八宮神社

20160310

鎮座地:埼玉県比企郡小川町小川990

2月26日(金)に歴史クラブ行事「嵐山町から小川町を歩く」で普光寺霊園・聖観音堂の後、バス停「五丁目」からバスに乗り、「八宮神社入り口」で降りて参拝しました。

社号標
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大字小川は、江戸時代、江戸と秩父方面、八王子と上州(現群馬県)方面を結ぶ街道の宿駅として発展し、寛文二年(1662)には毎月一、六の日に市もたつようになった。
当社は、『風土記稿』小川村の項に「八宮神社村の鏡守なり」と記されているように、当時の小川村の鎮守であった。
創建については、『風土記稿』に「勧請の年歴は詳ならざれど、元和三年(1617)再建の棟札あれば、それより前の集塵なりしことしらる」とあるのが、最も詳しい記録である。
当社は、元来は地内北部の日向山に鎮座していたが、享保二年(1717)に現在地に遷座したと伝えられる。この遷座の理由は明らかでないが天保四年(1833)に建立された現在の社殿は、日光東照宮全棟の工事を担当した棟梁頭平内大勝守正清の七代目に当たる林兵庫正尊を大棟梁に、上州花輪の彫工石原常八主膚を彫物棟梁にして再建された立派で大きなものであることから考えると、境内の拡張が目的であったものかと思われる。

八宮神社は、現在、小川町に四社、嵐山町に四社、滑川町に一社と、比企部に限って存在し、しかもほぼ鎌倉街道に沿って集中的に分布している。
また、八宮神社の分布している地域の東側には淡洲神社、南側には黒石神社が集中的に分布しており、この付近は神社の奉斎とその祭祀圏の関係について極めて興味のある地域である。
しかし、これらの神社の分布の持つ意味は未だに解明されておらず、八宮神社の分布についても、郷土史家の大塚仲太郎が昭和五年に神社の分布は『和名抄』所蔵の郷名と関係があり、淡洲神社の分布地は醎瀬郷(からせごう)、八宮神社の分布地は多笛郷に比定されるという説を、昭和十三年には八宮神社の分布は奈良梨から下小川に居住する千野氏や諏訪氏といった一族と関係があるという説を『埼玉史談』に発表している程度であり、この二説もまだ定説とは言い難い。
「八宮」の文字は、現在どの神社でも「やみや」と読んでいるが、『風土記稿』にはすべて「ヤキュウ」と振り仮名を付しているところから、元来は「やきゅう」と読んでいたことが推定される。
このことは、福島東雄の『武蔵誌』で、当社の社名が「八弓明神社」となっていゝることからも裏付けられ、寄居町鷹巣の矢弓神社や東松山市の箭弓稲荷神社との関係も考えられる。
なお、「八宮」を「やみや」と読むようにになった時期は明治維新直後と推定きれるが、読みを変更した理由は定かではない。

鳥居から入る。
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鳥居の先、右手に芭蕉の句碑あり。
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「先堂能む 椎の木も安里 夏木立」
(先たのむ  椎の木もあり   夏木立)
句碑は、弘化4年(1847年)5月に建立されたもの。
出典は『猿蓑』(幻住庵の記)。
元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで芭蕉は国分山の幻住庵(滋賀県大津市国分2-5)に滞在した。47歳の時である。

手水舎
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拝殿
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向拝部分の彫刻も素晴らしい。
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向拝柱に渡した注連縄
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社額
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社殿は本殿と拝殿を幣殿でつないだ複合社殿(権現造)で、棟札から本殿は天保4年(1833)の建築とわかります。大棟梁は妻沼の林兵庫正尊、彫刻棟梁は上州花輪の石原常八主信(もとのぶ)で、国宝の妻沼歓喜院聖天堂の造営にかかわった林氏・石原氏の系譜を引く見事な彫刻が施されています。埼玉県内で特徴的にみられる江戸時代中期から幕末にかけての精巧な彫刻をもつ寺社建築の中でも、年代の特定できる好例として、県の有形文化財に指定されています。
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彫刻の題材は、中国のもの。名匠石原常八の華麗な彫物がすばらしい。
覆い屋などに邪魔されずに3面が拝観できるというのは貴重だ。
じっくり、本殿の彫刻を拝観しました。
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ご祭神は、「五男三女神の八柱の神」と伝えられ、一般に「八宮」の名は八柱の神を祀ることを意味すると説かれる。しかし、「五男三女神」の具体的な神名については諸説あり、『明細帳』では「天照大御神御子五柱・月読尊御子三柱命」、『風土記稿』では「国狭槌尊・豊科尊・泥土煮尊・沙樋煮尊・大戸道尊・面足尊・憧根尊」、『比企邪神社誌』では「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天之菩卑能命・活津日子根命・多紀理毘賣命・多岐津比賣命・天津日子根命・熊野久須毘命・市来嶋比賣命」とされている。
また、当社の本地仏は愛染明王で、現在も内陣に安置されている像高33cmの愛染明王坐像については『風土記稿』にも「今本地愛染を置り」との記述がある。

境内社ですが、社殿裏の小祠が二社。詳細は不明
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大黒天
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御嶽神社
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諏訪神社
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青麻三光宮(あおそさんこうぐう)本殿
小規模ながら天保13年に林兵庫正尊を棟梁として建立されたもので、合わせて県指定文化財になっている。

青麻神社の総本社は宮城県仙台市宮城野区に鎮座していて、嘗ては青麻岩戸三光宮、青麻権現社、嵯峨神社などとも称している。東日本を中心に数多く鎮座し、御祭神は天照大御神・月読神・天之御中主神の三神で、平安末期、源平合戦の折、源義経の配下で四天王として有名を馳せた常陸坊海尊を併祀する。
常陸坊海尊を併列して祀られているが、その由来として天和2年(1682年)、源義経の家臣であった常陸坊海尊(清悦仙人)であると称する老人が当地を訪れ、中風を治す霊験を顕したことによる。中風封じの御利益のある社としても有名だ。
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履物をたくさん奉納してある。
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本殿の彫刻をできるだけ撮った。
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これで、参拝を終え、再び「八宮神社入り口」からバスに乗り、小川町駅から帰途についた。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ここの彫刻、すごいですね。これだけ立派なものはそう無いと思います。ううん、先日のものを含めて、小川町に行きたくなりました。

さて、芭蕉の句ですが、インターネット上の「猿蓑」を読んだ限りでは、「先たのむ椎の木も有夏木立」と印刷されているようです。すると、石碑のの「堂能む」、「安里」は、縁起が良い字とか、何らかの意味があるのでしょうね。


matsumoさん

このお宮は、とても良いので、ぜひ一度
参拝されてください。

あて字については、人によってルールが
違って、古文書を読むときに結構苦労
します。

芭蕉も独特で、「はせを」というのも
「はしょう」とはなりませんよね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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