石見國一之宮・物部神社

20151121

鎮座地:島根県大田市川合町川合1545
参拝日:2015年11月12日

11月12日から14日、出雲・松江地方を廻ってきました。テーマは「神話のふるさと・出雲を訪ねる」です。
10:15に羽田を飛び立ち、出雲空港に向かいました。
途中富士山が雲の上から顔を出していた。
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出雲空港でレンタカーを借り、まずは昼食。レンタカーを借りる時に出雲蕎麦のお店を聞いて、教わったお店に行ったら名店らしくて行列が出来ていたが、さすがに美味しかった(嬉)

最初に向かったのが、石見國一之宮・物部神社。
取り組んでいる神社巡拝のなかでも、全国一之宮めぐりというテーマも持ち、全国の全部はとうてい無理だろうが、出来るだけ努力したいと思っています。
それで、今回も出雲國一之宮はもちろんだが、お隣も調べると石見國の物部神社なら出雲空港から一時間半くらいでいけそうなので、まずは遠くからと、ここに一番に参拝することにした。

社号標
社格等:式内社(小)、石見国一宮、 旧国幣小社、別表神社
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由緒:御祭神の宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られております。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。
(神社HPより)

駐車場から一段上がって境内、後ろに八百山の森があり。
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大鳥居
境内は広大。
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明治32年奉納の狛犬
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台座に鶴と亀が。
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手水舎
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この手水石は「含金石」と言って、砂金を含んでいるらしい。
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拝殿
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社額
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拝殿内部
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巨大で毛のある天狗が奉納されていた。
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拝殿も大きいが、本殿がそれにも増して巨大だ。
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すごく、質実剛健という感じ。
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破風の拝み懸魚の亀の彫刻に注目。
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下から見ると小さく見えるが、なんと1m50cmあるそうです。
人と同じくらいの大きさと考えると本殿の大きさがよく分かります。
なぜ亀が彫ってあるかというと、亀は「水をよぶ」として防火の意味(過去に石見銀山の争奪の兵火などで3回消失したそうだ)、そして神紋と絡めて「鶴と亀」で縁起が良いから。
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ご祭神は、
主祭神:宇摩志麻遅命。
相殿神は、
右座:饒速日命、布都霊神、
左座:天御中主大神、天照大神
客座 五神(詳細は不詳なれども別天神か)
別天神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇麻志阿新訶備比古遅神、天之常立神)
鎮魂八神(高皇産霊神、神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御食津神)


宇摩志麻遅命は、物部氏の祖とされる人物。饒速日命(後述)が長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)を娶って生んだ子で、天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であるとする伝えがある(『旧事本紀』)。
『古事記』によれば、始め長髄彦に従っていたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部(もののべ)を率いて皇城守護の任に当たったという。また『旧事本紀』によれば、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。
物部神社の社伝によれば、美濃国・越国を平定した後に石見国で没し、現在の社殿の裏に埋葬されたという。越国の平定は、異母兄の天香山命の事績として知られる(彌彦神社を参照)。

饒速日命は、『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられている。
つまり、瓊々杵尊の天孫降臨よりも先に、饒速日命が降臨していたということだ。これは渡来の順序ととれるだろう。

物部氏についても、少し記しておこう。
大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命が祖先と伝わる神別氏族。穂積氏や采女氏とは同族の関係にある。饒速日命は登美夜須毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。
元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長していった。5世紀代の皇位継承争いにおいて軍事的な活躍を見せ、雄略朝には最高執政官を輩出するようになった。物部氏は解部を配下とし、刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、一説には盟神探湯の執行者ともなったとされる。 また、奈良県天理市街地周縁にある「石上・豊田古墳群」「杣之内古墳群」の被葬者は物部氏一族との関連が指摘されている。

仏教が入って来たときに、それまでの神道を守ろうした排仏派の物部氏は、崇仏派の蘇我氏と争い、敗れた。
それから、「物部氏の七転び八起き」と言われる歴史があるが、ここでは長くなるので多くは語れない。
物部氏は技術集団の氏族だったので、簡単には滅びないのだ。
その後は、石上氏(いそのかみうじ)が本宗家の地位を得た。大和国山辺郡石上郷付近を本拠にしていた集団と見られている。 山野辺の道にある石上神宮が氏神である。石上神宮には素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの布都御魂剣として神宝となっている。
ここから、物部氏は先に大和に進出していた出雲系の部族であるという説が信憑性を帯びる。

社務所に安置されている、宇摩志麻遅命の像。
日露戦争の時に作られ、大日本帝国海軍『戦艦石見』の守護神とされた神像だそうです。
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神紋は「ひおい鶴」
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物部神社の御祭神「宇摩志麻遅命」はこの石東の地を平和な豊かな地域とするため、鶴に乗って御降臨されました。その山を鶴降山といい、山頂には今も国見をされた場所と伝えられる遺跡が保存されています。この国見をされたおり、平和な穏やかな里「安濃郡(旧 大田地方)」と名づけられました。 この鶴に乗って勝運を運んできた神にちなんで真っ赤な太陽を背負った鶴を全国で唯一この物部神社の御神紋と定められました。
(物部神社HPより)

○社殿右側に安置されているもの
祓所
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神井
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境内末社/一瓶社(ご祭神:佐比売山三瓶大明神)
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境内摂社/後神社(ご祭神:師長姫命)
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境内末社/
・須賀見神社(ご祭神:六見宿禰命)
・乙見神社(ご祭神:三見宿禰命)
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境内末社/東五社(神代七代社)
ご祭神:国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煮尊・砂土煮尊・角杙尊・活杙尊・大戸道尊・大戸辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊
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○社殿左側に安置されているもの
御腰掛岩: 宇摩志麻遅命が天下った祭に腰掛けられたと伝えられる。昭和56年(1981年)道路拡張に伴い、本来あった折居田から保存のため境内に移された。
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境内末社/西五社
・荒経霊社(ご祭神:須佐之男尊)
・皇祖四代社(ご祭神:天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火々出見尊・鵜草葺不合尊)
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境内末社/稲荷神社(ご祭神:稲倉魂命、合祀:大穴牟遅命・大年神・大地主神)
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境内末社/菅原神社(ご祭神:菅原道真公)
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境内末社/柿本神社(ご祭神:柿本人磨朝臣)
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境内末社/淡島神社(ご祭神:少彦名命)
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稲荷神社の横から、ご祭神・宇摩志麻遅命の御神墓に上がる道があるので、そこを上がりました。
10分ほどだが、参道は荒れていて昇りにくい。
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御神墓
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墓碑は風化していて、読めない。
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下りは上りよりも歩きにくく、カミさんは悲鳴をあげていた。
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境内に下りて、参道左手に安置されているものにお参り。

ご神馬銅像
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境内末社/恵比須神社(ご祭神:事代主命・大国主命)
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夜泣き椨(たぶ)・聖天さん
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聖天さん
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これで、すべて参拝が終り。
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ここからまた一時間半くらい車を飛ばして出雲に戻り、日没に間に合うように「日御碕神社」に参拝せねばなりません。急ぐ気持ちを押さえて、まずはコンビニで小休止してから、車を飛ばしました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、2拍3日のご旅行ですね! 私のビンボー旅行とは異なり、飛行機とレンタカーの旅行ですね。

さて、物部神社って、初めて聞いた名前ですが、広い境内と立派な社殿の神社ですね。また、団体旅行ではないこともあるのでしょうが、境内の様子を克明に撮影されているのに感心しました。

それにしても、滅ぼされた人の名前の神社が残っているのには驚きました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
物部氏は、技術集団であり、武力系の氏族でしたから、
しぶとく生き残っています。
俗に「物部の七転び八起き」と言われているくらいです。
所沢にも、式内社で「物部天神社」というのが
あります。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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