古代出雲歴史博物館

20151129

所在地:島根県出雲市大社町杵築東99-4
訪問日:2015年11月13日

出雲大社の参拝を終えて、次に向かったのはこの博物館です。
ここには、発掘された宇豆柱、古代の出雲大社の模型、荒神谷遺跡から発掘された358本の銅剣、銅鐸6個、銅矛16本があります。
私は2012年東京国立博物館で行われた特別展で見ていますが、カミさんにも見せたかったから。

出雲大社の銅鳥居前から外に出てこちらに来たので、博物館の後ろからアプローチしたことになります。
151129kodai01.jpg


151129kodai02.jpg


出雲大社に居るころからポツリポツリと雨が落ちはじめ、博物館に向かうときにはどんどん雨が強くなってきたので、正面から入るときには走っていたので、正面の写真は無い(笑)

博物館の平面図
151129kodai03.jpg


中央ロビーに入ると、出雲大社本殿前より出土した「宇豆柱」が展示されている。
151129kodai04.jpg


151129kodai05.jpg


2000年に発掘された「宇豆柱」である。
発掘時の写真
151129kodai06.jpg


目にするのは二回目だが、やはり実物を目の前にしたら、圧倒される。なにしろ巨大な柱を三本金輪でくくって一つの柱にしているのだが、その金輪の直径が3mである。ものすごい柱なのだ。
これが出土したため、古代の出雲大社の高さが48.5mもあった、いやそんなはずは無い、という論争に決着をみたのである。それが2000年という、ついこの間のことだというから、私も興奮してしまう。
そして、この柱が「大黒柱」の起源ともなっている。

これを裏付ける、平安時代の児童の「口遊」のなかで「雲太、和二、京三」という句があったそうである。
大屋では、出雲大社の本殿が太郎、次いで大和の東大寺の大仏殿が次郎、京の御所の大極殿が三郎、という意味で、この伝承からいっても出雲大社は大仏殿より大きくなければならない。

出雲大社の宮司を務める出雲国造家には、古代本殿の構造を示す「金輪造営図」が伝わっており、これが柱が発掘されたことで、実証された。
151129kodai07.jpg


古大出雲大社の復元模型
スケール 1/10
階段のスロープは100mくらいになるという。下から延々と続くスロープをあがっていく心地はどんなものだろうか。
151129kodai08.jpg


151129kodai09.jpg


151129kodai10.jpg


151129kodai11.jpg


出雲大社の屋根にあった千木・勝男木
明治14年(1881)遷宮の御用材で、昭和28年(1953)遷宮の際に撤下されたもの。
151129kodai12.jpg


151129kodai13.jpg


151129kodai14.jpg


江戸時代の「大社縁結図」
出雲大社の「神在祭」で集まった神々が縁結びを行っている様を描いたもので、なかなか面白い。
151129kodai15.jpg


151129kodai16.jpg


151129kodai17.jpg


151129kodai18.jpg


これは、明治時代に月岡芳年が描いた、「大社ゑんむすび」
縁を結び間違えて、追及する神様と、指摘されて逆ギレする神様などを描いている(笑)
151129kodai19.jpg


151129kodai20.jpg


151129kodai21.jpg


出雲風土記の時代の出雲地方
151129kodai22.jpg


151129kodai23.jpg


151129kodai24.jpg


現在の出雲地方。ずいぶんと違う。
151129kodai25.jpg


出雲風土記の最初の版本「訂正出雲風土記」
江戸時代後半、千家俊信が校訂(他の写本と比べ合せて正す)した最初の版本。
151129kodai26.jpg


古代の暮らしのコーナー
151129kodai27.jpg


面白いものがあった。
絵馬のルーツは、馬の奉納である。
雨を願うときには黒毛の馬を、晴れを願うときには白毛馬をそれぞれ献納した。
古代にも、そういうことが行われていた。
展示されていたのは「土馬(どば)」
雨乞いや祓えの呪具だそうである。
151129kodai28.jpg


現代の道具と形が同じものが多い。
151129kodai29.jpg


荒神谷遺跡から発掘された銅剣
151129kodai30.jpg


1984年、荒神谷遺跡から358本の銅剣、銅鐸6個、銅矛16本が発掘された。
そして、1996年に加茂岩倉遺跡から銅鐸39個が発掘された。
その結果、出雲地方に、やはり強大な勢力が存在したことが実証された。

古事記のなかに、出雲系の神話がかなりの部分に取り入れられているのは、やはりそれだけの勢力が存在したからなのだということが実感できる。

梅原猛氏が「神々の流竄」という本を書いたときは、まだ発掘される前だったので、出雲には強大な勢力は無かったということで考察されていた。
そして、この発掘の結果を踏まえて、2010年に「葬られた王朝」という本を書いて、「神々の流竄」の内容を訂正している。
今回、私の出雲訪問にあたっては、「葬られた王朝」を参考にさせてもらっている。

2012年東京国立博物館で行われた特別展に続き二回目なので、今回は細かいところを落ち着いてみることが出来た。

加茂岩倉遺跡発掘の銅鐸
151129kodai31.jpg


151129kodai32.jpg


製作時の赤銅色にかがやく銅剣、銅鐸
151129kodai33.jpg


151129kodai34.jpg


多数の銅鐸の展示に圧倒される。
151129kodai35.jpg


かなり鳴らした痕跡のある銅鐸
151129kodai36.jpg


どうして大量の銅鐸が埋まっていたのか?
使用された銅鐸が埋められた、ということは一つの重大なヒント。

顔が描かれた銅鐸
151129kodai37.jpg


「兄弟銅鐸」
同じ鋳型で作られた複数の銅鐸。
151129kodai38.jpg


ウミガメが描かれた銅鐸
151129kodai39.jpg


151129kodai40.jpg


シカの群れが描かれた銅鐸
151129kodai41.jpg


151129kodai42.jpg


馬上の大首長
151129kodai43.jpg


151129kodai44.jpg


外交使節を迎える額田部臣たち
151129kodai45.jpg


151129kodai46.jpg


埴輪と一緒にものすごい「子持ち壺」があった。
151129kodai47.jpg


151129kodai48.jpg


満足して博物館を出ました。
雨は、かなり激しくなっていた。
午後に参拝する予定のお宮は、山の中なんだよなと、ちょっと重い気分で出雲大社前のお店で昼食。
やはり出雲そばと出雲ぜんざいを食べました。
ぜんざいは出雲発祥だそうです。


「お気に入りの場所」一覧に飛ぶ



スポンサーサイト

コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

出雲では問題あるかもしれないので、鳥取砂丘辺りに、鉄筋コンクリート製でいいすから、高さ50m程の出雲大社の形をした展望台を作れば、人気が出るでしょうね。エレベーターで上まで上がって、砂丘を見下ろした後、今度は、斜めの100m程の通路を下りる形にして。

358本の銅剣、普通に考えれば、刀狩りでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
銅剣や銅鐸が見つかった荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡を
タケミナカタを祭神とする神社が守るように
取り囲んでいるので、出雲族が自ら埋納したと
いう説が強いようですね。
非公開コメント
プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード

Pagetop