八王子神(はちおうじがみ)/日本の神々の話

20150720

母と子の守護神である。
以下は、『日本の神様読み解き事典』より一部省略して載せている。

東京都下の八王子という地名の市がある。『新編武蔵風土記稿』多磨郡柚木領、八王子横山十五宿の条に、「此宿は元八王子城下より玆に移せし故八王子とも号せり。宿の沿革を尋ねるに、昔管領上杉家分国の比は、其家の老臣大石源左衛門定久この辺を総て領せり。其比定久郡中滝山に居城せしとき、当宿は其城下町にて、只横山、八日市、八幡宿の三町のみなりしと云、今も滝山村古城跡の辺に三町の名遣れり、定久が養子陸奥守氏照、天正年中に城を今の元八王子の内慈根寺と云所へ移し、八王子の権現を祀りて城の鎮守とせり、仍て八王子の城と号せり」とある。
 また元八王子村(現在八王子市元八王子)の条に、「八王子権現社。(略)城山の中にあり、相伝ふ延喜十三年の秋、華厳菩薩、妙行和尚この辺深沢山の麓に住し、この滝に入て勤行しけるとき、牛頭天王八王子権現の告によりて、同十六年三月十五日当社を勧請し、永くこの地の鎮守とし、寺を起し神護寺と号す……」とある。
 さらに「旧蹟、八王子城跡(中略)八王子権現なるを以て城の鎮守とせしにより、八王子城と号せしという……」とあります。

このことから八王子の地名の由来が、八王子権現からきていることがわかる。

まず母子神の信仰と言うものがある。
母子を神として祀ったものは原始信仰としてあり、たとえばマリアとキリストもそうである。
巫女が祭政を一にして執行していた時代、また巫女が子を生むのに際して、処女懐胎の信仰が根強くあり、そして生まれ出た霊童といおうか神の子の父が明らかでないというところに、神秘さが倍加されて、ますます深く信仰されていた。
このように、指導者で王権者であった巫女のお腹から、神の種の子として生まれた尊い王子は、すなわち神として崇められた。
八幡神もそうである。
祭神の母が神功皇后(息長足媛)で、主祭神は応神天皇というのがそれである。

八王子神はもともと仏神の一つで、父は日月灯明仏で法華経を宣伝した仏といわれ、この仏が出家する前にもうけた、有意・善意・無量意・宝意・増意・除疑意・背意・法意の八人の王子〈八王子〉をいう。
この八王子も威徳兼備して、天下を領し善政を行っていたが、父の仏が出家するに及んで、ことごとく王位を捨てて、父に従って出家した。そして法師となり、さらに善根を積んだといい、父の死後、文殊の前身、妙光菩薩に従って仏教を学び、無量百千万億の仏を供養して皆成仏したといわれ、最後に成仏した王子を燃灯と名づけたと伝えられている。

天台宗ではこの八王子神を崇め、比叡山延暦寺を守護する神、すなわち日吉山王七社(日吉または日枝神社ともいう)の第四社としている。社伝では八王子権現というのは天照大神の御子、五男三女の八王子神のことだとしており、神体は俗形坐像、御衣は束帯で、本地は千手観音としている。
祭神は国狭槌命など、さまざまの説がある。これは中古以降の神仏習合思想によるものである。

この天照大神の御子五男三女の話は『古事記』『日本書紀』のなかに、天照大神と素戔嗚尊が、天の安の河原での誓約の条に、素戔嗚尊の劔を大神が貰い受け、三つに割って生まれた多紀理・市杵島・多岐都の三媛神と、大神の髪につけた八尺勾玉から生まれた天忍穂耳・天穫日・天津日子根・活津日子根・熊野久須昆の五神があり、五男三女とはこのことをさしている。

また、舐園すなわち八坂神社の祭神である牛頭天王(またの名を武塔天神)が薩迦陀を妻とって八王子を生んだともいわれる。これをもって牛頭天王と素戔嗚専が結びつき、素戔嗚尊の子・五男三女に八王子を配して考えている信仰もある。

なお、明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、日吉山王権現・牛頭天王とともに八王子権現も廃された。
八王子社の多くは、日吉八王子神社・八王子神社・牛尾神社などとなっている。


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