青渭神社(あおいじんじゃ 延喜式内論社)/東京都稲城市

20150729

鎮座地: 東京都稲城市東長沼1054

参拝日:2015年7月26日(日)
この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で、稲城市にある式内社三社に参拝しましたが、大麻止乃豆乃天神社に続いて参拝しました。

場所は、近くの学校をナビに入力したのですぐにたどり着きましたが、周りにびっしりと民家が建ち並び、道も狭く神社にも駐車場が無いので、車を停めるところを探して神社の廻りを二周してあきらめ、6、7分歩いたところにあるコインパーキングに停めました。

境内は、細長い参道の奥にあり。
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丸い柱の社号標
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式内社として、武蔵國多磨郡八坐のうち、「青渭神社」の論社です。
論社は、もう二社あり、調布市深大寺と青梅市沢井にあります。

創祀年代は不詳。
青渭神社の論社は三社あり、当社を採用しているのは、『特撰神名牒』『地名辞書』『風土記稿』などがある。
この地は多摩川の氾濫原であり、長く沼地であった。その為、かつては大沼明神、青沼大明神などとも呼ばれていた。この長沼の地にしろ深大寺にしろ水に関わりが深い土地であり、青渭神は水神であると考えられている。
創建年代は不明であるが、伝承では弘仁年間(810年 - 824年)の創建とされている。現在の社殿は1974年(昭和49年)に造営されたコンクリート造りであるが、覆殿内に安置された本殿は17世紀初期の建立と推測されている。

神橋があって、一の鳥居がある。
この石造鳥居は、文政13年(1830)の建立。
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細長い参道が続いて、途中に二の鳥居があり。
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狛犬は2対置かれている。
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入り口側のは明治16年造立。こちらのほうが傷んでしまっている。
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本殿に近い1対の狛犬は文政10年(1830年)造立のもの。
頭の上がかなり窪んでいる。灯明を灯したものか、角を立てたが角が失われたものか。
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手水舎
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水盤は、嘉永元年(1848)造立で龍を刻んでいる。
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社殿の前には、古さびた大木も残っており、古くからの神域であることが理解される。
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由緒を記した看板
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拝殿
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拝殿の後ろに覆殿
覆殿の中に数百年経ているという本殿を納められているのだろう。
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祭神は青渭神、猿田彦命、天鈿女命の三柱。

神紋は「右三つ巴」
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境内社
中に二社納められているが、社名は不明。
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「疫神大権現(やくじんだいごんげん)宮」
調べたら、疫病神から福神に転化した神で、東京都品川区南大井の浜川神社の祭神があがったが、これかもしれない。
通称、疫神(やくじん)さま、浜川(はかまわ)さま。
天明から寛政にかけて、羽黒派の修験者・教光院了善が大井鈴ヶ森に一つの祠を建てて厄神大権現を祀った。弾圧されたが、嘉永年間に教光院の子孫が再興し、明治初年には浜川神社と改称した。
ちなみに、この「疫神大権現」で、私が確認した日本の神様は500柱めになりました。
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社殿の右後方に、この大木の根があった。
かって御神木だったと思われる。
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社殿の前に、この地が東京における梨の栽培の起源地だと説明があった。
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この手の河童狛犬の穴に関しては宝珠説と灯り説があるようですね。普通に考えれば、後者が正しいような気がします。前者は、なぜ、一体型にしないで2つに分ける必要があるのか、必然性に乏しい感じがします。前者で唯一考えられるのは、金属製のもの、あるいは、木製のもの等ををそこに置いた可能性だと思うのですが、そのような説は見あたりませんでした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
その理由はわかりませんが、江戸時代から
ずっと社殿を守ってきたんですよね。
神社めぐりをするようになって、狛犬も
それにつれてずいぶんとたまりました。
それでも江戸時代以前のものは、28組です。
やはり貴重ですよね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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