武家屋敷跡/金沢

20150813

8月3日の朝、兼六園を散歩した後、ホテルで朝食。
チェックアウトは12時までなので、それまで武家屋敷を見てまわりました。

金沢に行く前に、下の娘が金沢で行きたいお菓子屋さんがあると連絡してきて、調べると武家屋敷の野村家住宅の横にあると判り、しかも2ケ月くらい前に歴史クラブの先輩の井上さんが金沢に遊んで、野村家住宅が良かったと教えて下さったので、それなら久しぶりに武家屋敷を散策するかと、予定に入れました。

ホテルの前から坂を降りると、せせらぎ通り商店街で、流れているのは鞍月用水(くらつきようすい)です。ブラタモリでも取り上げていましたが、ここは金沢城の「外惣構え」の位置で、この眺めは「惣構え」を想像できるものです。
堀が道幅一杯であり、右手にあった土塁が今の建物と同じくらいの高さだったと云います。
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この「惣構え」は、家康が金沢を攻めると宣言したため、それに対し申し開きをするのと並行して利長が築いたもの。
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結局「お松の方」が江戸に人質に行くということで、金沢攻めは実行されなかった。
どうして家康が金沢を攻めると云ったかというと、利家死去後に、利家が家康の暗殺を企てたことがわかったから。
利家が今わの時に家康が見舞いに来たが、利家はこれが家康を倒す最後のチャンスと考え、利長に家康暗殺を命じた。利家が寝ている布団の下に刀が置いてあったという。
利長は、家康を倒しても、秀忠が成人している今となっては、徳川家優位の体制を覆すことは出来ないと、それを諌めて、実行しなかった。

しかし利家は、家康殺害を利長だけでなく、五千石取の家臣徳山五兵衛、剣の達人片山伊賀にも命じていた。
この中で、徳山五兵衛が問題の多い男だった。初め織田信長に仕え、柴田勝家が越前北の庄に封じられると家老になった。勝家が死ぬと娘が利長の家臣に嫁いでいる縁を頼って利家に拾ってもらった。ところがこの男は、いずれ天下は家康のものになると読み、利家には無断でもう一人の娘を家康に差し出していた。
そして利家の死の翌日には、さっさと出奔して家康のもとに駆け込み、利家に家康殺害の計画があったと報じ、まんまと五千石の家臣にしてもらったのである。
(『われに千里の思いあり』中村彰彦著 より)
いつの時代にも、何処にでもこういう人物は居るものだ。

せせらぎ通りから入れば、そこはもう武家屋敷町である。
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ここが人気スポット。
松を活かすために、門わきの塀を破っている。
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細く、微妙に折れたり、鍵型に曲がったりしている。
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ブラタモリで教えてもらったのだが、石高、地位で石垣の高さも決まっていて、こういうことが起こる。
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武家屋敷町を抜けると大野庄用水。
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用水沿いにちょっと歩くと、目的のお菓子屋さんと野村家住宅の前。
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大野用水について
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説明にあった句碑
「御荷川の なごり床しき 水の秋」
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野村家住宅跡
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説明書き
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この説明書きをちゃんと読まないで、中に入ったので頭を抱えてしまった。
至る所に「千二百石」と書いてある。
それで、千二百石の武士の暮らしはどんなだったろうと楽しみにしたのだ。
というのは、カミさんの家は江戸時代は百姓だが、加賀藩に千二百石納める「十村役」であった。
加賀藩は、村に「肝煎(きもいり)」を置き、十ケ村を束ねる「十村役」を置いた。加賀藩の役人は十村役を相手にすれば良いというわけである。
武士の場合は、実質4割だったそうだから、千二百石といっても実質の収入は480石だったそうだが。

野村家住宅の中を見始めて、混乱してしまった。
「謁見の間」があり、凝りに凝った茶室。
千二百石で、そんなバカな・・・・・・・
加賀藩の場合、筆頭家老本多家が五万石、家老は一万石以上。
わが歴史クラブに五千石取りだった加賀藩武士の末裔が居るが。
千二百石取り以上の武士だと、三桁は居たはずだ。
ごく中流の家庭であったはずである。

見終わって、出てからまたこの説明を見て納得。
この家は、ほとんどは豪商の遺構を持ってきたもので、誇るべき金沢文化の展示であった。

玄関
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式台を上がると、天正12年(1584)の能登末森城の戦いに野村伝兵衛が着用したという鎧兜が置かれている。
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襖、欄間、障子などきれいな部屋だ。
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書院の造りも素晴らしい。
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上段の間の釘隠し(江戸時代)
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内庭に置かれた組石は、金沢城の石垣として切り出されたが、山に残された石で、切りだし人夫の目印入りの戸室石。
当時は一般使用禁制の石だった。
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謁見の間(上段の間)
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上段の間の縁側で、庭を眺めた。
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仏間
仏壇は、北陸特有の金仏壇。
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襖絵
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茶室が二階にあり、手洗いから石段を上がっていく。
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茶室入り口
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桐板天井に神代杉の一枚板。
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もう一つの茶室
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茶室からの眺め
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○鬼川文庫
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陳列品は、金沢文化の粋。
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前田利長が与えた知行所目録
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徳川幕府の貨幣制度の説明があり、これは判りやすくて良かった。
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これで、野村家住宅を見終わり、娘が行きたがっていた菓子店「たろう」に寄った。
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まずは、奥の喫茶コーナーに飛び込んだ(笑)
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私の頼んだ「白玉ぜんざい」
美味しかった。
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その後、ここでお菓子を買って帰りました。
美味しいお菓子でした。


「たろう」のHP



これで、今回の金沢での予定は全て終了。
12時直前にホテルをチェックアウト。金沢駅から新幹線「かがやき」で帰ってきました。
今回、千二百石取の野村家住宅を見ようとして、豪華すぎてズッコケたので、次回は中流の武士の、質実剛健な生活がうかがえる家を探して見たいと思う。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、「武家屋敷跡」と書かれているところがミソなのですね。すなわち、武家屋敷跡に建っている野村家と言う訳ですね。

昔、金沢に行った時は、武家屋敷については気がつきませんでした。写真を見せていただいて、雰囲気が結構、良さそうですので、その内に行きたいです。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
土塀がずっと続いている一帯は、子孫の方が
そのまま暮らしているようです。
冬は、土塀は土が落ちないようにこもを
掛けなければならないとか、あの景観を
維持するのは大変だと思います。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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