揖夜(いや)神社・同社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社

20151214

鎮座地:島根県松江市東出雲町揖屋
参拝日:2015年11月14日

八重垣神社から移動してきました。
参道の左側にある駐車場に車を停め、鳥居の前から参拝します。
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この神社の御由緒書によれば、
御鎮座についての詳細は不明ですが、『古事記』神代巻には「伊賦夜坂」について記述があり、『日本書紀』斉明天皇五年 (西暦659年) の条に「又、狗、死人の手臂を言屋社に噛み置けり。」とある「言屋社」、『出雲国風土記』に 「伊布夜社」、『延書式』神名帳に 「揖夜神社」 の記述があり、少なくとも平安朝以前には広く知られていた古社であることは疑うべくもありません。
神社に所蔵している棟札・古文書によれば、戦国時代頃から 「揖屋大明神」 「揖夜大社」と称されていた様です。
古より朝廷の崇敬が篤く、『三代實録』清和天皇の貞観九年(西暦867年) に「従五位上」、同十三年(西暦871年)に「正五位下」の御神階が授けられた記録があります。
また出雲国造奉仕の神社として早くから別火(べっか)職が設けられていました。
武将の崇敬も篤く、
天文十二年(西暦1543年) 大内義隆が太刀・神馬を寄進、
同二十四年(西暦1555年) 尼子晴久が出東郡氷室の内の百貫の土地を寄進、
天正十一年(西暦1583年)毛利元秋が社殿を造立、
慶長六年(西暦1601年)堀尾吉暗が揖屋村の内の四十石の土地を寄進、元和元年(西暦1615年) には社殿を再建し、
寛永十一年(西暦1634年)京極忠高は旧領(四十石) を安堵し、次いで同十四年(西暦1637年)社殿の修造を行っています。
さらに松平氏も、寛永十五年(西暦1638年) 初代の直政が旧例のとおり四十石を寄進、3代綱近の時に明暦三年(西暦1657年) の検地による出石十二石一斗三升六合を加えた五十二石一斗三升六合が神領とされました。
社殿の営繕は松江藩作事方の手で行われ、御遷宮には藩主の代参がありました。
明治五年二月郷社に列し、同四十年四月二十八日勅令による神僕幣吊供進神社の指定を受け、
大正十五年十一月二十二日縣社に昇格しました。
出雲国造との関係ですが、當社は出雲国造との関係が深い 「意宇六社」 (能野大社・神魂神社・八重垣神社・六所神社・真名井神社・揖夜神社) の一として、江戸時代から「六社参り」 の参拝者が絶えず、御遷宮には今でも出雲国造家から奉幣があります。

記紀神話に登場する黄泉比良坂の比定地の近くにある。また隣接する安来市の比婆山には関連神蹟として古事記に記された伊邪那美神のご神陵がある。

鳥居の両側にある石灯篭だが、亀趺(きふ)がいる。
この亀のような生き物は贔屓(ひいき)といい、中国における伝説上の生物。石碑などの台になっているのは亀趺(きふ)と言う。
中国の伝説によると、贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、土台である贔屓を引っぱると石柱が倒れるからに他ならない。
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手水舎
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石段の下と上に、二組の狛犬が侍っている。

石段下の狛犬
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石段上の狛犬
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石段の上には、鳥居の原始的な形である石柱に注連縄を渡したものがあり。
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続いて、随神門
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拝殿
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社額
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拝殿に鏡が置かれ、本殿をうかがうことが出来る。
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拝殿内に掛けられた絵馬
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拝殿から石段を上がり神門があり、瑞垣の中に本殿があり。
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本殿は大社造であるが、内部の造りは出雲大社とは逆の向きになっているそうである。
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瑞垣の隙間から本殿の前部を見る。
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ご祭神は、主祭神が伊弉冉命、
配神が大己貴命、少彦名命、事代主命、武御名方命、経津主命

神紋は「二重亀甲に剣花菱」
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これより境内社

☆韓国伊太氐(からくにいたて)神社
本殿の左側にある。
『出雲国風土記』在神祇官社「伊布夜社」、および式内社「同社坐韓国伊太氐神社」に比定される。
ご祭神は素盞嗚命、五十猛命。
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『延喜式』神名帳によれば、その名称のユニークさに加えて、分布にも特異性をみせている。神名帳にみえる六社はすべて出雲国に鎮座している。しかも、その内分けをみると、出雲国の九郡中、意宇郡と出雲郡とに三社ずつ分布がみられる。つまり出雲国のなかでも、国衛が置かれた東部の意宇郡と杵築大社(出雲大社)が鎮座している西部の出雲郡のみにみられる。
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出雲国意宇郡の条に、
①玉作湯神社  同社坐韓国伊太氐神社
②揖夜神社   同社坐韓国伊大氐神社
③佐久多神社  同社坐韓国伊大氐神社
出雲郡条に、
④阿須伎神社  同社神韓国伊太氐神社
⑤出雲神社   同社神韓国伊大氐神社
⑥曽枳能夜神社 同社神韓国伊大氐奉神社

韓国伊大氐神社の由来は不明瞭な点が多いが、一般的には、スサノオ神の御子神である五十猛神と関連させてとらえ、この神を祀る神社といわれている。
通説としては、素戔嗚神が、韓国(新羅)を経由して出雲へ降るさいに同行した神が御子神の五十猛神であり、このことを前提として、伊大(太)氐は五十猛が転託したものであり、韓国とあるのは五十猛神が素戔嗚神に伴われて朝鮮半島を経由して日本へ渡ってきたことによるということになる。
ただ、他にも色々な説があるようである。

○恵比須社
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○天満宮
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○水神さま
入り口の狛犬
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石祠が二つあり、その奥に龍神が祀られている。
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龍神は二頭のものと、一頭のものがあり、それぞれ違う地区が奉納していると、宮司さんが説明してくれた。

龍神二頭のもの
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龍神一頭のもの
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境内社は、三穂津姫神社と稲荷神社もあったようだが、確認しなかった。

これで、揖夜神社の参拝を終え、「黄泉比良坂」に向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

この亀の上に石塔が乗っているの、品川寺で見たことを思い出しました。でも、この亀が、亀ではなく、「贔屓(ひいき)」とか、「亀趺(きふ)」とか言うの、初めて知りました。日本橋の「麒麟」もそうですが、鳳凰とか、白虎、朱雀、玄武等、中国って、想像上の動物って、結構、多いですね。と言っても、日本でも、八咫烏とか龍とかがいますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
贔屓というのは、龍生九子といって、龍の子供
ですが、九の子の内訳を調べると、聞いたことのない
名前ばかりですね。
そういうのも、調べていると面白いです。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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