八重垣神社

20151210

鎮座地:島根県松江市佐草町227
参拝日:2015年11月14日

玉造温泉にある「玉作湯神社」のあと、八重垣神社に向かいました。国道9号線を走っていて、誤って道を逸れてしまい、宍道湖沿いの道をしばらく走った時に、まだ朝靄が残っていて、実に幻想的な風景に出会いました。
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社号標
社格等:式内社(小) 佐久佐神社、県社、別表神社
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社伝によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に、青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。佐久佐神社という名前は延喜式神名帳に記載されているが、式内・佐久佐神社は当社の他、同市大草町の六所神社も論社となっている。
延喜式神名帳
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元慶2年(878年)に正五位上の神階を授かった。佐草氏が神職として奉仕し、近世には八重垣大明神と称された。
明治5年(1872年)、佐久佐神社は八重垣神社を合祀して郷社に列格し、明治9年(1876年)に県社に昇格した。明治11年(1878年)に八重垣神社に改称した。昭和56年(1981年)に神社本庁の別表神社に加列された。

以上がWikipediaに載っている説明だが、地元出雲で戦国時代にオロチ退治の伝承を記した『天淵八叉大蛇記』によると、スサノオがオロチを退治する前、いったん斐伊川の川上から離れ、佐草の里に八重の垣根を構えて中にヒメを隠した、と記されている。
そして、ここ八重垣神社でも5月に「見隠祭」という古伝神事を行っている。

鳥居
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手水舎
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随身門
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随身門をくぐると、狛犬が侍っている。
八重垣神社のご由緒書によれば「境内狛犬は製作年代が明らかではありませんが古色蒼然として且つ傑作で、考古学老の嘆称されますもので日本内地にこの種二個現存しているその内の一個といわれております。」とある。
奇妙な造形の狛犬で、脚の大きさ、顔のバランスと造形などがかなり特殊です。
それで、ネットで色々と調べてみると、「1100年代」とか「日本最古」と書いている人もいます。
私もそれを信じたいが、一方の情報で材質が来待石(きまちいし)と言う物凄く崩れ易い砂岩だということです。
ただ、可能性はゼロではないので、「1100年代という情報もある」と希望的判断をしておきたいです。
となると、私が経験している一番古い狛犬が、加賀一之宮・白山比咩神社にある「重要文化財・木造獅子狛犬」が平安時代のものということで1100年代ですから、これに並ぶことになります。
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拝殿
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拝殿内部
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本殿の様式は大社造。
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本殿の背後
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主祭神は、素盞嗚尊、櫛稲田姫、大己貴命、青幡佐久佐日古命

近世を通じて八重垣神社の祭神は素戔鳴尊・稲田姫・大己貴命になっていた。ところが 明治に入り、延喜式にない社名では高位の社格を得られないことから、本社と末社の関係を元にもどして 「佐久佐神社」と改め、主祭神を青幡佐久佐比古命として当局に届け出た。しかし、久しく馴染んできた「八重垣」という社号を伏せておくに忍びず、社号を「八重垣神社」に戻すことを陳情、容れられて祭神も明治以前に復し、現在、青幡佐久佐比古命は合殿神となっている。

神紋は「二重亀甲に剣花菱」
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八重垣神社で見落せないのは宝物館に納められている壁画(重要文化財)です。
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神社の障壁画としては日本最古のものといわれ、落箔が甚だしいが、戦後造営のさい、本殿から取り外して樹脂注入など保存措置を講じた。
社伝では寛平5年(893年)、平安時代の宮廷画家だった巨勢金岡(こせの かなおか)によって描かれたとされたとある。
宝物殿のなかは、他に一人居ただけでとても落ち着いて壁画を見ることが出来た。
実に至近距離で見ることができて嬉しかった。
写真撮影は禁止だったので、雑誌に載っているものとかを集めて、ここにアップしておきます。

板絵は3面に、6神像が描かれている。
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中央に主祭神の素盞嗚尊と稲田姫命
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右に天照大神と宗像三女神のうちの市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)。
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左に櫛稲田姫命の両親の脚摩乳命(あしなづちのみこと)、手摩乳命(てなづちのみこと)が描かれているそうだが、脚摩乳命はまったくわからない。手摩乳命のみがわかる。
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境内社に参拝

○手摩乳(てなづち)神社
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○脚摩乳命(あしなづち)神社
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○貴布禰神社
ご祭神:高龗命(たかおかみのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
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○伊勢宮
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○山神神社
ご祭神:大山祇命(おおやまつみのみこと)、石長姫命(いわながひめのみこと)
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奉納されている数々に圧倒された。
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出雲に縁結びを願って集まる若い女性の人気ナンバーワンがこの神社であろう。
これを見たヤングレディは目を回しているだろうか・・・・・・・(笑)

須佐之男命が詠んだ、 「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」の歌碑
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境内に句碑が二つありました。

「和歌の跡とふや出雲の八重霞」/芭蕉
この句碑は昭和11年6月に松江羽扇の会が建立したもの。
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「木枯や神のみゆきの山の跡」/松平雪川公献碑
江戸後期の俳人。松平不昧公の弟。兄弟仲が良く、不昧公の治績が大きいのは雪川の協力によるものが多いそうです。
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○奥の院に通じる階段の手前にあるご神木
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○連理玉椿(夫婦椿)
昔、稲田姫が日本の椿の枝をお立てになられたという伝承があり、境内には三本の夫婦椿があるそうです。目についたものを二本撮ってきて、帰ってから記事を書くために調べたら三本あることがわかり、しかも一番大きなものを撮りそこねていました(汗)

神社境内にある夫婦椿(乙女椿)
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佐久佐女(さくさめ)の森にある夫婦椿(子宝椿)
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一体になったところから沢山枝が出ているので「子宝」なんですね。
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奥の院(佐久佐女(さくさめ)の森)側の、神社参道入り口
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大蛇退治の時、稲田姫が身を隠(かく)されたという故事に由来する5月3日の身隠(みかくし)神事の舞台もここだが、この森は佐久佐女(さくさめ)の森といい、奥の院があります。
神社がまだ社殿を持たないころ、人々が巨石や老木に神々が宿るとしたのが磐座(いわくら)とか神籬(ひもろぎ)です。この森はその神籬の遺跡と見てほぼ間違いありません。
縁結び占いで有名な鏡の池もここにあります。

入り口
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山茶花か椿が咲いていた。
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○大杉の跡
稲田姫が、大蛇の難をお避けなさった場所の中心地で、大杉を中心に周囲に八重垣を造って避難されたといわれます。
ちなみに八重垣とは、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣であり、今もその名が地名となって山の上、中腹などに残っているそうです。
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近くに、立派な杉があったが近寄れず、望遠で撮った。
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○鏡の池
硬貨を乗せた用紙を池に浮かべ、その沈み具合いで縁の遅速を占う「縁占い」が若い女性に人気があるが、ここはかつて稲田姫が避難された時に、飲料水とか生活の水に使ったり、化粧の時の鏡がわりに使ったという伝承を持つ。
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なお鏡の池からは以前、土馬が発見された。土馬は古代祭祀に供されたと見られる土偶(どぐう)の一種で、ここが古来聖地とされていた証左となった。
土馬は、出雲大社横の出雲古代歴史博物館で見ました。

○天鏡神社
鏡の池の奥に、池を見守るように鎮座しています。
ご祭神:稲田姫命
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これで、八重垣神社の参拝は終り、次に揖屋神社に向かいました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、道を間違えて正解だったのですね!

石の狛犬って、できるだけ形が変わらないようにと言うことで作っていると思っていたのですが、砂岩のような弱い石でも作られていたのですか。砂岩ですので、時間と共に削られてしまったのかどうかわかりませんが、随分、やせ細った狛犬ですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
宍道湖の幻想的な姿を見られたのは、
本当にラッキーでした。
狛犬を彫る石工ならば、当然石の知識は
あるはずなので、何かの理由があったと
思うのですが・・・・・
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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