宝泉寺の芭蕉句碑/金沢

20150809

所在地:石川県金沢市子来町57

8月2日、泉鏡花記念館を見物したあと、私は近くのひがし茶屋街奥、卯辰山の宝泉寺に芭蕉の句碑があるので行くことにし、その間、家族は娘が探したレトロが売りの喫茶店で待っていることにしました。

浅野川大橋を渡ります。
左隅上の方に幟が立っているところが目的地の宝泉寺です。
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自由軒の前を通って、ひがし茶屋街に入ります。
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ひがし茶屋街を通り抜けます。
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さっさと通り抜けるつもりでも、やはり綺麗な人が居ると、ついシャッターを(笑)
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ひがし茶屋街の一番奥
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宇多須神社の前です。
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脇の急な坂道(子来坂)を登っていくと、その途中にあります
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宝泉寺に着きました。
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入り口から上りですが、石仏が並んでいます。
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入り口から入ってすぐの左手に芭蕉の句碑がありました。
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ここは、芭蕉が訪れたといわれる俳人鶴屋句空の草庵「柳陰軒」があった場所である。
現在は宝泉寺の寺域になっている。

ここでの句は「ちる柳 あるじも我も 鐘を聞く」 
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文字はほとんど摩滅しているとの情報だったが、刻み直してあった。
「柳陰軒址」も刻んである。
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せっかくだから、お寺にもお参りすることにした。
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石段を上がりつめて左に折れるとお堂がある。
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石仏が多い。
寝釈迦を彫った石仏は初めてだ。
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本堂
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天正十一年(1583)、前田利家公が加賀国金沢城入城の際、城内の越後屋敷の地に摩利支天堂を創建し、摩利支天尊を自らの守護神として奉安し信仰崇拝されました。また利家公は末森の戦や関東の戦では、摩利支天尊を兜の中におさめて出陣せられ、加護を受けられたことはつとに有名です。

慶長六年(1601)、二代目利長公のとき、金沢城の鬼門(北東)にあたる向山の中腹に一万坪の地を寄進せられ、城内の摩利支天尊を当地に移築奉安し、「摩利支天山」と命名され、加賀百万石の「鬼門封じ」とし、別当宝泉坊が勤仕したのが、当寺の起こりという。

慶長十一年(1606)、利常公が「名人越後」と呼ばれた剣聖、富田越後守重政に堂宇を建立させてより、摩利支天尊は金沢城を眼下にするこの山頂に鎮座し、加賀百万石の城下町を守護してきた。

本堂の前面に天狗の面があり。
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ちなみに、本尊の前田利家の摩利支天像は秘仏であり、ご住職も一度しか見ていないという。

境内に、泉鏡花の作品に書かれた「五本松」 がある。
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○泉鏡花の作品
明治28年1月『春夏秋冬』に発表した「聾の一心」は、彫金師の父、清次(号政光)の死を扱ったものです。その中の一節。
「魔所の名高き五本松、宇宙に朦朧と姿を顕じて(あらわして)梢に叫ぶ天狗風、川の流れと相應じて、音無き夜に物寂し」

短編『五本松』のあらすじ
秋の夜更け、血気盛んな若者三人が天神山に登り、夜中の騒がしさを嫌う魔神のすみか「五本松」前で、放歌高吟して帰る。するとそのたたりか、若者の一人は朝まで騒ぐ修羅の足音で眠れず、手足を血まみれにした仲間の一人が戸をたたく幻を見る。その下宿へ駆けつけてみると、案の定、両手は黒ずんだ赤色にまみれており、二人は顔を見合わせる。窓を開けば、五本松の梢が向こうの物干しの陰からほっかりと見えるが、それを見るにつけ、何かはばかるところがあってその二三日は垂れこめていた。それだけで無事であった。

境内に、金沢出身の幕末の俳人桜井梅室の句碑が二つあった。
「ひと雫 けふの命そ 菊の露」
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「屋の棟に そふて植けり 梅柳梅室」の句碑です。
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桜井梅室 (さくらいばいしつ 1769-1852)は、本名を能充といい、加賀藩の研刀御用係であったが、1807年(文化四)、三十九歳の時、俳諧師になるため辞職し上洛する。文政・天保期は江戸に居住。一時金沢に引退したものの再び上洛。
京都に没し、寺町広小路の北本禅寺に葬られた。享年八十四歳。

境内からの金沢の町の眺め。
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浅野川が小さく見える。
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参道に、木槿(むくげ)が咲いていた。
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この日もすごい猛暑だったのだが、待たせているという意識から、駆けずり回ったので、家族が待っている喫茶店に戻ったときには、息も絶え絶え、汗ぐっしょり(苦笑)
よくぞ熱中症にならなかったものだと、ちと反省しました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、時間が押しているとは言え、やはり、調査や撮影やは1人で行った方が気分が楽ですよね。汗、びっしょりになったとのこと、当日は私は小諸駅から布引観音への歩きでしたが、こちらも長い長い坂があり、猛暑と坂で汗びっしょり状態でした。

茶屋街の奧にお寺があったのですね。結構、雰囲気が良さそうな所ですね。大昔に行った時は、茶屋はあまりの人の多さにめげて、入口付近しか行きませんでした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
布引観音の、あの坂を暑い時に上るなんて、
すごいことをしましたね(笑)
つらかったことと思います。
ひがし茶屋街の奥は、卯辰山の上がり口
ですから、上にも色々なものがあります。
金沢は、何処に行っても楽しいですね。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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