「茨城の宝・Ⅰ」展/茨城県立歴史館

20160302

27日(土)に、水戸の偕楽園に観梅に出掛けました。
今年の観梅を水戸に決めたのは、実は半月くらい前に川越市博物館に行ったときに、「茨城の宝」展のチラシを手に入れ、鹿島神宮の神宝など興味をそそられる出展だったから、これも楽しみにしていた。

それで、偕楽園で観梅したあと、すぐ近くにある歴史館に行きました。

歴史館の敷地に入ると、白亜の建物が見える。
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旧水街道小学校本館だった。
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歴史館の建物は、城の石垣をイメージさせるものだった。
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正面入り口
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中に入り、チケットを購入すると、「土日だけの喫茶コーナー開店」のチラシを渡された。
ちょうど喉が渇いていたので、先にコーヒーを飲んでから見ることにした。

メニューに「徳川将軍珈琲」というのがあり、説明に「江戸幕府15代将軍徳川慶喜が飲んだコーヒーを史実に基づき再現!」とあった。
面白かったので、それを頼んだ。
予想に反して(笑)、美味しかった。

喫茶コーナーからの中庭の噴水の眺め。
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「茨城の宝・Ⅰ」展を観る。
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沢山良い物が出展されていたが、例によって私がすこぶる嬉しく見たものだけ紹介しておきます。

入ってすぐに、会場に常設されているものだと思うが、古道のはぎ取り断面が展示されていて、これには感心した。

【五万掘古道道路跡断面】
『日本書紀』によれば、天武天皇14年(685)に東海道の記事があることから、この頃には東山道・東海道などの五畿七道制にもとづく官道の整備が行われていたことになる。
常陸国府は東海道の最終地点であったが、平成10~11年(1998~99)に行われた茨城県教育財団による五万堀古道の発掘調査の結果や、常陸国府以北の駅家の存在などから、東北方面へ古代の官道が存在していたと考えられる。
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笠間市の五万堀古道は、安侯駅家(あごのうまや 現在の笠間市安居付近)から河内駅家(かわちのうまや 現在の水戸市中河内付近)に向かう古代の官道「東海道」の一部と推定されている。発掘調査により、両側に側溝を伴う福7-10mの直線道路跡が確認された。
本資料はそのはぎ取り断面である。断面から3つの時期の道路跡が想定される。
左半分
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右半分
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【金銅製馬形飾り付き冠】
茨城県指定文化財、三味塚古墳(行方市沖洲)出土
5世紀末~6世紀初頭
頭にかぶったままの状態で頭蓋骨と一緒に発見され、冠には布片が付着していた。馬形飾りや蝶ネクタイ状の金具が付き、透彫が施された冠は、大陸の影響を受けているものの、技術的にあまさがあることから国産のものと考えられている。
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復元品
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【虎塚古墳石室内壁画】
所在地:ひたちなか市中根
これは出展品ではないが、図録に紹介されていた。
エネルギッシュな壁画に圧倒される。
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【五つの風土記】
各国で作成された風土記のうち、現在まで写本が伝わっているのが五つである。
すなわち、常陸国(茨城県)、播磨国(兵庫県)、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(長崎県・佐賀県)である。
その五つが展示されていた。
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もちろん、水戸光圀が編纂を開始した『大日本史』も展示されていた。
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『常陸国風土記』の発見は、徳川光圀が日本の歴史書編纂を始めたことによる。光圀は18歳の時に中国の司馬遷が書いた『史記』の「伯夷伝」を読み、歴史書を作ろうと志した。その歴史書は後に『大日本史』と名付けられた。
『常陸国風土記』は、延宝5年(1677)2月に加賀(金沢)藩の藩主前田家に伝わるものを借り受け、彰考館で書写された。
その後写本を水戸に置き、研究、版行したことにより今日に伝わった。

大日本史は、水戸藩2代藩主徳川光囲が18歳の時に歴史書を編纂しようと志し、明暦3年(1657)に着手した。光圀死後も編纂作業は続き、何度かの中断を経て、明治39年(1906)に『大日本史』は完成した。全397巻と目録5巻からなる。

【韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)】鹿島神宮
国宝
奈良・平安時代
この直刀は鹿島神宮では「師霊剣」と呼称されている。現存する直刀としては国内最大のものになる。
実に271cmの長さである。
直刀は奈良時代の作、獣文や雲文が措かれた鞘は平安時代の作と推定されている。刀唐櫃は室町期の制作。風土記には「慶雲の元年、国司采女朝臣、鍛、佐備大麿等を率て、若松の浜の鉄を採りて、剣を造り…」とある。
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この展示会のチラシを見て、裏の展示品の紹介のうち、最も見たいと思ったのがこの剣である。

この「フツノミタマ」については記紀神話に登場する。
葦原中国平定の神話において、タケミカヅチらが大国主の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇している。

神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。

神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。

一方、鹿島神宮にも布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっている。由来は不明であるが、奈良時代末期から平安時代初期の制作とされる。国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館にて展示されている。
布都御魂は神武天皇に下される前は鹿島神宮の主神であるタケミカヅチのものであり、布都御魂が石上神宮に安置され鹿島に戻らなかったために作られた二代目が、現在鹿島に伝わる布都御魂剣であるという。

というわけで、神話に登場した剣ではないが、それに相当する剣ということである。

傍らに、同じ大きさ、同じ重さの、模造剣が下げられており、真ん中辺を持ってみることができるようになっていた。
重かった!!

【陶造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
室町時代
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【陶造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
室町時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
元和5年(1619)
2代将軍徳川秀忠により、本殿などと一緒に寄進されたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
吽形のみ
鎌倉時代
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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これは祭事に用いられたもの。
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【木造狛犬】鹿島神宮
阿吽一対
鎌倉時代
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この日は、偕楽園の梅も良かったし、好文亭の中も良くて、ゆっくりと楽しんだ後で、この展示がまたすこぶる良かったので、たっぷり時間をかけて眺めた。
予定では、もう一か所寄ろうかと予定していたが、歴史館を出たのが15時をまわっていたので、充分満足したこともあり、帰途についた。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

やはり、ここ行かれたのですね! 私は敷地内に入って、洋館の小学校を撮影したことがあるだけです。

それにしても、金銅製馬形飾り付き冠、素晴らしいですね。6世紀初頭と言うことは、九州王朝が任那日本府を統治していた頃ですから、それなりの技術があったのでしょうね。

また、木製の狛犬もいいですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私は、展示会のほうが気になって、洋館の小学校の
中には入りませんでした。
再度訪れたときには、中を見せてもらうつもりです。
狛犬は、本当に大収穫でした。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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