穴澤天神社(延喜式内社)/東京都稲城市
20150731
鎮座地: 東京都稲城市矢野口3292
参拝日:2015年7月26日(日)
この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で、稲城市にある式内社、大麻止乃豆乃天神社、青渭神社に続いて参拝しました。
場所はナビで大丈夫だったが、最初入り口を見逃して「よみうりランド」の山に上がっていってしまい、グルッと一回りしてしまった。
続いて、あらかじめネットで調べて細い道だが上がっていくと上に駐車できる、とわかっていたのだが、いかんせん道が細すぎて入っていくのに勇気がいった(笑)
社号標
式内社(武藏國多摩郡八坐のうち、穴澤神社)、旧郷社

創建は孝安天皇4年(紀元前423年)3月とされる。三沢川沿いの多摩丘陵の中腹が境内となっている。境内直下の崖下の洞窟の祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、これを汲みに来る者が絶えない。
『穴澤天神縁起』には、元禄7年(1694年)に地頭であった加藤太郎左衛門が社殿を改修、天満神社を合祠したとの記述がある。境内の北側(三沢川側)の斜面には横穴があって、かつてはここに石仏が安置されていたが、現在は威光寺の弁天洞窟内に移されている。この処置が廃仏毀釈の結果なのかどうかは不明である。社殿は1986年に修復された。
主祭神は、少彦名命だが、これは偽書とされる「惣國風土記」が典拠らしい。式内社調査報告でも、この地の神(穴澤天神)を祀ると見ている。菅原道真は、元禄七年の合祀。
鳥居の中は広い広場が広がっている。


手水舎

天保14年(1843)造立の狛犬





拝殿



向拝蟇股の彫刻は獅子

社額

本殿は覆屋のなか。

ご祭神は少彦名命、相殿が菅原道真公と大巳貴神と境内の掲示板ではなっていた。
神紋は、「右三つ巴と梅鉢」

社殿の背後は深い谷となっている。




神楽殿では毎年8月の例大祭時に、国指定重要無形民俗文化財の「江戸の里神楽」が奉納されます。

「楽屋」の貼り紙があり。神楽が盛んなことがわかる。

境内に、江戸里神楽がエジプトで上演された記念碑が立っていた。

境内社・稲荷社


御神木の巨大な根が保存されていた。


筆塚


境内から深い森となっている。

境内には、稲城の地名の命名者といわれる漢学者窪全亮の私塾「奚疑塾」の功績を称えた顕彰碑が建つ。



境内入口、鳥居前に境内社二社。
神明神社(天照大神)

山王神社(大山咋神)

境内社二社の横に坂が降りていて、「辨天社」がある。これも境内社であり参拝する。

けっこう急な坂だ。

こちら側にも鳥居あり。

弁天社


ここに洞窟があり、洞窟の平面図はH型になっている。

右側の洞窟の奥には仏像があり。


途中に左の洞窟に通じる横穴があり。

左側の洞窟の奥には石祠がある。つまりこちらには何らかの神が祀られている。
穴澤天神のもとになるものか。


すぐそばに「東京の名湧水57選」に選ばれた湧水があり、この水を汲みに来る人がひっきりなしに訪れています。


この日も暑くて、その中を三社お参りしてきたので、この水は有難かった。
手と顔を洗って、やっと人心地が帰って来た。
飲んだら、とても美味しかった。

すぐそばを「京王相模原線」が高架で通っていた。
鳥居越しに狙ってみた。

この日は、朝早く出てきてバタバタと午前中に三社参拝してまわり、終わってやっとホッとして、高速インターまでの帰り道、ラーメン屋さんを探しながら行き、美味しいラーメンを食べてから帰途につきました。
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参拝日:2015年7月26日(日)
この日は、個人的に取り組んでいる「武蔵国式内社めぐり」で、稲城市にある式内社、大麻止乃豆乃天神社、青渭神社に続いて参拝しました。
場所はナビで大丈夫だったが、最初入り口を見逃して「よみうりランド」の山に上がっていってしまい、グルッと一回りしてしまった。
続いて、あらかじめネットで調べて細い道だが上がっていくと上に駐車できる、とわかっていたのだが、いかんせん道が細すぎて入っていくのに勇気がいった(笑)
社号標
式内社(武藏國多摩郡八坐のうち、穴澤神社)、旧郷社

創建は孝安天皇4年(紀元前423年)3月とされる。三沢川沿いの多摩丘陵の中腹が境内となっている。境内直下の崖下の洞窟の祠からは東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、これを汲みに来る者が絶えない。
『穴澤天神縁起』には、元禄7年(1694年)に地頭であった加藤太郎左衛門が社殿を改修、天満神社を合祠したとの記述がある。境内の北側(三沢川側)の斜面には横穴があって、かつてはここに石仏が安置されていたが、現在は威光寺の弁天洞窟内に移されている。この処置が廃仏毀釈の結果なのかどうかは不明である。社殿は1986年に修復された。
主祭神は、少彦名命だが、これは偽書とされる「惣國風土記」が典拠らしい。式内社調査報告でも、この地の神(穴澤天神)を祀ると見ている。菅原道真は、元禄七年の合祀。
鳥居の中は広い広場が広がっている。


手水舎

天保14年(1843)造立の狛犬





拝殿



向拝蟇股の彫刻は獅子

社額

本殿は覆屋のなか。

ご祭神は少彦名命、相殿が菅原道真公と大巳貴神と境内の掲示板ではなっていた。
神紋は、「右三つ巴と梅鉢」

社殿の背後は深い谷となっている。




神楽殿では毎年8月の例大祭時に、国指定重要無形民俗文化財の「江戸の里神楽」が奉納されます。

「楽屋」の貼り紙があり。神楽が盛んなことがわかる。

境内に、江戸里神楽がエジプトで上演された記念碑が立っていた。

境内社・稲荷社


御神木の巨大な根が保存されていた。


筆塚


境内から深い森となっている。

境内には、稲城の地名の命名者といわれる漢学者窪全亮の私塾「奚疑塾」の功績を称えた顕彰碑が建つ。



境内入口、鳥居前に境内社二社。
神明神社(天照大神)

山王神社(大山咋神)

境内社二社の横に坂が降りていて、「辨天社」がある。これも境内社であり参拝する。

けっこう急な坂だ。

こちら側にも鳥居あり。

弁天社


ここに洞窟があり、洞窟の平面図はH型になっている。

右側の洞窟の奥には仏像があり。


途中に左の洞窟に通じる横穴があり。

左側の洞窟の奥には石祠がある。つまりこちらには何らかの神が祀られている。
穴澤天神のもとになるものか。


すぐそばに「東京の名湧水57選」に選ばれた湧水があり、この水を汲みに来る人がひっきりなしに訪れています。


この日も暑くて、その中を三社お参りしてきたので、この水は有難かった。
手と顔を洗って、やっと人心地が帰って来た。
飲んだら、とても美味しかった。

すぐそばを「京王相模原線」が高架で通っていた。
鳥居越しに狙ってみた。

この日は、朝早く出てきてバタバタと午前中に三社参拝してまわり、終わってやっとホッとして、高速インターまでの帰り道、ラーメン屋さんを探しながら行き、美味しいラーメンを食べてから帰途につきました。
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コメント
No title
四季歩さん、こんにちは
この神社の境内、結構、広そうですね。まっすぐな注連縄、初めて見ました。有名な湧き水とのことですが、意外に水量が少ないですね。昔はもっと出たのでしょうが、おそらく、都市化も影響しているのでしょうね。この出方だと、1人20リットルと言うのも納得できます。
裏高尾の蛇滝口そばにも有名な湧き水がありますが、ここも以前の半分位の出方になっていますが、時々、1リットルのプラスティックボトルで10本以上を入れていく人を見かけます。
この神社の境内、結構、広そうですね。まっすぐな注連縄、初めて見ました。有名な湧き水とのことですが、意外に水量が少ないですね。昔はもっと出たのでしょうが、おそらく、都市化も影響しているのでしょうね。この出方だと、1人20リットルと言うのも納得できます。
裏高尾の蛇滝口そばにも有名な湧き水がありますが、ここも以前の半分位の出方になっていますが、時々、1リットルのプラスティックボトルで10本以上を入れていく人を見かけます。
matsumoさん
コメントありがとうございます。
都内の湧水の水量は、どこも減っていますよね。
どこでも地下水のくみ上げ量が増えているので、
仕方ないと思います。
あとは、人の心も変わったと思います。
自分だけが良ければいいという人が
増えすぎました(苦笑)
都内の湧水の水量は、どこも減っていますよね。
どこでも地下水のくみ上げ量が増えているので、
仕方ないと思います。
あとは、人の心も変わったと思います。
自分だけが良ければいいという人が
増えすぎました(苦笑)