久能山東照宮

20150520

鎮座地:静岡市駿河区根古屋390番地

5月13日(水)、歴史クラブの春季定例見学会ということで、参加者41名で「富士山本宮浅間大社」と「久能山東照宮」にお参りしました。
「富士山本宮浅間大社」に参拝した後、昼食を新東名高速のSAで採り、日本平ロープウェイの乗り場までやってきました。
このロープウェイが日本平と久能山を結んでいます。

ロープウェイから振り返ると、高い塔のあるところが日本平ロープウェイの乗り場前の駐車場
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もう一台行き交います。
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浸食作用で出来た「屏風岩」が見物なのだが、この日は超満員の状態でいい写真が写せず、下見(3月)のときの写真を載せておきます。
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着きました。
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久能山側のロープウェイ乗り場の横にある、樹齢500年の楠木。
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駿河湾が一望に。
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昨日台風が駆け抜けたが、まだ風が強い。
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受付から入ると、石段の上に楼門が聳える。
後水尾天皇の御宸筆の額が掲げられているので、「勅額御門」とも称する。
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久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、太古、海底の隆起によって形成されたもので、長い年月の間に浸食作用などのために硬い部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。 推古天皇(592- 628年)の頃、久能忠仁が久能寺を建立し、奈良時代の行基を始め、静岡茶の始祖といわれる円爾(聖一国師)など、多くの名僧が往来し、隆盛をきわめた。永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を矢部(静岡市清水区)に移し(今の鉄舟寺)、この要害の地に久能城を築いた。しかし、武田氏の滅亡と共に駿河は徳川家康の領有するところとなり、久能城もその支配下に入った。

家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、元和3年(1617年)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。家康の遺命は久能山への埋葬および日光山への神社造営であったので、日光山の東照社(現・日光東照宮)もほぼ同時期に造営が始まっている。日光山の東照社は3代将軍・家光の代になって「寛永の大造替」と呼ばれる大改築がされ、徳川家康を祀る日本全国の東照宮の総本社的存在となった。同時に家光は久能山の整備も命じており、社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、五重塔(現存せず)、楼門が増築された。

なお、駿府城代支配の職である久能山総門番として代々久能の地を領して久能山東照宮を管理したのは、交代寄合の榊原家宗家であった。

造営以来の多くの建造物が現存するが、寛永期に徳川家光が造営を命じた五重塔は、明治時代初期の神仏分離によって解体を余儀なくされた。

立派な楼門
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随身
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彫刻も見事
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内側には獅子狛犬が置かれていました。
獅子と狛犬の配置については、『禁秘抄』と『類聚雑要抄』に共通して獅子を左、狛犬を右に置くとの記述があり、『類聚雑要抄』ではさらにそれぞれの特徴を「獅子は色黄にして口を開き、胡摩犬(狛犬)は色白く口を開かず、角あり」と描いている。
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楼門をくぐると、ちょっとした広場があり、その先に二の鳥居があり。
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右手には厳島神社と稲荷神社が。
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厳島神社
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稲荷神社
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神厩
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二の鳥居の下の、元和3年(1617)奉納の手水舎があり。
ということは、2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営されたときのものである。
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家康梅
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二の鳥居をくぐると、石灯篭が並ぶ。
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家光により建立された五重塔跡。
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石段上に唐門があるが、参拝者は右から回り道。
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堂々たる華麗な唐門
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狛犬ではなく、獅子が頑張っている。
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右に廻ると、正面上に神倉があり。
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脇のモミジの若葉が燃えている。
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石垣も、キチッとした見事な造り。
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神楽殿の横に(株)バンダイからの献納品が陳列されていました。静岡に大きな工場があります。
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家康公モデルのガンダムのプラモデルを奉納しています。
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その他にも、いろいろ面白いものがありました。
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愛宕神社
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その横の「河津桜」のさくらんぼが可愛かった。
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日枝神社。
もとは、薬師如来像が安置された御本地堂だったが、明治三年神仏分離により日枝神社と改められたもの。
拝殿・本殿と同じ元和三年の建造らしい。
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歴代将軍の葵紋が陳列されていた。
見比べると、違うんですね。
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いよいよ社殿です。
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瑞垣内に入って、まず唐門を見に行きます。
扉の彫刻が見事。
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次いで、まずは瑞垣内側の彫刻。
全部撮りましたが、そのなかから幾つか紹介。
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実に豪華な社殿
華麗な日光東照宮の権現造りは、ここから始まった。
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拝殿内部
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御祭神は、徳川家康公(東照公)
相殿に、豊臣秀吉公、 織田信長公

装飾も華麗です。
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拝殿内部の欄間も豪華極まりなし。
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本殿
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廟門
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修復された廟所の石垣。
この上に「添え石垣」が保存されている。
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廟門から御神廟までの間をつなぐ参道です。左右には家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられており、厳かな雰囲気が漂っています。
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あらためて、鳥居がある。
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廟所宝塔(神廟)に通じる石段。
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廟所宝塔(神廟)
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しばしば話題となるのが、家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したか否かだ。改葬は大化の改新で知られる藤原鎌足の死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事にならったものとされ、「遺体も移ったと考えるのが自然」とみる識者もいる。ただ、落合宮司は「家康公は今もここに眠っていると思っている」と話す。「四角い棺(ひつぎ)の中に正装して座し、西を向いているはず。遺体を日光に運んだのなら、久能山に大きな墓を建てる必要はなかった」
 改葬を取り仕切った僧・天海が「あればある無ければなしと駿河なる くのなき神の宮うつしかな」という和歌を残していることもその証左だという。「くのなき」は「躯(く)=むくろ=のなき」と読めるからだ。
 久能山の神廟も日光の奥宮も、これまで発掘調査は行われていない。いずれにせよ、「御霊は久能山と日光にあり、人々を見守っているのは間違いない。

ここにいたボランティアのガイドさんから、この宝塔は、一つの石から全部彫りだしたもの、と聞いて吃驚した。
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たしかに屋根の庇の部分には、どこにも継ぎ目が無い。一枚ものの証拠である。
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家康公の愛馬を埋めた所
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その昔、愛馬は夜になると家康公神廟の脇で休み、朝になると厩舎で餌を食べていたそうです。

まわりの石垣も、丁寧に積まれているのがわかる。
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さらにガイドさんから、角の柱とさらに柱二本分が一つの石から造られていると教えられ、吃驚。
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横から見える場所から、下の土台の張り出しまでも一枚岩となっていると教えられる。
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他の場所で、一枚岩であることが、入った亀裂でわかるのを見つけた.
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更に面白いことを、このガイドさんから教わった。
石段の下で立っている位置が、神廟の真西にあたる。
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どういうことかというと、上の広場の参道(正中)、石段、踊り場での「正中」一より、右にずれないと、灯篭と宝塔が一線にこない。
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踊り場での「正中」の位置だと、このように灯篭と宝塔がこんなにズレてしまう。
宝塔の基壇(水平)に対して、広場や石段が傾いているのがわかる。
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熱心なボランティアのガイドさんのおかげで、教わらないとわからない貴重な経験をした。
とてもありがたかった。

宝塔の近くには、こういうものもあった。
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満足して下に降り、武田信玄により築城された城である「久能城」の痕跡を探した。
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信玄の軍師であった山本勘介が掘った(掘らせた?)井戸が残っていた。
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以上で、この日の定例見学会の予定は終了。
帰途につきましたが、途中でバスが故障するアクシデント!
それでも予定より一時間半遅れで済んだのは、助かりました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ここ、フィルム式カメラ時代に行った記憶がありますが、どのような所だったか、ほとんど記憶にないので、なるほど、このような場所だったのかと再認識しました。

この時は静岡市に泊まって、方々に行ったのですが、御前崎に行った時、そこのベンチで背の高さが1m強のフィギア(勿論、女性)と一緒にベンチに座って、その様子をセルフタイマーで写真を撮っていた若い男がいて、あまりの不気味さにサッと通り過ぎたことが強烈な思い出です。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoさんの記事を拝見していると、
寺社の建物の装飾とか彫刻には、あまり関心が
無いようなので、あまり記憶に残らなかった
のでしょうね。

フィルムカメラ時代だと、そのようなオタクな
人はまだ珍しくて気持ち悪かったのでしょうね(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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