外堀クルーズ&日本橋・兜町散策

20150619

6月17日(水)に歴史クラブの行事で参加しました。
利用したのは、「東京湾クルーズ」の「日本橋・神田川ぐるり90分コース」です。
日本橋川、神田川の位置関係は、大雑把にはこういうもの。
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日本橋のところで乗船し、日本橋川から隅田川に出て、遡上して神田川に入り、小石川のところで日本橋川に入り、日本橋に戻るというもの。
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乗船が13時ということで、ゆっくりと出てきて、日本橋で降りてすぐに昼食。
あの「丸善」で食べました(笑)
ハヤシライス、美味しかったです。
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乗船時間まで、日本橋・兜町をブラつきました。
日本橋のウンチクを先輩から聞く。
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日本橋
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東海道や中山道の起点、「道路元標」
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これが道路の真ん中に埋められている。
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麒麟の翼
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思わずシャッターを押した建物のなかから、ちょっと紹介。

きれいな金色。
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三越の正面の飾りが綺麗になっていた。磨いたみたいだ。
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三井ビル本館の装飾
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窓も綺麗
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三重物産館の入ったビル
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ゆるキャラが面白かった。調べたら、三重県津市の「シロモチくん」だった。
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日銀本館
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窓の鉄格子が厳めしい。
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お弁当やさんの台車が並んでいた。
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日本橋に戻ってきました。
今日のテーマだとこれは外せない。

日本橋魚市場発祥の地の碑
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日本橋の上でのんびりしていたら、私たちの乗る船がやってきて、客を降ろした。
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乗り場
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乗船
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船が出ると、一度日本橋をくぐってから旋回し、またくぐって隅田川に向かう。
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上の高速道路の底が、意外ときれいな模様だった。
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普段は目にしない場所の日本橋の装飾
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高速道路の下を進みます。
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○江戸橋
右手には、郵便局発祥の地「日本橋郵便局」があり。
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都心環状線の「江戸橋ジャンクション」
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○鎧橋
橋が架かる以前は、渡船「鎧の渡し」が両岸を結んでいた。鎧の名の由来には2通りの言い伝えがある。一つは源頼義が奥州討伐の際にこの場所で暴風雨に遭い、自分の鎧を海中へ投げ入れ竜神に祈りを捧げたところ風がおさまったのが始まりとする説、もう一つは平将門が兜と鎧を奉納したのが由来とする説である。
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○茅場橋
地名の 「茅場町」 から付けられている。この 「茅場町」 の町名の由来は、 寛永年間(1624~1643) に 『神田橋』 の外側にあった 「茅場」 を、この辺りに移したことによるという。 「茅場」 とは、刈り取った茅の置場である。
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前方に「湊橋」が見えたところで、高速は外れていった。
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☆日本橋水門
霊岸橋付近で日本橋川から分流し南へ流れ、亀島橋を過ぎたあたりで南東に折れ、中央区の中央大橋下流で隅田川に合流する「亀島川」である。
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○湊橋
中央区新川 と 箱崎方面 を結ぶ通称 「湊橋通り」 が 「日本橋川」 を渡る橋である。
この橋の創架は江戸時代の前期、延宝7年(1679) であると伝えられており、 霊岸島(現在の新川地区) と 箱崎町 を結ぶ橋として架設された。
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帆掛け船のパネルが洒落ている。
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○豊海橋
日本橋川が隅田川に流入する河口部に位置し、梯子を横にしたような構造は、フィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮して設計された。シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重である。
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カモメと鳩が仲良く憩っている。
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隅田川に出ると、右に永代橋。
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○上に首都高9号深川線、下に隅田川大橋
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○清州橋
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○萬年橋
隅田川から分流する小名木川にかかる。
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成田詣でをする日本橋の旦那衆はこの川を行き、葛西で上陸して成田街道を行った。

芭蕉像が見ている。
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○新大橋
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○首都高6号向島線と首都高7号小松川線
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首都高6号と首都高7号が分かれます。
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☆竪川水門
竪川は1659年(万治2年)に起工された運河で、旧中川と隅田川を東西に結ぶ運河である。
江戸城に向かって縦(東西)に流れることからこの名称となった。
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○両国橋
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両国橋を過ぎると左に神田川の入り口が見える。
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○総武線の架橋
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スカイツリーの手前に、総武線と首都高6号、そして隅田川の船遊び。
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○柳橋
いよいよ神田川に入ります。
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○浅草橋
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この辺には屋形船がびっしりと浮かんでいる。
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○左衛門橋
明治維新までずっと、出羽鶴岡藩(あるいは庄内藩)の大名・酒井左衛門尉(さえもんのじょう)の下屋敷があった。
このため近辺の河岸地に、殿様にちなんだ「左衛門河岸」の名が定着しており、明治に入って「橋をかける」ということになった際、直接にはこの河岸地の名前をとるかたちでこの名になったらしい。
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○美倉橋
そばに三つの倉があったことから「三倉橋」、転じて「美倉橋」と呼ばれるようになった、といわれているそうだ。ただ、幕末から明治初頭にかけては「新シ橋」「アタラシハシ」といった名前が地図に見られる。
南詰側は有名な「柳原土手」
柳原土手は古着屋,古道具屋の床店が軒をつらね,夕方それらの店がしまると入れかわりに夜鷹(よたか)が跳梁(ちようりよう)することでも知られていた。夜鷹(路傍で客をひく下級の売春婦)が現れる場所として時代小説にはしばしば登場する。
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○和泉橋
和泉橋は秋葉原駅の昭和通り口の程近くにあるが、この和泉橋の北に藤堂和泉守高虎(とうどういずみのかみたかとら)の屋敷地があり、橋の名はこれに由来するといわれる。
ちなみに松尾芭蕉は、俳句の世界で名前が知られていない頃、この藤堂藩の下級士族として神田川の治水に関わる仕事をしている。
その頃の庵が関口芭蕉庵である。
本来は青く塗られた鉄橋だが、工事でシートが貼られている。
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雨が降って来た(泣)
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○神田ふれあい橋
神田ふれあい橋は、東北・上越両新幹線東京駅乗り入れ工事に伴うJR鉄橋工事用の橋が、地元の要望でそのまま一般開放されたといういきさつをもつ人道橋。
神田川下流エリアにかかる橋としては、現在のところいちばんの新顔になる。
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雨が激しくなった(泣)
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橋の下に船を停めて、配られた合羽を着た。
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○万世橋
万世橋の歴史は、1676年(延宝4年)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。当橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。すぐ南に「筋違見附」があり、橋はその見附の付属物であった。
1872年(明治5年)に筋違見附が取り壊され、翌1873年(明治6年)にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。
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この後、煉瓦造りの建物があったのだが、雨への対応に追われ、そしてカメラのレンズについた水滴でフォーカスも狂い、ものすごいボケ写真しか撮れていなかった(泣)

○昌平橋
この地に最初に橋が架設されたのは寛永年間(1624年 - 1645年)と伝えられているが、1691年(元禄4年)に徳川綱吉が孔子廟である湯島聖堂を建設した際、孔子生誕地である魯国の昌平郷にちなんで、同年2月2日(1691年3月1日)に「昌平橋」と命名された。
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○総武線の架橋が斜めに川を横切る。
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総武線電車
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○丸ノ内線架橋
聖橋手前にあり。他に気を取られていて、丸ノ内線の電車が通ったのに、撮り損ねた(泣)
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○聖橋
御茶ノ水駅の東端にある。
名前は東京府東京市(現:東京都)が公募し、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことから「聖橋」と命名された。
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聖橋を過ぎるとすぐに御茶ノ水駅の拡幅工事
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○御茶ノ水橋
JRお茶の水駅(南詰)と営団地下鉄丸の内線お茶の水駅(北詰)をつなぐ橋。
お茶の水橋のたもとの交番の横に「お茶の水」の由来石碑がある。「お茶の水」が湧いていた場所は碑のある場所から神田川を見下ろした対岸、本郷台の川っぷちの低湿地である。
つまり本郷台地の地下水脈が崖に出会ってわき水になったものが「お茶の水」であって、源流ははるか関東平野の奥の奥にまでさかのぼることになる。おいしい水が出たというのもうなづける。
が、その湧き水の池は最終的には神田川の拡幅工事(江戸時代)で川といっしょくたになってしまったとのこと。もしかしたら今も神田川の底でこんこんと湧いているのかもしれない。
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「警戒船」に遭遇。旗を振っている。どうも工事現場で交通整理をしている人がいるが、あの役目と同じ?
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このクルーズ船のガイドさん(右側)と運転手さん(左側)
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両側の堤がいい感じです。
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工事現場
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順天堂大学
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東京医科歯科大学
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江戸時代の堤跡
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○水道橋
江戸時代初期に神田川の開削に合わせて架けられたのが始まりで、当初は現在よりやや下流に位置していた。付近にあった吉祥寺から「吉祥寺橋」とも呼ばれた時期もあるが、この寺院は1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失し、本駒込に移転している。1670年(寛文12年)の地図では「水道橋」と表記されており、この橋名は、本橋の下流に神田上水の懸樋があったことに由来する。
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○後楽橋
水道橋駅から東京ドームに行くときは、これを渡る。
シートがかかっている。
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振り返ってみた後楽橋。
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○小石川橋
ここで日本橋川に分流しているので、ここで左折して日本橋川に入る。
上にあるのは、これから日本橋川の上を走ろうという高速道路。
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○三崎橋
おおむね本来の神田川(中世の平川)のルートにあたる日本橋川は、江戸時代には治水工事の結果、ここから先、堀留川あたりまでが埋められており、必然的にこの橋も存在しなかった。
明治36年、以前の平川のルートにほぼ沿うかたち(厳密には少々東寄り)で再掘削工事が行われ、それに伴っていちばん上流にかけられたのがこの橋、ということになる。
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○新三崎橋
三崎橋の南側、JRの鉄橋をはさんですぐの位置にかかる橋。2002年、近辺の再開発事業と連動するかたちで新しい橋に架け替えられた。
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ここから高速の下を行きます。
雨なので、少し楽になった。
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○あいあい橋
日本橋川にかかる現時点で最新の橋。JR飯田町貨物駅跡地の再開発プロジェクト「飯田町アイガーデン エア」の施工に伴って、その敷地と水道橋方面をつなぐかたちで新たにかけられた歩行者専用橋。
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この辺から、川の両側に高いビルが林立。
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○新川橋
千代田区西神田 と 同区飯田橋を結ぶ小さな橋。
この辺りも江戸時代には 川 は埋め立てられており、橋が架けられたのは、明治36年(1903) の 日本橋川再開削の後と考えられる。再開削直後は「新川」だったからか?
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○堀留橋
江戸時代初期の神田川開削の際に日本橋川の神田川からの分流点より堀留橋までの区間が埋めたてられ、この付近が堀の終点となっていたことから「堀留」の名がある。1903年に再びこの区間が開削され日本橋川となった。
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○南堀留橋
直上の首都高速は、西神田出入り口が近いため5車線分の幅があり、完全に川を覆っている。
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○俎(まないた)橋
江戸時代初期の架橋と思われるが、詳しい年代は不明である。江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した[2]。東側には現在のように橋を降りて直進する道路はなかったため、橋は現在ほど往来が多くはなく、橋自体も小規模であった。
万治年間より1903年(明治36年)までの期間、日本橋川は神田川からの分流点より堀留橋までの区間が埋め立てられており、堀留橋付近がその名の通り堀留で、俎橋が日本橋川の最も上流に架かる橋であった。俎橋と堀留の間の西岸には1664年(寛文4年)より俎河岸が存在し、物資の荷揚げが行われた。
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○宝田橋
初代の橋が架けられたのは1929年(昭和4年)10月で、震災復興事業の一環であったが耐震・耐火性に劣る木造橋であった。橋名は、かつてこの付近にあった宝田村から採られている。
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雨がひどい。
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○雉子橋
皇居内堀に最も接近する箇所に架かる。北詰には共立女子学園があり、道路を直進すると神田神保町に至る。南に進むと皇居内堀清水濠に出る。
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江戸城外堀遺構が続く。
石に色々な刻印がありますが、これは江戸城築城の際に工事を請け負った藩が、自藩の石に刻印をしたのです。
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雨がひどい(泣)
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○一ツ橋
「一ツ橋」の地名は中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する日本橋川に架かる一ツ橋(一橋)に由来している。一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点を表す「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になった。町名の由来となった一ツ橋は後述の一橋御門の築造以前から存在していたと考えられている。
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○錦橋
大手町一丁目から神田錦町三丁目に通じる道筋。関東大震災の復興橋の一つで、昭和2年(1927)5月5日に架設された。橋名は錦町や錦町河岸(旧地名)から付けられた。「錦」は昔近くに一色という武家屋敷が二軒あったので、二色→錦と転化したのだといわれている。
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○神田橋(工事中)
橋名は、かつてこの付近にあった神田明神に由来する。江戸城の増築により外神田に移転した神田明神跡には神田御門と土井大炊頭利位の屋敷が設けられた。寛永時代の地図では「大炊殿橋」の名で記されている。神田橋から上野広小路を通り寛永寺へと通じる道は、歴代の徳川将軍が寛永寺に参詣する際に通ることから「御成道」と呼ばれた。現在でも、天皇皇后両陛下が車で北関東方面に向かう際にここを通ることから、「御成道」の名は残っている。
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○鎌倉橋
徳川家康 が江戸城に入城後の慶長年間(1596~1614) には、 城内や城壁、濠などの大規模な改修工事が行われた。この江戸城改修に伴って、付近の川筋には鎌倉からの石材が陸揚げさるようになり、その頃から 「鎌倉河岸」 と呼ばれるようになったという。
『鎌倉橋』 の名称は、この 「鎌倉河岸」 から付けられたものである。
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雨がひどい(泣)
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○中央線快速の跨線橋
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○新常盤橋
「新常盤橋(しん ときわ ばし)」は、千代田区大手町 と 中央区日本橋本石町 の間で、大手町と本石町を結ぶ 「江戸通り」 が 「日本橋川」 を渡る橋で、最初の架橋は大正9年(1920)、路面電車の開通に合わせて架けられた、コンクリート製の3連アーチ橋であった。
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やはり、ずぶ濡れの客で一杯の船とすれ違い。
大変ですよね(笑)
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○常磐橋
大工事中でした。
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○常盤橋
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常盤橋(ときわばし)・常磐橋(読み方は同じ)は、東京都千代田区大手町と中央区日本橋本石町との間の日本橋川にかかる橋。ただし、現在は上流にある人通専用の旧橋を常磐橋、その後造られた新橋を常盤橋と称する。

元は「大橋」と称され、江戸城の大手門から浅草に直接向かう本町通り(現在の江戸通りの原型とされる)上に置かれていた。また、浅草に通じていることから「浅草口橋」とも呼ばれた。
徳川家康による江戸の再整備後に日本橋が誕生して江戸の交通が南北を軸にする以前は、江戸城及び大橋(常盤橋)を中心とした東西の軸によって陸路が形成されていたと考えられている(江戸城の西の道は鎌倉や府中に、大橋を通る東の道は浅草を経由して奥州や房総に連絡していたと考えられている)。
ただし、大橋が架かる日本橋川は徳川家康の関東移封後に開削されたとも考えられており、その場合は常盤橋もそれ以前には存在しないことになる。

寛永6年(1629年)、常盤橋の前に常盤橋門が設置され、この頃に「常盤橋」の名称が登場したと考えられている。「常盤」の由来については、『金葉和歌集』(巻1)の「色かへぬ松によそへて東路の常盤のはしにかかる藤浪」に由来する説や、「徳川氏=松平氏」と松が持つ常盤(常緑)を掛けて同氏の繁栄が続く事を願ったとする説がある。江戸の交通の中心は日本橋にその地位を譲ったものの、常盤橋から浅草方面の途中には「伝馬町」「馬喰町」など運送業者に由来する町(名)が引き続き栄えていた。

明治になってから、石造のアーチ橋の常盤橋が造営されたものの、手狭であることから後に現在の常盤橋が造営されて、旧橋は「常磐橋」と呼ばれるようになった。平成19年(2007年)3月28日に常磐橋・常盤橋はともに千代田区景観まちづくり重要物件に指定された。

以上の情報は、常盤橋(ときわばし)・常磐橋(読み方は同じ)をきちんと分けて書いていない。
常盤橋門(常磐橋門)の見附の石垣から延びているのは常磐橋なので、こちらの方が江戸城と結びつけるのにはふさわしい。
「常磐橋」という名は、「常盤橋」だと皿が割れるのでこの名に変えたという話も残っている。

○一石橋
皇居(旧江戸城)外濠と日本橋川の分岐点に架橋された橋である。 日本橋川に架かる橋では最も低い橋。
江戸時代初期の「武州豊島郡江戸庄図」に既に元となる木橋の記載が見られる。
北橋詰の本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰の呉服町に御用呉服商の後藤縫殿助の屋敷があり、当時の橋が破損した際に、これらの両後藤の援助により再建された。そのため後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から一石橋と名付けられたと伝わる。
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○西河岸橋
中央区日本橋 と 日本橋室町 の間で、 三越本店の裏通りから日本橋・八重洲方面に通じる、通称 「日銀通り」 と呼ばれる小さな通りが「日本橋川」 を渡る橋である。
『西河岸橋』 の名称は、当時この橋の南側が 「東京市 日本橋区 西河岸町」 であったことから付けられている。
これは 日本橋川 の右岸を 「西河岸」 と呼んでいた河岸の名称からきており、 左岸は 「北河岸」 と呼ばれていたという。
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○日本橋帰還(嬉)
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橋の上から、「よくもまあ雨の中を、屋根の無い船で」とあきれて見ている(笑)
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ヤレヤレとホッとした顔で皆さん降りていきました(笑)
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今回は、全部の橋は撮れたが、それに気を取られて、沿岸の景色を楽しむゆとりが全然なかった。
あと二回くらい乗りたいと思っている。

(了)


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

おお、外堀クルーズに行かれたのですね。途中から雨とのこと、残念でしたね。この手のクルーズ、船の先頭部分にデジカメを据え付けて、ずっと映像を撮って、DVD-R化すれば、結構、楽しめるものができると思いました。

それにしても、最近はこの手のクルーズ、増えてきましたね。確か、岩本町のバザールに際、1回800円だったかで、秋葉原から飯田橋辺りまでのクルーズ船が出ますが、各回、満席だそうですし。

隅田川から飯田橋辺りまでの神田川、この辺りは川のすぐそばの道をよく歩くので、懐かしい気持ちで読ませていただきました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
隅田川のクルーズに続いて今回のクルーズで、
すっかりクルーズにハマりそうな感じです。
やはり川沿いに歩くのとは、全然違いました。
船の先頭に座って、ビデオを撮るのは
いいですよね。
ぜひ実現したいと思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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