熊谷市野原地区と滑川町を歩く

20150616

5月22日(金)に歴史クラブ行事で歩きました。
コースは、立正大学博物館、文殊寺、淡洲神社、天神前l号墳、亀入沼、天神山横穴墓群、淡洲神社、谷津の里、浅間神社、成安寺です。
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東武東上線の森林公園駅からバスに乗り、「立正大学」で下草、まず立正大学の博物館を見学。

【立正大学博物館】
所在地:埼玉県熊谷市万吉1700

バスを降りると、既にキャンパス内でした。
博物館は木立の中にあり、とてもいい環境でした。
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館内は撮影禁止だったので写真はありませんが、マップはこのようになっていた。
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アジア各地の鐘、矢じりのコレクション、板碑もいいのがありました。
驚いたのは黒曜石の巨大な塊を斧にしたものがあった。北海道で収集されたものだが、あんな巨大な黒曜石の塊は初めて見た。

また頂いた資料で「近世の墓石と墓誌を探る」が大変参考になるもので、有難かった。
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【文殊寺】
所在地:埼玉県熊谷市野原623
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曹洞宗、本尊:文殊菩薩
日本三体文殊の一つ(京都の切戸(天橋立)文殊、山形の亀岡文殊、武州野原の文殊)
文明15(1483)に古河公方の家臣である増田四郎重富が本寺を再建したとある。ここには、増田館があったと伝えられ、本堂の裏、西側・北側に土塁と堀が残る。増田重富は小川町高見の四ツ山城に居住したとも伝わる。

仁王門
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鐘楼門
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鐘楼門の右手に白山大権現社
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その横に庚申塔
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境内は巨木も多く、素晴らしい雰囲気でした。
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本堂
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本堂の左手の林の中に「芭蕉塚」があり。
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文政3年(1820年)2月、五道庵竹二坊建立。
碑面には「文化十三丙子年 十月十二日 五道庵建」とあるが、何らかの都合で遅れたのか。
五道庵は福田村(現・比企郡滑川町)の人で、竹二坊と号した。
寛政10年(1795年)、『芭蕉翁正伝』を著し、世に知られている。
天保6年(1836年)、没。

横に芭蕉の句碑あり。
「はつしくれ猿も小蓑をほしけなり」
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『猿蓑』冒頭の句です。
元禄2年(1689年)9月下旬、芭蕉46歳の作。
芭蕉が『奥の細道』の旅を終え伊勢へ足をのばした後、故郷上野へ帰る途中に伊賀街道の長野峠で詠んだものとされている。

諸仏堂あり。本尊の文殊菩薩が拝めなかったので、ここで。
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本堂の裏の土塁と堀
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【淡洲神社】
鎮座地:埼玉県比企郡滑川町大字土塩
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拝殿
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後ろに本殿の覆い屋
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拝殿内部
奥に本殿が見える。
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境内社・天神社
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境内社・三峰神社
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【天神前l号墳】
滑川町の土塩球場南側の丘陵上に分布している。
円墳、古墳時代後期の群集墳と思われる。滑川町は古墳が多いが、きちんと形が残り、はっきりと見える古墳は少なく、これは貴重な存在。

入り口
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天神前l号墳
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【亀入沼】
滑川町に約200基ある溜池の一つ。
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蓮が咲いていた。
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【天神山横穴墓群】
吉見百穴と同じ横穴墓。1基のみ見ることができる。
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【淡洲神社】
鎮座地:埼玉県比企郡滑川町大字福田
土塩の淡洲神社と祭神が異なる。
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参道
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社殿
大きな覆い屋だった。
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中には朱塗りの社殿が納まっていた。
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お百度参りの算木があった。
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【谷津の里】
「日本の里山の景観を今に伝える」自然とのふれあいや農業を体験できる場として、滑川町が整備。道の両側の谷津に谷在家沼、中人沼がある。
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谷津田センターで、持参のお弁当で昼食、休憩。

里山風景の中をのんびりと歩きました。
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【浅間神社】
鎮座地:埼玉県比企郡滑川町大字福田
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山を上ります
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途中に境内社あり。
津島神社(建速須佐之男命)
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雷電神社(火雷大神、大雷大神)
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拝殿
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本殿
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拝殿の中に、富士講奉納の絵馬があり。
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【成安寺】
所在地:埼玉県比企郡滑川町大字福田1205
曹洞宗、開基は酒井重勝と伝わる。
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馬頭観音堂
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彫刻もなかなかのもの。
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向拝格天井に馬の姿絵が措かれている。
剥離が激しい。
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馬頭観音は簾があって見えない。
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格天井には、色々な鳥の姿が描かれている。
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奉納絵馬
辛うじて字が残っており、「甲源一刀流」のものということは判った。
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建長板石塔婆(建長3年)
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近くに大きな板碑があったが、残念なことに年号が判らない。
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境内一帯は徳川家族本、酒井重勝(1549・1613)陣屋跡と伝わる。酒井家墓所がある。

酒井重勝(1549-1613)について:
 徳川家旗本。通称は与九郎または作右衛門尉とされ、永禄6年(1653)三河一向一揆では徳川氏に敵対した。元亀3年(1572)三方原の合戦時には家康の浜松城への退却に活躍。天正12年(1584)長久手の合戦では鎗奉行として活躍。翌年の真田氏の上田城攻めにも功績あり。その後長柄奉行を務め、家康の関東入府に伴い武蔵比企郡福田、岡部、上総山部郡土気合わせて2千石を知行される。なお、上総山部郡土気(とけ)には千葉氏の一族原氏家臣である同姓の上総酒井氏の居城が所在していたことは興味深い符合である。
 慶長5年(1600)関ヶ原合戦の際には三河寺部城を預かり5千石の知行を得たともいわれる。その後伏見城の御天守番を務め慶長18年5月伏見にて死去。享年65歳。法名は成真。「鎗」の長短の優劣を巡る有名な逸話もある。(「寛政重修諸家譜」「

酒井家墓所
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酒井家の有名な「片喰」紋。
先祖は葵紋を使用していたが、家康の先祖松平氏の頃、松平氏に葵紋を所望され献上し、代わりに形の似ている「片喰」紋を使用した。
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五輪の塔、宝篋印塔で変わったのがあり。
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入り口近くに、庚申塔などが並べられており、興味を引いたが時間が無く団体行動の悲しさ、遠くから撮ったものから。
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これで予定を全て終え、成安寺門前のバス停から森林公園までバスに乗り、帰途につきました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

馬頭観音堂、建物の彫刻と天井絵が素晴らしいですね。折角のものですから、もっと、きちんと保存して欲しいと思いましたが、まあ、信仰に関係するものですから仕方がないですね。また、最後の方の石仏が沢山並んでいる所の石仏も素晴らしいですし。


天神山横穴墓群の横穴の形、確か、吉見百穴も丸い形だったと思いますが、鎌倉のやぐらは四角いものもあり、形が違うのは、時代の違い、あるいは、場所の違い、どちらなのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
そうですね。
時代の変化で、きちんと残されているもの、
寂れてしまっているもの、いろいろですよね。
私にとっては酒井氏ゆかりということで、
とても有難かったです。

鎌倉のヤグラと吉見百穴の形の違いについては、
しらべたことがありません。
課題としましょう。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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