邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)/日本の神々の話

20160119

昨年の11月に3日間の出雲の旅を楽しんだ際に、ちょっと足を延ばして石見國一之宮である物部神社に参拝したときに、祭神の宇摩志麻遅命の父神として相殿に祀られていた。
また、「関八州式内社めぐり」で常陸國の稲村神社にて祭神として参拝している。

『古事記』では邇藝速日命、『日本書紀』では饒速日命と表記する。
別名、櫛玉命(くしたまのみこと)。天照国照彦火明櫛玉饒速日命ともされる。

まず、いずれの神名にも共通する「ハヤヒ」について、戸矢学氏の『縄文の神』での説明を載せておく。
「いずれの神名表記にも共通するのは「速日」 のみである。つまり「速日」 こそがニギハヤヒの正体に迫ることのできる最大の手掛かりなのである。それ以外の表記は個別の性格付けを表す“形容” “味付け”にすぎないと言ってよい。速日とは、文字通り「速い日」 であり、あるいは「速い火」 であるだろう。隕石は火の玉となって落下した。その様を目にした人々は、恐れを込めて「速日」、「速玉」と呼び、最大級の破壊の神として祀ったのだ。
また、「日」は「火」 であり、さらに古神道では神霊の「靈(ひ)」を意味する。それは、何か。アマテラスはその神格を太陽に擬らえられた。アメノミナカヌシは北極星である。
特定の神を特別な星として信仰するのは、神道のより古い姿であると考えられる。自然信仰の究極の形だろう。とりわけ重要な神は、「天の神」という観念からの発想もあってか、「星」 に擬らえることが多い。その論理から、アマテラスから統治者として任命されたニギハヤヒとは、太陽から発して飛来する火の星、すなわち隕石であると考えられる。だから「速い日」 の字が充てられている。」

続いて、この神が記紀などで、どう書かれているのかを挙げておく。

『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。
「神武天皇」の巻、「久米歌」の段
 (現代語訳)
そこからお進みになって、忍坂の大室にお着きになったとき、尾の生えた土雲という大勢のつわものが、その岩屋の中で待ち受けて、うなり声をあげていた。そこで天つ神の御子(イハレピコノ命=神武天皇)の御命令で、御馳走を大勢のつわものに賜わった。このとき、多くのつわものに当てて多くの料理人を用意して、一人一人に大刀をはかせ、その料理人たちに教えて、「歌を開いたら、いっせいに斬りつけよ」と仰せになった。そこで、その土雲を討とうとすることを示した歌は、
“忍坂の大きな土室に、人が数多く集まってはいっている。どんなに多くの人がはいっていても、勢い盛んな久米部の兵士が、頭椎の太刀や石椎の大刀でもって、撃ってしまうぞ。勢い盛んな久米部の兵士らが、頭椎の大刀や石椎の大刀でもって、今撃ったらよいぞ。”
このように歌って、大刀を抜いていっせいに打ち殺してしまった。
その後、トミピコ(=長髄彦)を討とうとされたとき、歌われた歌は、
“久米部の者たちの作っている粟畑には、臭気の強い韮が一本生えている。そいつの根と芽といっしょに引き抜くように、数珠つなぎに敵を捕えて、撃ち取ってしまうぞ。”
またお歌いになった歌は、
“久米部の者たちが垣のほとりに植えた山椒の実は辛くて、口がひりひりする。われわれは、敵から受けた痛手を忘れまい。敵を撃ち取ってしまうぞ。”
またお歌いになった歌は、
“伊勢の海の生い立つ石に這いまつわっている細螺のように、敵のまわりを這い回って撃ち滅ぼしてしまうぞ。”
またエシキ(兄師木)・オトシキ(弟師木)をお討ちになったとき、命の軍勢はしばし疲れた。そこでお歌いになった歌は、
“伊那佐の山の木の間を通って行きながら、敵の様子を見守って戦ったので、われわれは腹がへった。鵜養部の者どもよ、今すぐに助けに釆てくれ。”
さて、ここに二ギハヤヒノ命が、イハレピコノ命のもとに参上して、天つ神の御子に申しあげるには、「天つ神の御子が天降って来られたと聞きましたので、あとを追って天降って参りました」と申して、やがて天つ神の子であるしるしの宝物を献って、お仕え申しあげた。
そして二ギハヤヒノ命は、トミピコの妹のトミヤビメと結婚して生んだ子がウマシマヂノ命で、この人は物部連・穂積臣・婇臣(うねめのおみ)の祖先である。
さて、このようにしてイハレピコノ命は、荒ぶる神たちを平定し和らげ、服従しない人たちを撃退して、畝火の白檮原宮(かしはらのみや)において天下をお治めになった。
 
(注)
忍坂:奈良県桜井市忍阪

『日本書紀』では、神武天皇が東征で、長髄彦と対時している時、 長髄彦の使者が来て、「この国には先に天津神の御子饒速日命と申す神が天降って来て、我が妹を娶り、可美真手命をもうけているほどである。 したがって自分はこの神を主君として仕え奉っているのである。 天津神の御子に二種ある筈がない。いまごろ天津神の御子であると名乗って人の国を奪おうとするのはけしからぬ」と言った。 神武天皇は、「天津神の御子といっても数は多い。いまお前が君として仕えている神が真の天津神たらば、必ず表物をもっているだろうから、それを見せろ」と言われた。 長髄彦は早速、饒速日命の天羽々矢一隻と歩靱を見せた。神武天皇はこれを見て、「なるほど偽りではないが、私もまたお前に示すべき表物がある」と言われ、 天羽々矢と歩靱を示された。これを見た長髄彦は、心では恐縮したが、兵士たちの勢いもあって、頑強に戦いを挑んだ。 だが饒速日余は、神武天皇が皇祖の大詔によって天降った天孫の正統な君であることを知り、 また長髄彦はいくら諭しても解る者でないことを知って、遂に長髄彦を殺して天皇に恭順した。 また、饒速日命を物部氏の遠祖とある。


『日本書紀』などの記述によれば、邇藝速日命は神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。
また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれている。
大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説などもある。

邇藝速日命を祭神とする飛行神社(京都府八幡市)があり、饒速日命は古典に「天磐船に乗りて太虚(おおぞら)を翔行(めぐ)り」の古事に基づき航空祖神とされていて、空の神とも言われ信仰を集めている。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ううん、神武東征って、騙し討ちやギリギリの勝利の連続だったのですね。ヤマトタケルもそうでしたが、スッキリする勝ち方をしていないのは何か、意味があるのでしょうね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
結局スッキリした勝ち方はしていないようです。
征服したと云っても、数では少数派で、
先住民族の女性を妻にした結果、次第に
女系家族に取りこまれてしまったようです。
神話は後の時代なので、そういうのが影響していると
思います。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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