兼六園補遺/金沢

20150811

私たちが毎年金沢で泊まるのは、香林坊の金沢東急ホテルです。なんといっても地の利が良いので気に入っています。

8月3日の朝、朝食前に、7:30にホテルから兼六園まで散歩しました。
家族には散歩ですが、私には二つの目的がありました。

兼六園は、昨年(2014年)この際だからとほぼ全てを撮ったつもりでしたが、洩れているのがわかった2点です。

その兼六園の記事を読む


いつもの通り、旧四高の建物前を通ります。
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真弓坂から入っていきます。
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緑が気持ち良い。
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瓢池、夕顔亭の前を通り、松濤坂を上がると、噴水の前。
日本最古の噴水で、サイフォンの原理で霞ケ池の水面と同じ高さに上がっているわけです。
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たしか、この辺だと、「ブラタモリでやっていた、金沢城に水を送っていた桝はどこですが?」と、公園の人に訪ねるが、なかなかわからない(泣)
訪ねること三回目でやっとわかりました(嬉)

目的の物は、琴柱灯篭の向かいにありました。
霞ケ池から、こちらに水路があります。
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その水路が延びています。堰板で止められている。
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はっきりと水路はわかりますね。
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ブラタモリのときは、タモリさんは桝の所まで入れてもらっていましたが、私は望遠で撮るだけです。
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この桝から下に落として、百間堀の下を通して、逆サイフォンの原理で金沢城に水を送っていた。
江戸時代にそれをやったのだから、大したものです。

百間堀(明治時代の写真)
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現在は百間堀通りとなっている。
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百間堀通りの上を、兼六園と金沢城石川門をつないでいる石川橋
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現在は金沢の中で最も有名な場所の一つとして知られる兼六園ですが、辰巳用水が作られた頃はまだ庭園としては整備されておらず、武家地であったようです。兼六園は1822年(文政5年)、竹沢御殿として整備されたものです。辰巳用水の水は兼六園の曲水としても使われました。辰巳用水の水は城の飲料用としても使われたのですが、城との間は谷間となって百間堀がありました。そこで堀の下に導水管を通して城へ水を導いたのです。これは伏越(ふせごし)(逆サイフォン)という技術です。サイフォンは、高い場所を乗り越えて低い位置へ水などの液体を移動させることをいいますが、金沢では低い位置を通すため、逆サイフォンと呼ばれています。当初は導水管として木桶(もくひ)が使われていました。構造は角材に凹状の溝を掘り、その上に蓋をかぶせるというものです。1860年代に石管に取り替えられましたが、こちらは石の真ん中を丸くくり抜いたものでした。石管と石管の接合部分からの漏水を防ぐために松脂が使われました。石管の直径からみて、それほどの水量はなかったようです。

尾山神社境内に置いてあった石管
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霞ケ池をあとにして。
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日本武尊像(明治記念碑)を過ぎて、山崎山まで来ると、目的の芭蕉の句碑がある。
今回、倶利伽羅峠の芭蕉の句碑をきっかけに、金沢にある芭蕉句碑を調べたら、なんと兼六園にもあり、私は昨年の夏に撮り漏らしていた(汗)

山崎山という小高い丘があるが、その上り口に芭蕉の句碑がある。
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「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」 の句碑。
書は江戸後期金沢の俳人梅室の筆によると案内板に書いてある。梅室は前記事の宝泉寺に句碑を残している人物である。
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「あかあかと----」の句は金沢に入る前に作られたそうだが、おくのほそ道には金沢から小松に行く途中の句として載せられている。

せっかくだから、山崎山に上がる。
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頂上にある四阿の掲額がよかった。
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下を見下ろすと、公園の人が朝から池の掃除をしていた。
ありがとうございます。
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山崎山の中腹にあった「御室の塔」
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歩いていくと、苔の素晴らしいところあり。
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「竜石」があり。
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「鶺鴒島」
人生の三儀式である「誕生」「結婚」「死」をそれぞれ陰陽石、相生の松、五重の石塔で表し、配置しています。昔、いざなみ、いざなぎの尊が、男女和合の方法を鶺鴒から教わったという故事より、その名が付けられました。正面に「三社」と書かれた石額がかかった鳥居を据えており、他の大名庭園でも例を見ない珍しい構成であると言えます。
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これで、今回の兼六園での補遺は終了。
芭蕉の句碑に関しては、金沢で残っているのは、いまわかっているもので、有名な忍者寺がある寺町に三か所ある。
これは、芭蕉の門人で加賀金沢の人「小杉一笑」に関するもので、絶対に外せません。
次回金沢に来た時のお楽しみとします。

ホテルの朝食バイキングが美味しいので、飛んで帰りました(笑)


「お気に入りの場所」に飛ぶ



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、逆サイホン現象ですか。と言うことは、兼六園より城の方が低い位置にあると言うことですよね。城と言うと、高い位置にあるような気がしますが、そうではなかったのですね。それにしても、作るのは結構、大変だったでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
金沢城の位置は、軍事的な地形から選ばれたのではなくて、
「金沢御坊」の跡地に作られたというわけですね。
あの一向宗の聖地を残してはいけないという。

あの時代に、サイフォン原理を採用したのは、
素晴らしいです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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