丹生都比売命(にうつひめのみこと)/日本の神々の話

20150815

別名 丹生都姫神(にうつひめのかみ)、爾保都比賣命(にうつひめのみこと)、丹生明神(にうみょうじん)

私は、今年正月に「武蔵野七福神」を回った際に、飯能の諏訪八幡神社を参拝した際、境内社の丹生(たんしょう)神社(丹生大明神)にてお参りした。
丹生神社は、丹党の一族加治助季が中山の領主となった時に鎮座させたもの。
武蔵七党のうち、丹党は、古くは水銀、銅、砂金、産鉄・製鉄など金属資源に深くかかわりのある集団でした。

爾保都比賣命は国堅大神の子。
国堅大神は『播磨国風土記』に登場する名で、大国主命の別名です。
神功皇后の三韓遠の時、この神が国造石坂比売命に憑いて、 自らをよく祭祀するならば、新羅を治める善験をなさうと教へて赤土をえた。
この赤土を、天之逆鉾に塗り軍船の艫舳に挿立て、皇軍の甲衣をも染めたため、 航海の障害に合うこともなく新羅を平伏し得た。
そこで紀伊国管川藤代の峯に奉鎮されたという。
一説には、丹生都比売命は天照大神の妹神(稚日女尊)。応神天皇によって天野に祀られたという。
高野御子神は丹生都比売命の御子神、あるいは夫神であるという。
弘法大師が始めて高野へ登った時に出現して、 「我は丹生津姫、我が子は高野童男(ふとな)」と言ったという。
丹生の「丹」とは、丹砂あるいは水銀のことで、 古代において、薬・塗料・染料・顔料に使用され、重要な資源であった。 丹生都姫命は、その鉱物資源採取を生業とする丹生氏の奉じた神。

弘仁七年(816年)空海は嵯峨天皇から高野山を賜った。
高野山の地を空海が丹生都比売から譲り受ける説話は二種類ある。
丹生明神の土地譲り 
空海が霊地を求めて大和国宇智郡まで来たとき南山の犬飼なる大男にあった。大男の協力で大小二匹の黒犬が案内し、紀伊との境の川辺で一泊した。 そこに一人の山民が現れ空海を山へ導いた。山の王、丹生明神・天野宮の神であった。この宮の託宣により丹生明神は自分の神領を空海に献じた。
借用書の説話(1)
弘法大師は高野明神から十年間の期限付きで神領地を借り受けたが、その後密かに十の上に点を加えて千とした。高野明神が十年後返還を求めたが、千を盾に応じなかったと云う。
借用書の説話(2)
千年の借用書で借り受けたが、白ネズミが千の文字を食い破ったので、永久に借り受け、返還せずとも良くなった。 

丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ、にうつひめじんじゃ)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある神社。式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。別称として天野大社・天野四所明神とも。
高野山近くに鎮座し、高野山と関係の深い神社である。
国宝「銀銅蛭巻太刀拵」のほか、本殿および楼門などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡である。2004年7月、本殿、楼門および境内は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。
祭神は、以下の4柱の神を祀る。
第一殿:丹生都比売大神 (にうつひめのおおかみ) - 通称は丹生明神
第二殿:高野御子大神 (こうやみこのおおかみ) - 通称は狩場明神
第三殿:大食津比売大神 (おおげつひめのおおかみ) - 通称は気比明神
第四殿:市杵島比売大神 (いちきしまひめのおおかみ) - 通称は厳島明神
「丹」は朱砂(辰砂-朱色の硫化水銀)のことであり、その鉱脈のある所のことを「丹生」という。朱砂はそのまま朱色の顔料となり、精製すると水銀がとれる。丹生都比売大神は、朱砂を採掘する一族が祀る神であると考えられている。『丹生大明神告門(のりと)』では、丹生都比売大神は天照大御神の妹神であるとしており、稚日女尊と同一神とする説もある。
創建の年代は不詳である。『丹生大明神告門』では、祭神の丹生都比売大神は紀の川川辺の菴田の地に降臨し、各地の巡行の後に天野原に鎮座したとしている。『日本書紀』の神功皇后条に「天野祝」の名があり、当社の神官のことと考えられている。丹生都比売神の名の国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条である。『延喜式神名帳』では「紀伊国伊都郡 丹生都比女神社 名神大月次新嘗」と記載されている。
空海が高野山金剛峯寺を開く際に神領の一部を寄進したと伝えられ、高野山の鎮守神とされた。『今昔物語』には、密教の道場とする地を求めていた空海の前に「南山の犬飼」という猟師が現れて高野山へ先導したとの記述があり、南山の犬飼は狩場明神と呼ばれ、後に当社の祭神である高野御子大神と同一視されるようになった。鎌倉時代以降は、高野山上の僧が厳冬期の避寒のための当社に帯在したり、高野山で火災があったときに仮執務が行われたりなど、高野山との関係がより深くなった。修験道の修行の拠点ともなっていた。
鎌倉時代に、行勝上人により気比神宮の大食比売大神、厳島神社の市杵島比売大神が勧請されて、現在の形となった。行勝は若宮に祀られている。鎌倉時代ごろから紀伊国一宮を称するようになった。

空海と狩場明神と犬
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丹生都比賣の出現
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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

神功皇后が得た「赤土」って、丹のことだったのでしょうか。それとも、関東地方に見られる単なる赤土なのでしょうか。

それにしても、丹と言うか、朱は棺の中に入れたと言う話は聞きますが、後の使い道は不老不死薬か、水銀として、金メッキ等で使っかったのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
神功皇后が得たという話は、軍資金ともいえるような
内容なので、丹生のことではないかと思います。
水銀として、用途は色々とあったと思いますが、
何よりも、金鉱石から純金を取り出す製錬に、
丹生が不可欠だったことが大きいですね。
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とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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