出雲国一宮・熊野大社

20151202

鎮座地:島根県松江市八雲町熊野2451番
参拝日:2015年11月13日

須我神社から、ナビに従って車で移動し、30分くらいで到着。
広い駐車場から鳥居に向かいます。
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途中、「さざれ石」があり。
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意宇川にかかる神橋の前に一の鳥居と社号標あり。
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熊野大社の碑
社格等:式内社(名神大社)、出雲国一宮。旧社格は国幣大社、現在は別表神社。
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創建:神代。
『日本書紀』に出雲国造をして厳神の宮を作らしむとの記載あり
火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。意宇六社の一つ。
紀伊国の熊野三山も有名だが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。
『出雲国風土記』には熊野大社と記されていた。その後『延喜式神名帳』では熊野坐神社と記された。
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それにしても出雲国はやはり式内社が多い。武蔵國が44座なのに対し、出雲国は187坐である。

近代社格制度のもとで神社名を熊野神社として1871年に国幣中社に列格した。1916年に国幣大社に昇格した。1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。

私が手出雲地方を訪問したのは11月の12日から14日だが、今年の神在祭は11月21日からだった。
全国の神々が、ここ出雲に集まる。
どうして全国の神々は出雲に集まるのか? どうして伊勢神宮でないのか?
その一つの答えは、全国の神々の母であるイザナミの亡くなったのが旧暦10月なので、その時期に集まってイザナミを偲ぶのだ、という説がある。
全国の神々は、出雲大社に集まって「縁結び」をするだけではないのである。
熊野大社、神魂神社、佐太神社の三社はイザナミを祭って「神在祭」を行う。
この三社は、いずれもイザナミが葬られた比婆山の伝承地を神社の近くに持っている。

出雲大社と共に出雲国一之宮であるという点であるが、これは現在出雲大社の宮司である出雲国造家の動向をみればわかる。出雲国造家の本貫の地は「意宇」で、従ってその頃の出雲の国庁も意宇郡に置かれていて、氏神を祀る熊野大社を奉斎していた。
ところが第26世国造・果安(はたやす)の時代に杵築に移り、杵築大社(出雲大社)の祭祀の役割を担っている。ちなみに第27世国造・広嶋が『出雲国風土記』を監修している。
杵築に移ったのは、出雲国造家の自主的な判断よりは中央の要請あるいは命令によるものとみられている。
文書の中で、熊野大社と杵築大社が連記されることがあるが、常に熊野大社を先に書き、勲位も熊野が一等上位に立っている。
熊野大社が兄で杵築大社(出雲大社)が弟という関係だった。

「意宇」の地については、有名な伝承がある。
『出雲国風土記』によれば、「八束水臣津野命(やつかみずつぬのみこと)」が、朝鮮半島や隠岐、能登半島に至る広大な領域から国引きをして、島根半島を造り終えた際に、杖を突き立て、「意恵!(「おえ」、終わるの意味)」と言ったことから「意恵郡」のち「意宇郡」と呼ぶようになったと伝えられている。

意宇川にかかる神橋
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意宇川
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二の鳥居
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手水舎
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石段を上がると、両側に狛犬が。
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神門
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立派な注連縄から下がる紙幣に特徴あり。
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神門をくぐると、広々とした神域が広がっている。
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拝殿
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拝殿前左右にご神木
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拝殿の大注連縄
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拝殿内部
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本殿(大社造り)
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ご祭神は、「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」。1柱の神様のお名前である。
「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」=父神である伊邪那伎命がかわいがった御子
「加夫呂伎熊野大神(くまののおおかみ)」=熊野の地の神聖なる神
「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」=素盞鳴尊(すさのおのみこと)の別名

実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。
これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、『出雲国風土記』には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。
現代では櫛御気野命と素戔嗚尊とは本来は無関係であったとみる説も出ているが、『先代旧事本紀』「神代本紀」にも「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、少なくとも現存する伝承が成立した時にはすでに櫛御気野命が素戔嗚尊とは同一神と考えられていたことがわかる。明治に入り、祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」としたが、復古主義に基づいて神名の唱え方を伝統的な形式に戻したまでのことで、この段階では素戔嗚尊とは別の神と認定したわけではない。後の神社明細帳でも「須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」とあり、同一神という伝承に忠実なことでは一貫している。

神紋は「一重亀甲に「大」の文字」
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○鑽火(さんか)殿
鑽火祭の舞台となる。大正4年(1915年)造営燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)が大切に保管されている。
「亀太夫神事」が有名。
出雲大社の宮司が11月23日の「古伝新嘗祭」に使用する神聖な火を起こすため、この燧臼と燧杵を受け取りに熊野大社を訪れます。この授け渡す儀は「亀太夫神事」と呼ばれ、出雲大社が納める餅の出来映えについて熊野大社の下級神官である亀太夫(世襲)が、色が悪い、去年より小さい、形が悪いなどと苦情を口やかましく言い立てるという一風変わった神事。
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○舞殿
もともと拝殿だった建物を昭和53年(1973年)に移築したもの
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舞殿の内壁に、立派な奉納絵馬があり。
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○摂社・稲田神社
本殿の向かって右側に安置。
<御祭神> 櫛名田比売命、足名椎命、手名椎命
<配  祀> 御前神(みさきのかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、奇八玉命(くしやたまのみこと)
<合  祀> 火知命(ひしろのみこと)、建御名方命、大物主神
明治39年政府の神社整理「一村一社制」により熊野村内にあった多数の神社を明治41年に、稲田神社には6社合わせ祀った。
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○摂社・伊邪那美神社
元々は上の宮の社殿
<御祭神> 伊邪那美命
<配  祀> 速玉之男命、事解之男命、大田神、衢神(くなどのかみ)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)、天児屋根命
<合  祀> 王子神、素戔嗚尊、大山祇神、戸山祇神、事代主命、応神天皇、山雷神、爾保津姫命(にほつひめのみこと)、羽山祇神、岐神(ふなどのかみ)、長道磐神(ながみちはのかみ)、煩神(わずらいのかみ)、開囓神(あきぐいのかみ)、千敷神、大雷、火雷、土雷、稚雷、黒雷、山雷、野雷、裂雷、菊利姫命、泉守道人命(よもつちもりのかみ)
明治39年政府の神社整理「一村一社制」により熊野村内にあった多数の神社を明治41年に、伊邪那美神社には19社合わせて祀った。
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○末社・荒神社
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まわりに奉納された神牛とか石仏が置かれている。
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○末社・稲荷神社
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○環翠亭
中に、神話の画が描かれていた。
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これで、稲佐の浜、出雲阿国の墓、命主の社、真名井の清水、出雲大社、古代出雲歴史博物館、須我神社、熊野大社と巡ってきた、この日一日の忙しい旅は終了。
この日の宿は、玉造温泉で、とても良い宿でした。
温泉と、美味しい食事を満喫しました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、ここが出雲国造が亡くなった後、その後継者は、すぐに、なぜか、出雲大社ではなく、この熊野神社に行って、持参した燧臼と燧杵で火を起こして、それで調理して、神前に供えると共に、自分も食べると言う儀式を行う所ですね。加えて、そこで起こした火を持ち帰って、生涯、その火で調理したものを食べるとか。

このことは、おそらく、昔は出雲大社より力があったことを反映しているのだと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
熊野大社と出雲大社は兄弟ということで
いいと思います。
熊野大社は強力な豪族が祀った氏神、
出雲大社は大和朝廷が大国主命の鎮魂の
ために建てた、という違いはありますが。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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