黄泉比良坂

20151221

所在地:島根県松江市東出雲町揖屋
訪問日:2015年11月14日

揖夜神社から、ここに移動しました。
事前に調べたときには、満足な地図が入手できずに不安だったのですが、揖夜神社から大体の方角の検討で車を走らせたら、「⇒黄泉比良坂」の案内板を発見(嬉)
難なく到着できてホッとしました。
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ここが、『古事記』ではどのように出てくるかというと、
 (現代語訳)
 そこで伊邪那岐命は、女神の伊邪那美命に会いたいと思って、後を追って黄泉国に行かれた。そこで女神が、御殿の鎖した戸から出て迎えたとき、伊邪那岐命が語りかけて仰せられるには、「いとしいわが妻の命よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終わっていない。だから現世にお帰りなさい」と仰せられた。すると伊邪那美命が答えて申すには、「それは残念なことです。もっと早く来て下さればよかったのに。私はもう黄泉国の食物を食べてしまったのです。けれどもいとしい私の夫の君が、わざわざ訪ねておいで下さったことは恐れいります。だから帰りたいと思いますが、しばらく黄泉国の神と相談してみましょう。その間私の姿を御覧になってはいけません」 と申した。
 こう言って女神は、その御殿の中に帰っていったが、その間がたいへん長くて、男神は待ちきれなくなられた。それで男神は、左の御角髪(みずら)に挿していた神聖な爪櫛の太い歯を一本折り取って、これに一つ火をともして、御殿の中にはいって御覧になると、女神の身体には蛆がたかり、ごろごろと鳴って、頭には大雷がおり、胸には火雷がおり、腹には黒雷がおり、陰部には拆雷(きくいかづち)がおり、左手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷がおり、右足には伏雷がおり、合わせて八種の雷神が成り出でていた。
 これを見て伊邪那岐命が、驚き恐れて逃げて帰られるとき、女神の伊邪那美命は「私によくも恥をかかせた」と言って、ただちに黄泉国の醜女を遣わして追いかけさせた。そこで伊邪那岐命は、髪に着けていた黒い鬘を取って投げ捨てると、たちまち山ぶどうの実が生った。これを醜女たちが拾って食べている間に、男神は逃げのびた。なお醜女たちが追いかけて来たので、男神はこんどは右の御角髪に刺している爪櫛の歯を折り取って投げ捨てると、たちどころに筍が生えた。それを醜女たちが抜いて食べている間に、男神は逃げのびた。
 そして後には、その八種の雷神に、千五百人もの大勢の黄泉国の軍勢を従わせて追跡させた。そこで男神は、身に着けておられる十拳の剣を抜いて、うしろ手に振りながら逃げて来られた。なお追いかけて、現世と黄泉国との境の黄泉比良坂のふもとにやって来たとき、男神は、そこに生っていた桃の実三つを取って、待ちうけて投げつけたところ、黄泉の軍勢はことごとく退散した。そこで伊邪那岐命が、その桃の実に仰せられるには、「おまえが私を助けたように、葦原の中国に生きているあらゆる現世の人々が、つらい目に逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ」と仰せられて、桃の実に意富加牟豆美命という神名を与えられた。
最後に、女神の伊邪那美命自身が追いかけて釆た。そこで男神は、巨大な干引の岩をその黄泉比良坂に引き据えて、その岩を間にはさんで二神が向き合って、夫婦離別のことばを交わすとき、伊邪那美命が申すには、「いとしいわが夫の君が、こんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人締め殺しましょう」と申した。すると伊邪那岐命が仰せられるには、「いとしいわが妻の命よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てるだろう」と仰せられた。こういうわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方、一日に必ず千五百人の人が生まれるのである。
 それでその伊邪那美命を名づけて黄泉津大神という。また男神に追いついたので、道敷大神と呼ぶともいう。また黄泉の坂を塞いだ岩は、道反之大神と名づけ、また黄泉国の入口を塞いでおられる黄泉戸大神ともいう。そして、かのいわゆる黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂という坂である。

となっている。
これだと、黄泉比良坂は「けんか別れ」した場所ということで、あまり良い場所ではないとなるが、
黄泉比良坂について『日本書紀』の本文では言及がないが、注にあたる「一書」に、「泉平坂(よもつひらさか)」で言い争っていた伊弉冉尊と伊奘諾尊の仲を菊理媛神がとりもった、という話が記されている。
【解釈文】
「その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。
 このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。
 このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。」

菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていないが、このことから菊理媛神は縁結びや和合の神とされている。
そして、菊理媛神は、加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。

白山比咩神
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ちなみに私とカミさんは2014年8月3日に、白山本宮・加賀一之宮・白山比咩神社に参拝している。
ということで、これからも仲良くやっていこうと、安心してここを訪れたという訳です(笑)

まずは、さきほどの案内板に書かれていた「賽ノ神」にお参りしようと、ちょっと伊賦夜坂を歩いてみました。
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小石がたくさん積まれていますね。
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【賽ノ神】
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伊賦夜坂を引き返して、黄泉比良坂にお参りしました。

【黄泉比良坂】
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神蹟黄泉比良坂石碑
皇紀2600年事業として、昭和15年に当時の揖屋町長佐藤忠次郎氏が、神蹟の荒廃を嘆き建てたものだそうです。
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私たちが訪れた時には、駐車場とか案内とか、とても整備されていたので、それから良くなったのでしょう。

桃の木がありました。
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道反之大神(黄泉戸大神)
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ここから、今回の旅の最後の訪問地である松江城に向かいました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

大岩で塞いだと言うことから、黄泉の国は洞窟・地底にあるのかと思っていましたが、入口である黄泉比良坂は単なる「森の中」と言う感じですね。まあ、毎日、1000人が死ぬのですから、その人達は黄泉の国に行くには大岩を越えねばならない訳で、洞窟・地底の入口を大岩で塞いだらそこに行けなくなりますので、森の方が理屈にあうような気はしますが、すると、大岩は象徴的なものになってしまいますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
黄泉の國に通じる穴というのは、ここだけでなく、
私が知識として知っているのは出雲地方だけで、
あと3ケ処あります。
木の國(紀の國)にもあるようですし。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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