八幡神 (はちまんじん)/日本の神々の話

20150819

全国で一番多い(統計の取り方、屋敷神までいれるかどうかとか、範囲の取り方などでお稲荷さんと争っている)という八幡神社の、かっての祭神。明治はじめの神仏分離令で、八幡神社の祭神は応神天皇(誉田別命)ということになったが、八幡神社が武神として信仰された理由を説明するとき、「八幡神」を持ち出した方が説明しやすい。

それから、有名な那須与一が弓を射る時に「南無、八幡大菩薩・・・・・」と唱える場面があるが、八幡という神と菩薩という仏をくっつけて言うのはおかしい、「神よ、仏よ・・・・・」という意味で言ったのだろうか、と思っていた時期があった。
本当に「八幡大菩薩」があったのだ(笑)

(以下、WIKIPEDIAから引用)
八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。

現在の神道では、八幡神は応神天皇(誉田別命)の神霊で、欽明天皇32年(571年)に初めて宇佐の地に示顕したと伝わる。応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている。また、神社によっては八幡三神のうち、比売神や、神功皇后に代えて仲哀天皇や、武内宿禰、玉依姫命を祀っている神社も多くある。
比売神とは、宗像三女神(すなわち多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)とされ、筑紫の宇佐嶋(宇佐の御許山)に天降られたと伝えられている。神功皇后の三韓征伐の成功により、宗像氏らの崇拝する宗像三女神は神として崇拝を受けたと考えられる。また、八幡神の顕われる以前の古い神、地主神であるともされている。

ちなみに狭山市の八幡神社は、主祭神が応神天皇 (誉田別命) で、合祀神が天照皇大御神・春日大神となっており、通常のかたちとちょっと違っている。

【神仏習合】
僧形八幡神
東大寺の大仏を建造中の天平勝宝元年(749年)、宇佐八幡の禰宜の尼が上京して八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したと伝えたと記録にあり、早くから仏教と習合していたことがわかる。天応元年(781年)朝廷は宇佐八幡に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号を贈った。これにより、全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。後に、本地垂迹においては阿弥陀如来が八幡神の本地仏とされた。
平安時代以降、清和源氏、桓武平氏等の武士の尊崇をあつめて全国に八幡神社が勧請されたが、本地垂迹思想が広まると、僧形で表されるようになり、これを「僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)」という。

八幡神を応神天皇とした記述は「古事記」や「日本書紀」「続日本紀」にはみられず、八幡神の由来は応神天皇とは無関係であった。「東大寺要録」や「住吉大社神代記」に八幡神を応神天皇とする記述が登場することから、奈良時代から平安時代にかけて応神天皇が八幡神と習合し始めたと推定される。八幡神社の祭神は応神天皇だが、上述の八幡三神を構成する比売神、神功皇后のほか、玉依姫命や応神天皇の父である仲哀天皇とともに祀っている神社も多い。

「八幡」の文字が初めて出てくるのは『続日本紀』天平9年(737年)で、読み方を同書天平勝宝元年(749年)の宣命に「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」のように「ヤハタ」と読み、『日本霊異記』の「矢幡(ヤハタ)神」や『源氏物語』第22帖玉鬘の「ヤハタの宮」のように「八幡」は訓読であったが、のちに神仏習合して仏者の読み「ハチマン」、音読に転化したと考えられる。

「幡(はた)」とは「神」の寄りつく「依り代(よりしろ)」としての「旗(はた)」を意味する言葉とみられる。八幡(やはた)は八つ(「数多く」を意味する)の旗を意味し、神功皇后は三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には祭壇に八つの旗を祀り、また応神天皇が降誕した際に家屋の上に八つの旗がひらめいたとされる。

宇佐八幡宮神託事件
神護景雲3年(769年)、天皇の位を狙っていた道鏡は、称徳天皇によって道鏡を次の皇位継承者に指名させようとして、「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」旨の託宣が宇佐神宮からあったと宣言した。しかし、朝廷は和気清麻呂を宇佐神宮に遣わし、神意を確認したところ、「無道の者掃除(そうじょ)すべし」との託宣が下り、和気清麻呂は宇佐八幡の託宣を受けて道鏡の目的は達成されなかった。(宇佐八幡宮神託事件)

明治元年(1868年)神仏分離令によって、全国の八幡宮は神社へと改組されたのに伴って、神宮寺は廃され、本地仏や僧形八幡神の像は撤去された。また仏教的神号の八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は明治政府によって禁止された。宇佐八幡宮や石清水八幡宮の放生会は、それぞれ仲秋祭、石清水祭へと改めさせられた。鶴岡八幡宮は現在でも6月に蛍放生祭、平成16年(2004年)からは加えて9月に鈴虫放生祭と年2回実施している。


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コメント

No title

宇佐八幡宮の神託の話、何で突然、その神社が出てくるのか、わからないですよね。そもそも、皇室に関係あることなのですから、伊勢神宮に聞くのが当たり前だと思うのですが。そう言えば、伊勢神宮って、神託や占いをやっているとは聞いたことがないですね。

私の家から15分位の所に「田端八幡神社」がありますが、20年位前だったか、過激派に焼き討ちされてしまいました。その後、氏子の人達により、木造の立派な建物ができて良かったのですが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
伊勢神宮は皇祖神として祀られているわけですね。
最初のころの神社を見ると、風を治めるのは竜田神、
水を治めるのは廣瀬神、祟りを治めるのは大神神社とか
役割が決まっていました。
占いでは宇佐八幡の役割が大きかったようです。
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Author:四季歩
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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