久伊豆(ひさいず)神社(延喜式内論社)/埼玉県鴻巣市

20151108

所在地  埼玉県鴻巣市笠原1755

10月30日に、個人的に取り組んでいる「武蔵國式内社めぐり」で参拝しました。

社号標
昭和11年建立、國學院大学学長阿野氏の書
社挌: 延喜式内論社(武蔵國足立郡4座のうち足立神社の論社)、旧村社
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笠原久伊豆神社は延喜式式内社の一つで、さいたま市浦和区上木崎と飯田に鎮座する二つの足立神社及び同市北区宮原町に鎮座する賀茂神社と共に武蔵国足立神社の論社とされている。

そして、久伊豆神社もまた方々にたくさん鎮座している。その鎮座地は埼玉県内の、綾瀬川左岸(東岸)を中心に集中的に分布している。これはちょうど氷川神社勢力圏と香取神社勢力圏とに挟まれたエリアであり、こうした「棲み分け」を武蔵七党、特に野与党・私市党の勢力範囲と関連づけられるという説もある。

この神社の由緒については不明らしく、掲示されている説明は下のようになっている。
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笠原姓は東日本地方に圧倒的に多く存在する中、岡山、大阪地方にも多くいることは着目に値することだ。岡山県には金工鍛冶の技術を持つ吉備氏系の笠氏の存在があり、新撰姓氏録では笠臣国造として孝霊天皇の皇子・稚武彦命の後裔氏族つぃて登場する。

笠臣国造(笠国造)とは笠臣国(現・岡山県西部~広島県東部、笠岡市中心)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると応神天皇(15代)の時代、元より笠臣国の領主をしていた鴨別命(かもわけのみこと)の8世孫である笠三枚臣(かさみひらのおみ)を国造に定めたことに始まるとされる。鴨別命は御友別の弟で、福井県小浜市の若狭彦神社の社務家である笠氏(笠臣)の祖と言われ、岡山県の吉備中央町にある鴨神社では笠臣(かさのおみ)が祖である鴨別命を祀ったと言われている。

「埼玉苗字辞典」によると「笠原」姓の源流は朝鮮半島の弁韓国の中の「蓋(かさ)族」より来るらしい。この弁韓国は弁辰ともいい、紀元前2世紀から4世紀にかけて存在していた三韓(馬韓、辰韓)の一つである。領域は馬韓の東側で、辰韓の南、日本海に接し、後の任那・加羅と重なる場所にあった地域と推測されている。この蓋族が古代日本に移住し姓も「笠、上、賀佐、風」と称した。

また、鴻巣の地名の由来は、古代、武蔵(天邪志)国造(むさしくにのみやつこ)である、笠原直使王(かさはらのあたいおみ)が、現在の鴻巣市笠原のあたりに住み、一時この地が武蔵の国府となったことから、「国府の州(こくふのす)」と呼ばれたのが始まりとされ、それが「こふのす」となり、後に「コウノトリ伝説」から鴻巣の字をあてはめるようになったと云われている。

参道に一の鳥居(明治38年建立)
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参道が右に折れる。
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社殿まで、灯篭、狛犬、二の鳥居、が並ぶ。
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大正7年(1918)奉納の流れ尾形狛犬
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二の鳥居(明治38年建立)
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手水舎
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手水鉢が二つ並ぶ。
右側は、元文3年(1738)奉納のもの。左側は宝暦13年(1763)奉納で、梅鉢紋があるので合祀された菅原神社のものだったとわかる。
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拝殿
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入母屋の屋根は立派なものだ。
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普通社額がかかる位置には、伊勢と金毘羅参拝記念の奉納額がかかる。
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拝殿内部
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下部しか見えないが、本殿は彫刻など素晴らしそうだ。
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拝殿と本殿覆い屋は渡り廊下でつながれている。
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本殿覆い屋は開いたところは無くて、本殿はまったく見えない。
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ご祭神は大己貴命

神紋は「左三つ巴」
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神楽殿
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各部装飾が素晴らしい。
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境内社の菅原神社
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何も表示が無いので、最初は神社名がわからなかったが、よく見ると梅鉢紋が見つかったので、菅原神社だと判明。
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その前に力石があり。
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社殿の左側に二つの石祠あり。
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右側は、「八幡宮」と「稲荷大神」と刻まれているので、二社合祀の祠と判明。
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左側は不明
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二の鳥居から左に入って行く参道あり。
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突き当たりに「辨天宮」があり。
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これで、この神社の参拝を終え、さいたま市北区宮原町に鎮座する賀茂神社に向かった。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、武蔵国足立神社のために少なくとも4つの神社をまわると言うことなのですね。

富士塚は第二次世界大戦前位までは結構、盛んだったようで、かなりが明確ですが、この式内社は明確でない分、ドンドン、数が増えていく感じですね。

matsumoさま

コメントありがとうございます。
式内社は、一度全国で「式内社調査」というものを
やったので、今回のように一社に対して論社が4つ
とかではあるものの、その時点で確定しています。
たぶん、今後の新発見というのは、難しいでしょうね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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