水戸・偕楽園好文亭

20160229

27日(土)に、水戸の偕楽園に観梅に出掛けましたが、その際に偕楽園の中にある「好文亭」を見学しました。

「好文亭」の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。
好文亭は水戸藩第九代藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)の別墅(べっしょ)であるが、そこは己一人が楽しむ所ではなく、民と 偕(とも)に楽しむ所であった。

二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。

好文亭へのアプローチは、右手に鬱蒼と茂った林、左手は瀟洒な緑が鮮やかな寒竹が茂っている。
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「芝前門」から入る。
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凝った樹に囲まれて好文亭はある。
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ここにも「簾の内枝垂(みすのうちしだれ)」という梅があり。
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三階の屋根
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玄関から入ってすぐのところに、今は無い「羽衣の松」の幹が置かれていた。
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奥御殿(おくごてん)に入る。
奥御殿は十室からなっています。奥御殿は昭和44年9月2日の落雷により焼失し、再び昭和47年に復興された。

なお、襖の絵は昭和30年台の建屋復元の際に、当時の東京藝術大学の教官であった須田珙中と田中青坪が描いたもの。

菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された。

○菊の間
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○桃の間
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これは、何という樹だろうか。
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つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人た ちの詰め所、休憩室として使用された。

○つつじの間
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○萩の間
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○桜の間
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松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。
藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側をもって隔ててある。

○松の間
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○紅葉の間
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竹の間、梅の間、清の間(せいのま)の三室の一棟は、明治二年に水戸市柵町にあった中御殿の一部材料を運び奥殿に増築したもの。
斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた。(その後は東京に移られた。)
自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている。

○梅の間
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この梅の間を謳った北原白秋の短歌が、飾られていた。
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屋根は柿葺(こけらぶき)である。

○竹の間
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梅の間、竹の間などの奥御殿濡れ縁からの眺め
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太鼓廊下の左側に篠で作った格子窓があり、これは外からは窓であることが判らないように工夫されているそうです。
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東塗縁広間は、列公が藩内の家臣、庶民の老人を招いて慰労の催しをされた総板縁の室。
養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた。
藩主が来亭して、この室にいるときは、何かと用務もなさっていた。部屋には床の間を設けず、竹の柱だけを下げ、極めて簡素に作られており、竹のアジロ網の中に紗を張った網代戸をとおして左右の間が見えるようにしてある。
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広間の天井は杉板のアジロ張り。
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茶室に至る長押(なげし)に、烈公の歌が彫れらた円形の板額がかけられている。
「世をすてて 山に入る人 山にても なほう(憂)きときは ここに来てまし」
意味: (山に入っても、なお落ち着かなかったら、静かなここ好文亭にお出で下され)

暗かったので、見事にブレてしまった(汗)
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ここから、急な階段を上がって三階に。
三階を特に「楽寿楼(らくじゅろう)」と呼んでいる。

三階に上がってすぐに目に着いたのが配膳用のエレベータ。 いざというときには緊急避難路にもなるらしい。この配膳用エレベータは烈公(徳川斉昭公)の創意によるものと伝えられている。
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この八畳間の正室からの眺めは格別である。
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床柱は、島津藩主 島津斉彬(しまづなりあきら)から贈られたサツマ竹が用いられた。
このサツマ竹床柱の節は、漢字「武士」の画数にちなんで11個ある。
床の間左側には、烈公が陣太鼓を作ったときの余材を利用して作った漆塗り丸窓の富士見窓を有する。その陣太鼓は常磐神社境内の義烈館に陳列されている。
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一階に降りたときに、例の配膳用のエレベータがあった。
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武士のたしなみ、木賊。
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玄関から出て、待合のほうに行ってみる。

露地門があり。
七曲がり坂を登ったところにあり、現在は解放されていない門であるが、昔はこの露地門をくぐり待合に入った。
日常世界と茶の湯の庭との界に置かれる門である。
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待合(まちあい)
茶室何陋庵(かろうあん)の露地の西側にある。
茶室に招かれた客が、席の準備ができるまで控え待つ場所。
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茶室何陋庵(かろうあん)の露地
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これで、好文亭の見学を終え、再び観梅を楽しみ、続いて茨城県立歴史館に向かった。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、ここ、入ったことはありませんが、外から見ると、妙に新しい感じだったので、不思議に思っていましたが、昭和30年以降のものだったのですか! まあ、日本の建物は江戸時代のものと言われていても、外側の板は昭和や平成の時代に張り替えたもので、本当に古いものは柱位だと思いますので、昭和の時代に再建されても似たようなものですが。

部屋の襖の絵も妙に新しく見えますが、それでも、良い感じですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
襖絵は、私もとても気に入りました。
私でもわかる有名な作家ではありませんが、
充分に実力がある方だということです。
思わず見とれてしまう絵が多かったです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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