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青幡佐草日古命(あおはたさくさひこのみこと)/日本の神々の話

20151016

別名:青幡佐久佐丁壮命(:あおはたさくさひこのみこと)、青幡佐草壮丁命(:あおはたさくさひこのみこと)

須佐之男命と奇稲田姫命の子であり、八重垣神社宮司の始祖であるという。

出雲の八重垣神社は、障壁画でも、鏡池の縁結び占いでも有名なお宮さんだが、社名にしても祭神にしても変遷があったようだ。

八重垣神社は、須佐之男命が八岐大蛇と戦うに際し、奇稲田姫を隠した「佐久佐女の森」の故地である。
八重垣神社の社名は『古事記』に記載の須佐之男命が詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌にちなむといわれ、現在は須佐之男命・奇稲田姫命を祭神とし、合祭神として大己貴命、相殿には青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこのみこと)を祀っている。
佐久佐女さくさめの森とよばれる奥院の森は、奇稲田姫命が八岐大蛇の難を避けるために八重垣を築いて避難したところといわれ、また、この森の中にある鏡ノ池は奇稲田姫命が避難した際に飲料に用い、姫命はその水面に姿を映して化粧を行ったと伝える。

このように、八重垣神社は奇稲田姫命との関連を物語るさまざまな伝承を有する神社なのだが、天平五年(七三三)成立の『出雲国風土記』に八重垣の社名がみえない。
『出雲国風土記』は大草郷について「須佐乎命の御子、青幡佐久佐日古命(丁壮命)坐す。故、大草といふ」と記し、同書では意宇郡に「佐久佐社」が、『延喜式』神名帳では意宇郡四八座のうちに「佐久佐神社」がみえる。

八重垣の社名は戦国期から近世にかけて佐久佐社に代わって使用されており(慶安五年「八重垣社領検地帳」佐草家文書など)、八重垣神社が他の地域から移転してきた可能性は充分に想定される。現在の祭神が『古事記』の出雲神話にちなんだ素戔嗚命・奇稲田姫命で、『出雲国風土記』に登場する青幡佐久佐日古命(丁壮命)が相殿となっていることも、社名・社格の変遷を物語っているかもしれない。

近世を通じて八重垣神社の祭神は素戔鳴尊・稲田姫・大己貴命になっていた。ところが 明治に入り、延喜式にない社名では高位の社格を得られないことから、本社と末社の関係を元にもどして 「佐久佐神社」と改め、主祭神を青幡佐久佐比古命として当局に届け出た。
しかし、久しく馴染んできた「八重垣」という社号を伏せておくに忍びず、社号を「八重垣神社」に戻すことを陳情、容れられて祭神も明治以前に復し、現在、青幡佐久佐比古命は合殿神となったということである。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、県社にするために、大昔の本に出ているの名前に変更したら、参拝者が少なくなったために、我慢できずに2年間で当初の名前に変更したと言う訳ですね。と言うか、当初から2年後には元に戻すつもりで、そうしたのかもしれませんが。

いずれにしろ、檀家があるお寺とは異なり、神社は、その地域の人達がお参りに来てくれない限り、大変ですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
地域のお祭りは、たいていお宮のお祭りが多い
ですから、まずはお祭りを盛んに復活させる
ことですよね。
お祭りで老若男女のコミュニケーションの場
になります。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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