条に「豊城入彦命六世孫 奈良君」として見え、弟に「真若君」がいると記されている。

奈良別に関する伝承を有する神社。
○宇都宮二荒山神社 (栃木県宇都宮市) - 奈良別王による創建という。
○野木神社 (栃木県下都賀郡野木町) - 奈良別王が下毛野国造赴任の際、菟道稚郎子命の遺骸を奉じて祀ったという。
○奈良神社 (埼玉県熊谷市) - 奈良別命が国造の任を終えたのち、同地の開拓に携わったという。

注)菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の名前が出てきたので調べてみたら、なかなかに興味を引いた。
名前の「菟道」が山城国宇治(現・京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。
郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。
中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。
『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

日本の神社には、結構、身近な人を祭った神社ってありますよね。最も有名なのは「明治神宮」だと思いますが、「乃木神社」もありますし、また、第二次世界大戦中は軍神なんて言うのもありましたし。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
いろいろとありますよね。
私の場合は、この点では基準を設けさせて
いただきました。
すなわち、江戸時代までに神になったのは認める、と。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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