高負比古根(たかおひこね)神社(延喜式内社)/埼玉県比企郡吉見町

20160118

鎮座地:埼玉県比企郡吉見町田甲1945
参拝日:2015年12月22日

個人的に取り組んでいる「武蔵國式内社めぐり」で12月に参拝したのですが、他の記事を優先していて、アップが遅れました。

正面から
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鳥居の右に「獅子封じ塚」があった。
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社号標
延喜式内社 武蔵國横見郡三座のうち、高負比古神社(たけぶひこのかみのやしろ)
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高負彦根神社の「高負」はこの地の地名「田甲」に通じる。当社の鎮座する田甲集落は『倭名抄』に載る横見郡高生(タケフ)郷に比定されて、田甲(タコウ)はタケフがタキョウになり、タカオ、タコウと転訛していったものだろう。

和銅3年(710年)創建と伝えられる古社。田甲の地は旧荒川の水利とともに交通の要所であり、そこに玉鉾山が突きでており、その頂上に当社が鎮座している。周辺は「高負彦根神社周辺遺跡」として奈良時代の集落跡が残る。このあたりの丘陵と沼は「荒川」が作りだしたものであるとされ、ここのポンポン山(後述)の下もかっては「荒川」の流路であった。吉見丘陵東端には古墳群、そして式内社3社が存在していたことから、この地域が古くからの開発地域であったことがわかる。

当社の祭祀には吉志(きし)氏(壬生吉志・渡来系氏族=屯倉管理か?)が関係していたとされる。横見郡三座のうちでもっとも古く、天平勝宝7年(755)に官符がひかれており(入間郡の正倉火災に関係)、奈良時代にはすでに官社となっていた。

中世以降は衰退し不明。「玉鉾氷川名神社」と称していた。氷川社となったのは天穂日命の6代、五十根彦命の別名を高負比古命とする氷川神社宮司家の伝承によるものという。
天明3年(1783)に再興。

『新編武蔵風土記稿』の記述
横見郡 巻之ニ
田甲村タカヲ 附持添新田
村内高負比古根ノ神社ハ延喜式神名帳ニ載ル所且和名鈔ノ郷名ニ高生ト載ス多介布ト註スレハ舊キ名ナル事シラル又當郡東ノ方荒川ヲ隔テ足立郡高尾村アリ 古ハ田高トモ記セシ由是田甲ノ轉訛ナラン 想ニ唱ト云ヒ□キ一河ノ隔ト云ヒ當所ノ名ノ廣ク彼所迄モ及シナラント里人語レリ
高負比古根神社 村ノ鎮守ナリ 例祭九月十九日 當社ハ延喜式神名帳ニ載ル所ノ高負比古神社ニシテ祭神ハ昧鉅高彦根命或ハ素盞鳴尊ナリトモ云 中古以來玉鉾氷川明神稱シ來リテ式社タル事モ定カナラサリシニ後高負比古根神社ト稱セシ由ナレト果シテ古ノ式社ナリシヤ未詳ニセス 社ノ後背ハ高十一間許ナル□石ノ丘ニテソノ内社ニヨリタル邊踏鳴セハ皷ノ如ク響キアル處アリ ソコヲ玉鉾石ト稱ス又通シテ玉鉾山トモ號セリ 玉鉾神靈ノ寓スルト云意ナル欺ヨリテ玉鉾氷川トイヒシトミユ 又社傍ニヨモキノ松ト云アリ圍ミ一丈餘 社前ニ湊石ト云アリ共ニ由來詳ナラス 村内福聚寺ノ持

鳥居
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鳥居をくぐった左に、「珪化木」があり。
灯明台にしたのだろうか。
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真っ直ぐな参道の左に、献財者の石碑が並んでいる。
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拝殿前左右に文政3年(1820)奉納の石灯篭があり。
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入母屋造りの拝殿
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鬼瓦には「高負」とあり。
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向拝には龍と獅子。
龍の顔はおどけているが、獅子の顔はいかめしい。
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社額
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拝殿内部
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奥に本殿が鎮座
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本殿覆い屋
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祭神:味耜高彦根尊(あじすきたかひこねのみこと)、大己貴尊(一説に素戔嗚尊)
祭神はいずれも出雲系であるが素戔嗚尊が混入したのは牛頭天王信仰によるものとされる。

また、吉見町の伝説に祭神が登場する「楡の木の下の話」がある。
 むかしこの地方(比企郡吉見町)には鬼が住み、鬼の毒気により市野川の水も飲むことができなかった。里人たちは川辺の楡の木の下に集まって相談をしたが、良い考へも浮かばずに解散した。一人の若者がそのまま木の下に残って市野川の流れを見てゐると、美しい娘が声をかけ、一掬ひの水を求めた。若者が毒の水だから飲めないと事情を告げると、娘は、里人のために清い水にしてみせませうといって、剣を若者に授けて、自分は市野川に飛びこんだ。すると川底から不思議な石が現はれて霊気を発し、たちまち澄んだ清らかな水となったといふ。若者は剣で鬼を退治した。娘は岩室の観音様の化身といひ、若者の名は高負彦根命で、高負比古根神社に祀られてゐる。

境内社は、三峰神社のみ。
祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊。
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中には、布袋様や大黒様が奉納されていた。
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ポンポン山に向かいます。
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ポンポン山(別名玉鉾山)と呼ばれる標高38Mの小山(磐座)の頂上に鎮座している。社殿後方の巨岩に近い地面を踏みならすと「ポンポン」と太鼓のような響きがするために「ポンポン山」と呼ばれている。この響きには地下に洞穴(空洞)があるという説と、ローム層と砂岩の境界面で音波がはねかえるという2説がある。

神社の表から入ると、山と言われてもまったくピンとこないが、ここを参拝したあと次の目的地に向かうときに、反対側から眺めてみたら、たしかに「磐座」であって、ここに祀ったのはうなづけた。
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先ほどの説明板には、このように説明がある。
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このあたりだと、見当をつけ足でたたいてみると、たしかに音がするところがあった。
ちょっと楽しんでしまった(笑)
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それから岩となるが、そこに大変良い庚申塔があり、嬉しくなった。
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宝暦6年(1756)建立のものだが、良い石を使っていて、風化が少なく綺麗な状態。
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足元には、猿と酉が二羽いる。
猿は「三番叟」の姿で、珍しい。
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磐座の上にも、風化していて年号は確認できなかったが、庚申塔があり。
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磐座の上
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たぶん、筑波山、赤城山、榛名山だと思う。
うっすらと遠望できる。気持ちよく見晴らしを楽しんだ。
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磐座から降りてきて、けもの道があるのに気付いた。
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そこを行って見ると、磐座の裂け目があった。
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続いて、「横見神社」に向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ポンポン山ですか、確か、関西にあったと思いますが、関東にもあったのですね。関西の方のポンポン山は標高600m以上あり、東京で言えば高尾山みたいなものだと思いますが、こちらにものは38mだと小山と言う感じでしょうね。

獅子舞と言えば、大昔の私が小学校低学年までの頃だったか、正月だったか、祭りのころだったか、よく覚えていませんが、獅子舞が各家をまわっていたのを思い出しました。町内の人達ではなくて、どこかから来ていたようですが。

matsumoさん

ポンポン山は、他にもあるんですね。
面白いものだな、と思いました。

獅子舞は、狭山市では大きな神社二つで、それぞれの
氏子の皆さんが伝承して行っています。
なかなか見事なものです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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