禅龍寺で豆まき体験

20160212

2月3日(水)に、歴史クラブ行事で豆まきを体験しました。
このお寺では、希望者は豆まきが出来るということで、企画したものです。

まずは禅龍寺についておさらい。
【禅龍寺】
所在地:狭山市広瀬2丁目20-1
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当寺は万寿山禅龍寺といい、入間市金子にある瑞泉院の末寺ですが、現在では本寺・末寺の関係はほとんど無いようです。宗派は曹洞宗で、本尊は木造の千手観音坐像で、像高27cm、台座高33cm、全高76cmです。
当寺の由緒は、太平洋戦争中に供出した享保年間(1716~36)に鋳造された梵鐘(ぽんしょう)の銘文に、「玉岫璘公尼(ぎょくしゆうりんこうに)が明応年間(1492~1501)に開山し、瑞泉院5世の華厳文説(けごんぶんせつ)が天正元年(1573)に、宗派を臨済宗から曹洞宗に改め中興開山した」と刻まれていました。
一方では万寿(まんじゆ)年間(1024~28)に創建されたので、山号を「万寿山」と称したとも伝えられています。
「新編武蔵風土記稿」には、当初は尼寺であったと伝えられ、鎌倉時代に当寺が全盛であった頃は千石を領する大寺であったと記載されています。

豆まきの会場となる三仏堂に安置されている「木造千手観世音菩薩坐像」は狭山市指定文化財です。

【木造千手観世音菩薩坐像】
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三仏堂内に安置されているのが昭和61年(1986)11月1日に狭山市指定文化財・彫刻として指定された木造千手観音菩薩坐像で、かつての本尊といわれています。像高は64.4cm、寄木造りで頭上に10の尊顔と阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を戴き、合掌印を結んだ2本の手を除き40本の手を持ち、光背は舟形の透かし彫りで、瑞雲の中に11面の円鏡が配置されています。
40本の手はそれぞれが25の世界を表し、「40×25」で千手と説明され、台座は華盤(けばん)が大きく反る堂々たるもので、精巧に造られた蓮華座(れんげざ)の蓮弁(れんべん)も1枚ずつ丁寧に彫刻されています。製作年代は不詳ですが16~17世紀初頭に造られたものではないかと推察されています。
この仏像は寛延4年(1751)3月に亡くなった当寺の第5世玉鳳冨泉大和尚の時代に、当地の野島家と片岡家の祖先が、鎌倉の東慶寺から担いで持ち帰ったとの伝承が残っています。
この三仏堂内には、他に木造の不動明王坐像と二童子像および僧形の木造川崎大師坐像が安置されています。


【節分の豆まきについて】
○飾分の由来
「節分」とは、本来「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節目を指し、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日に1年で4回ありましたが日本では立春は1年の始まりとして特に尊ばれていて次第に節分と言えば春の節分のみを指すようになっていった。立春(毎年2月4日ごろ)の前日は2月3日となる。
室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展し民間にも定着していった。「神社では節分祭」、「寺院では節分会」の呼称が一般的である。

○豆まきの由来
「節分」には豆をまきますが、これは中国の習俗が伝わったものとされている。
豆は「魔滅(まめ)」に通じ無病息災を祈る意味があります。昔、京都の鞍馬に鬼が出た時、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目(まめ))に豆を投げ付けて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
豆まきは一般的に一家の主人あるいは「年男」が豆をまくものとされているが、家庭によっては家族全員で・・・というところも多い。
家族は自分の数え年の数だけ豆を食べると病気にならず健康でいられると言われています。
ただ、豆まきに使う豆は妙った豆でなくてはならない。なぜなら生の豆を使うと、拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が悪いからです。
「妙る」は「射る」にも通じ、また、鬼や大豆は陰陽五行説(「木」「火」「土」「金」「水」の五行)の「金」にあたり、この「金」の作用を滅すると言われる「火」で大豆を妙ることで、鬼を封じ込めると言う意味があります。
そして最後は豆を人間が食べてしまうことにより鬼を退治したということになるそうです。
妙り豆の代わりに落花生をまき寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もある。「落花生は大豆より拾いやすく地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆まきとなったとのことです。

希望者が多くて三回に分けて実施するということで、歴史クラブの皆は二回目に参加することになりました。
そろそろ時間だということで、裃をつけます。
慣れないこと故、大騒ぎ(笑)
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着付けが終わって本堂の前に集合。
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廣瀬囃子が景気よく響きます。
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会場の三仏堂に入ります。
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参加者の無事を願って、護摩が焚かれます。
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いよいよ豆まき。
たくさんの人が拾いに来ています。
子供が押し寄せるので、播くというより、親切に手渡ししている人が多い(笑)
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最後にお坊さんが出てきて、豆をまいて終了。
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参加者の皆さんは、「福をあげる」ということで、とても気持ち良い体験をしたと、上機嫌でした。
このあと、皆で近くのファミレスで楽しく懇親会を楽しみました。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おっ、豆まきに参加ですか! ご苦労さまです。

それにしても、豆まき、お寺でも行っているのですね。あ、そう言えば、成田山・新勝寺でもやっていますから、珍しい訳ではないですね。でも、鳴り物入りでの豆まきはいいですね。

私の家の近くの神社でも豆まきが行われていますが、確か、参加料(初穂料)は6000円でした。根津神社は7000円ですが、合わせて8回ほどの豆まきが行われ、それも氏子町内ごとのようでした。まいている豆は落花生で、それ以外に持ち込みの形で、袋菓子や蜜柑、ティッシュ等でした。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
おお、東京の参加料はやはり高いですね。
そして回数も多いですね。
こちらは田舎ということもあって、その半分
くらいでした。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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