阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)/日本の神々の話

20160213

この神には、日光二荒山神社、東京都あきる野市五日市の阿伎留神社、吉見町の高負比古根神社で参拝しました。

『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神、また、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命とも表記される。
別名、迦毛大御神(かものおおみかみ)。

『出雲国風土記』に登場する阿遅須枳高日子(あじすきたかひこ)を同神とする説もあるが、両神の伝承の内容を見ると、まったく違うので私は別々に挙げておく。

大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。
農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)、鴨神社(岡山県玉野市長尾)などに祀られている。
別名は賀茂社の神の意味である。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。

『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。
神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、「シキ」はを磯城で石畳のことであるとしている。他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある。

『古事記』では、葦原中国平定において登場する。
天照大御神から葦原中国平定を二番目に命じられた天若日子が、大国主神の娘下照比賣と結婚してしまい復命しない。そして高木神の返し矢で天若日子は死んでしまう。
それに続く話である。
(現代語訳)
  さて天若日子の妻の下照比賣の泣く声が、風の吹くにつれて響いて天上に届いた。そこで天上にいる天若日子の父の天津国玉神神や、その妻子がこれを聞いて、降って来て泣き悲しみ、やがてそこに喪屋を作り、川雁を食物を運ぶ係とし、鷺を掃除係の箒持とし、翡翠を御饌の係とし、雀を米つき女とし、雉を泣き女とし、このように葬儀の役目を決定して、八日八夜の間歌舞して死者を弔った。
そのとき、阿遅志貴高日子根神がやって来て、天若日子の喪を弔問するとき、天上から降って来た天若日子の父、またその妻がみな泣いて、「わが子は死なずに生きていたのだ。わが夫は死なずに生きておられたのだ」と言って、手足に取りすがって泣き悲しんだ。
このように阿遅志貴高日子根神を、天若日子と間違えたわけは、この二柱の神の顔や姿がたいへんよく似ていたから、それで間違えたのである。そこで阿遅志貴高日子根神はひどく怒って言うには、「わたしは親しい友だちだから、弔問にやって釆たのだ。なんだってわたしを汚らわしい死人に見立てるのか」と言って、身につけておられた十拳剣を抜いて、その喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばしてしまった。これが美濃国の藍見河の川上にある喪山という山である。そのとき手にして喪屋を切った大刀の名は大量(おおはかり)といい、またの名は神度剣(かむどのつるぎ)という。そして、阿遅志貴高日子根神が怒って飛び去ったとき、その同母妹の高比売命は、兄神の御名を明かそうと思った。そして歌った歌は、

 天上にいるうら若い機織女が、頸にかけている緒に貫き通した玉、その緒に通した穴玉の輝かしさよ、そのように谷二つを越えて輝きわたる神は、阿遅志貴高日子根神である。

と歌った。この歌は夷振(ひなぶり)の歌曲の歌である。


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