吾妻鏡/目録・系図

20150923

9月18日(金)に、国立公文書館で『吾妻鏡』と『延喜式』のうち「祝詞」を閲覧しました。
『延喜式』のうち「祝詞」を閲覧したのは、いま梅原猛の「神々の流竄」を読んでいますが、その中で延喜式の「祝詞」を引用しているので、この際原本を手に入れておこうと思ったので。

『吾妻鏡』については、最近狭山市の「城山砦」の子供向けパンフレット作製に携わった際に、手持ちデータの整備もしました。
その中で、「柏原太郎」の名前が出てくる『吾妻鏡』については、いままで活字にされた翻訳本のコピーしか持っていなかったので、原本のコピーを手に入れよう、というわけです。

所期の目的の部分を撮影はしましたが(別記事)、せっかくなので、今後の参照のため目録と、巻初に載っていた「系図」も撮影してきたので、ここに紹介します。

『吾妻鏡』について:
(Wikipediaから)
鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す。成立時期は鎌倉時代末期の1300年頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。
編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。

なお、室町時代には『吾妻鏡』と呼ばれ、『東鑑』と呼ぶのは江戸時代初期の古活字本からである。

閲覧は、巻別に出来るようになっていましたが、不勉強で『吾妻鏡』の構成もわかっていなかったので、全冊閲覧としました。
全部で51冊となり、一度には30冊までというルールなので、二回に分けての閲覧でした。

国立公文書館に蔵書されているのは、以下の経歴のものです。
室町時代写本⇒紅葉山文庫(江戸城将軍の文庫)⇒明治期皇居内文庫⇒内閣文庫⇒国立公文書館

表紙
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原本(写本)の表紙画像
原本は重要文化財なので、画像で製本されたものとなります。
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このように、二枚を並べて1ページとしています。
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目録
このようになっていて、年号がわかればお目当ての巻がわかるようになっています。
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鎌倉幕府将軍次第
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三代のあと一時、北条政子が将軍となり、その後は京都から公家の子供や親王を、お飾りとして据えた。
大人になってくると自立心から北条政権と軋轢が生じてきて、首を挿げ替えるといった推移が続いた。
北条政子が「平政子」と書かれたのは、三代で源氏の政権は終わったということを示している。
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源氏の系図
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歴代の鎌倉幕府執権
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平氏の系図
北条時政、政子の名前があり。
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中世の、特に東国武士団の歴史については、一つのテーマとして抱いているので、何かにつけ『吾妻鏡』の記述を参照するようにして、やっていきたいと思っています。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、「平」とか「源」あるいは「北条」とかの姓を名乗らず、名前だけしか乗っていないのですね(載っているのは、政子だけですし)。また、北条氏が源氏ではなく、平家を名乗っているのには驚きました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
平家を滅ぼした源氏が三代で滅び、
平家の北条の世になり、それをまた
源氏の新田が倒し、同じ源氏の足利と
なるんですよね。
「源平合戦」という言い方は乱暴なんだと
わかりました。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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