出雲の國一之宮・出雲大社

20151127

所在地:島根県出雲市大社町杵築東195
参拝日:2015年11月13日

命主社(いのちぬしのやしろ)に先に参拝し、真名井の清水にも寄って、いよいよこのお宮に参拝です。
本当なら、ここにはそうそう来られないのでじっくりと参拝したいところだが、今日はこの後山に入って須賀神社、熊野大社にもお参りする計画なので、ちょっと駆け足めいた参拝となりました。

とにかく広いです。
境内図
151127izumo01.jpg


大鳥居はパスして、勢溜の鳥居からスタートです。
151127izumo02.jpg


ここは、「ブラタモリ出雲編」で教わりましたが、かって砂丘の頂上だったところで、浜から上がってきてここが一番高く、ここからまた参道は下っていくと、珍しい「下り参道」になっている。

社号標
21日から神迎祭ですよと表示がされていた。
社格等:延喜式内社 杵築大社(名神大)、出雲国一宮、官幣大社、勅祭社、別表神社
151127izumo03.jpg


延喜式神名帳には「杵築大社(名神大)」と載っている。
151127izumo04.jpg


出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。
『古事記』:
大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。
『出雲国風土記』出雲郡杵築郷:
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。
『出雲国風土記』楯縫郡:
神魂命が「「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。
『日本書紀』:
崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。
『古事記』:
垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。
659年(斉明天皇5年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)

伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。

季節柄、菊が奉納されていた。
151127izumo05.jpg


このように、参道が下っていく。
151127izumo06.jpg


◇末社・祓社
御祓いの場所が用意されている神社では、ちゃんとこういうところでお祓いしてからお参りすべし。
151127izumo07.jpg


151127izumo08.jpg


◇浄の池
151127izumo09.jpg


◇末社・野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)
ご祭神:野見宿禰命(第13代出雲國造・襲髄命(かねすねのみこと)にあたる)
151127izumo10.jpg


151127izumo11.jpg


ここでは、そこら中にウサギが居るが、ここにも褌をしめたウサギが(笑)
151127izumo12.jpg


151127izumo13.jpg


メタセコイアがあるな、と思い近づくと「あけぼのすぎ」という和名があった。
151127izumo14.jpg


151127izumo15.jpg


◇「水辺を歩く」像
帰ってから、この像の情報を探したが不明。
151127izumo16.jpg


◇祓橋
横に禊場らしき石段があった。昔はここで禊をしたのではないか。
151127izumo17.jpg


151127izumo18.jpg


祓橋を渡ると、松の参道が始まる。
151127izumo19.jpg


◇鉄の鳥居と神橋のなごり
151127izumo20.jpg


151127izumo21.jpg


151127izumo22.jpg


◇松の参道
151127izumo23.jpg


とても気持ちのいい参道です。
151127izumo24.jpg


◇ムスビのご神像
151127izumo25.jpg


『日本書紀』:
(少彦名神が常世国に渡ってしまわれて、)これより後、国の中でまだできていないところは、大己貴神(大国主大神)が独りで巡ってよく国造りされた。ついに出雲国に至って言葉に出されて言われた「葦原中国(日本の国のこと)は元々荒れていた。岩や草木に至るまでことごとに暴れていた。しかし、私は既にくじいて皆従わないものはない。」そして、「今この国を治めるのは私独りだけだ。私と共に天下を治める者はいるだろうか。」と言われた。
 その時、不思議な光が海を照らし、突然浮かび上がってきたものがあった。そして、「もし私がいなければ、汝はどうやってこの国を平らげることができただろうか。私の存在があったから、汝は国造りの大きな功績をあげることができたのだ。」と言われた。この時に大己貴神は「それでは汝は誰だ。」と聞かれた。それに答えて「私は汝の幸魂奇魂だ。」と言われた。大己貴神は「そうだ。了解した、汝は私の幸魂奇魂だ。今どこに住みたいと思うか。」と聞かれると、「私は大和の三諸山に住みたいと思う。」と言われた。そこに宮を作っていって住まわれた。これが大三輪の神である。
ということで、大己貴神の幸魂奇魂は、大神(おおみわ)神社のご祭神「大物主神」のことだとなっている。
151127izumo26.jpg


151127izumo27.jpg


151127izumo28.jpg


幸魂とは、一つのものから多くのものが派生し発展していく魂の意味、奇魂は、多くのものを一つにまとめる魂を指す。オオクニヌシは、自分の生命に内在する幸魂奇魂の偉大な霊力を悟ることで国づくりを達成できたとされている。

◇手水舎
151127izumo29.jpg


◇銅の鳥居
151127izumo30.jpg


◇拝殿
室町時代の1519年に尼子経久が造営。名工の坪井大隅守が華・青龍・松竹梅など豪華絢爛で高く評価したが、1953年5月27日午前1時ごろ本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿(さんかでん)から出火、拝殿まで及び姿は消えてしまった[20]。原因は餅つき場の残り火の不始末だった。
復興事業として、高松宮宣仁親王を総裁として、設計を担当したのは神社建築学の福山敏男博士、1959年に完成した。
151127izumo31.jpg


151127izumo32.jpg


神楽殿にかかっている注連縄より小さいとはいえ、ものすごい大きさである。
151127izumo33.jpg


◇八足門
151127izumo34.jpg


特別エリアの瑞垣に設けられた門で、正月三が日など特別な日や祈祷(きとう)を受けた人以外は入ることができません。
ツアーのオプション等で事前に予約をすれば入れます。私もフリープランのツアーということでJTBで飛行機や宿を手配したので、申し込めば入れたのですが、時間が12:30からと14:00なので、今回神社を10社くらい参拝したいという計画にうまく合わなくて、今回は入るのをあきらめました。

八足門で入り口からの楼門
151127izumo35.jpg


八足門の彫刻が素晴らしい。
151127izumo36.jpg


151127izumo37.jpg


151127izumo38.jpg


151127izumo39.jpg


151127izumo40.jpg


151127izumo41.jpg


ご祭神:大国主大神
御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)

出雲国造新任時に朝廷で奏上する出雲国造神賀詞では「大穴持命(大国主大神)」「杵築宮(出雲大社)に静まり坐しき」と記載があるので、この儀式を行っていた平安時代前期までの祭神は大国主大神であった。
やがて、神仏習合の影響下では、一時素戔嗚尊の時代があった。
ところが、杵築大社(出雲大社)内は仏堂や仏塔が立ち並んで神事が衰微したため、17世紀の寛文年間の遷宮時に出雲国造家が神仏分離・廃仏毀釈を主張して寺社奉行に認められ、寛文4年から寛文5年にかけて仏堂や仏塔は移築・撤去され、経蔵は破却された。これに併せて祭神は素戔嗚尊から、古事記や日本書紀などの記述に沿って大国主大神に復した。

神紋は「二重亀甲に剣花角」
151127izumo42.jpg


花角紋は花菱紋と混同されがちだが、花の形が菱形ではなく、隅立角形であるのが特徴。

◇本殿
玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。本殿内北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られている。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている。これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられる。天井には7つの雲の絵が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさである。

本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈(48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになる。上古については流石に神話と看做すとしても、16丈あったとすると東大寺大仏殿(当時の伝承によれば十五丈・45m)や平安京大極殿より大きかったということになる。
この説については賛否両論あるが、2000年、地下祭礼準備室の建設にともなう事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘され、往古32丈(およそ96m)あったとする説が優勢となっている。

出雲大社の遷宮は概ね60〜70年毎に行われていて、2008年の「仮殿遷座祭」以降、本殿の屋根等の大改修が行われ、2013年5月には御祭神を仮殿から改修が完了した本殿へ再び遷座する「本殿遷座祭」が行われた(平成の大遷宮)。

本殿を瑞垣の外から眺める。
瑞垣の外に水路や溝があるため、瑞垣に近寄れず、瑞垣の隙間からカメラを入れて本殿全景を撮るということが出来ない(泣)
151127izumo43.jpg


151127izumo44.jpg


151127izumo45.jpg


151127izumo46.jpg


151127izumo47.jpg


151127izumo48.jpg


瑞垣の中に、本殿と一緒に鎮座している摂社も屋根しか見えなかった。
◇摂社
○門神社(もんじんのやしろ) - 廻廊八足門内の両側にあって本殿を守護する宇治神(東)・久多美神(西)を祀る。
○伊能知比賣神社(天前社、あまさきのやしろ) - 式内社(同社坐伊能知比賣神社)。大国主が亡くなったときに蘇生を行った蚶貝比賣命・蛤貝比賣命を祀る。
○大神大后神社(御向社、みむかいのやしろ) - 式内名神大社(同社坐大神大后神社)。大国主の正后・須勢理毘賣命を祀る。
○神魂御子神社(筑紫社、つくしのやしろ) - 式内社(同社坐神魂御子神社)。大国主の妻で宗像三女神の一人、多紀理毘賣命を祀る。

それぞれ式内社とあるが、延喜式神名帳にこのように載っている。
151127izumo49.jpg


◇本殿瑞垣外出雲神社(素鵞社、そがのやしろ) - 式内社。父(または祖先)の素戔嗚尊を祀る。本殿の真後ろ、八雲山との間に唯一鎮座する社。
151127izumo50.jpg


151127izumo51.jpg


◇本殿の後ろに、出雲国造奉納のウサギ(平成の大遷宮記念)
151127izumo52.jpg


151127izumo53.jpg


151127izumo54.jpg


151127izumo55.jpg


◇彰古館
大正3年(1914)に出雲大社全体の宝物館として造られたもので、趣がある建物。
大小の大国様、恵比寿様がずらりと並ぶほか、神楽用の笙やひちりきなどの楽器類、神社に伝わる古文書類も多数展示。
151127izumo56.jpg


入り口に「野見宿禰像」
151127izumo57.jpg


八雲琴
151127izumo58.jpg


色々な大黒様が並んでいた。
151127izumo59.jpg


151127izumo60.jpg


151127izumo61.jpg


151127izumo62.jpg


151127izumo63.jpg


151127izumo64.jpg


151127izumo65.jpg


◇氏社(うじのやしろ) - 2つあって、出雲国造家祖神の天穂日命(北)と17代の祖で出雲氏初代の宮向宿彌(南)を祀る。御神座は本殿のある東を向いて、西を向いた主祭神に対面するようにしつらえてある。
151127izumo66.jpg


151127izumo67.jpg


◇釜社(かまのやしろ) - 素戔嗚尊の子の宇迦之魂神を祀る。
151127izumo68.jpg


◇十九社(じゅうくしゃ) - 東西に2つあって八百萬神(やおよろずのかみ)を祀る。神在祭の際、神々の宿舎となる。
151127izumo69.jpg


◇神楽殿
明治12年の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来する。正面破風下に張られた長さ13m、周囲9m、重さ5tの大注連縄は日本最大である。
神楽殿では婚礼なども執り行われている。
151127izumo70.jpg


巨大な注連縄
151127izumo71.jpg


151127izumo72.jpg


こんなところにお賽銭が(笑)
151127izumo73.jpg


狛犬が侍っていた
151127izumo74.jpg


151127izumo75.jpg


151127izumo76.jpg


◇神牛・神馬
151127izumo77.jpg


151127izumo78.jpg


151127izumo79.jpg


◇御慈愛の御神像
151127izumo80.jpg


151127izumo81.jpg


◇縁むすびの碑
151127izumo82.jpg


151127izumo83.jpg


三々九度の杯をしていた(笑)
151127izumo84.jpg


うさぎ石像
いままで各所にあったウサギを載せてきたが、これは平成の大遷宮を記念して置かれたものだそうです。
151127izumo85.jpg



これで、出雲大社の参拝を終え、次いで隣の島根県立古代出雲歴史博物館を見学しました。


神社巡拝記事一覧に飛ぶ



「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

出雲大社は大昔に1回、そして、数年前に2回、行きましたが、いずれも、神楽殿の左の方にあるバス停より入り、正面より出ました。神楽殿の注連縄の大きさはすごいですよね。数年前に行った時は、ちょうど、本殿の修理中で、拝殿が仮御殿になっていました。

松並木道を歩いて、正面から出たのですが、なるほど、海に近かったから、松並木だったのだなあと言うことと、伊勢神宮に比べて、かなり荒れている感じだなあと思いました。

そして、神社を出てからもそのまま進み、旧国鉄大社駅まで行き、駅舎等の写真を撮影しました。


matsumoさん

コメントありがとうございます。
旧大社駅も、本当に撮りたかったのですが、
今回は神社優先ということで、町をぶらつくことは、
あきらめました。
今回は、平成の大遷宮の後ということで、
境内は実に綺麗でした。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop