東京都民俗芸能大会

20160321

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この大会は今年で第47回だそうだが、私は2012年に江戸東京博物館で行われたものを観にいって以来、毎年観ている。

この記事は19日(土)に行われたもので、歴史クラブの行事にもしている。
ちなみに私は19日(土)と20日(日)の二日間ともに観た。

19日(土)に行われたプログラム。
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以前は届け出れば撮影が出来たのだが、昨年から撮影が禁止になったので、この日の雰囲気を示せる写真は無い。
プログラムからの転載で我慢してください。

【1.八王子車人形】
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 車人形は江戸時代の終わり頃、現在の埼玉県飯能市に生まれた山岸柳吉(初代西川古柳)が考案した「ろくろ車」という、前に二個、後ろに一個の車輪がついた箱形の車に腰掛けて、一人の人形遣いが一体の人形を繰る、特殊な一人遣いの人形芝居。
 八王子車人形は、八王子に160年以上続く国選択無形民俗文化財であり、西川古柳座の前身は、瀬沼時太郎(2代目西川古柳)が、18、9歳の頃、初代西川古柳に弟子入りしたことから始まりました。古柳座の芸能は、初代西川古柳や、江戸の最後の人形遣い吉田冠十郎、文楽の吉田文昇らの指導を受けています。さらに、伝統的な車人形の操法を基礎として新鮮な工夫を重ね、昭和56年には乙女文楽の技法を取り入れた「新車人形」を考案しました。また、技法のみならず、首や衣装を始め豊富な用具を多数保有しており、古柳座独自の用具なども考案して新作の上演も可能にしています。

この日上演されたのは、幕開けにふさわしく「寿式三番叟」だった。
6体もの人形が登場し、舞台中を所せましと動き回るダイナミックなもので、人形同士のかけあいもあり、見ていてとても楽しかった。
普通文楽では一体の人形に三人ついて操るが、それを一人でやろうと台に座り、その台に車をつけて動き回れるようにした、その工夫には感心しきりだった。

【2.寺島のあおり獅子】
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 寺島のあおり獅子は、旧寺島町(現東向島全域、京島、向島、押上、墨田、八広の各一部)の高木神社、白蒙神社に受け継がれている祭礼伝統行事です。
「あおり」という長さ8間(約15m)ほどの幕布が獅子頭に付き、4名ほどで獅子の頭を持ち、胴体の長いあおりを氏子の手で両側から上下にバタバタとあおることにより罪積れを祓い、運気を呼び込み、あおればあおるほど景気回復、商売繁盛が成就されるといわれています。また、獅子は邪気を祓うので神輿の順路を清める大事な神事でもあります。
 獅子には雄雌があり、合図によって動き始め互いの尻尾(御幣)に誘導されて雄雌は合体、二匹は頭上高く差し上げ天を仰ぐ形になり、同時に拍子木が高らかに打ち鳴らされます。この儀式を下町の細い路地、氏子の家の軒先に一軒一軒入りながら行います。

普通の獅子舞と違い、大勢の人が幕をあおぐ。沢山の人が参加して、しかも動きをあわせなければならない。
老若男女が参加出来て、楽しみながら共同作業をするわけで、地域の一体感が生まれて、楽しい祭りになるんだろうな、と思った。

【3.ちんどん芸】
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 ちんどん芸は、街頭宣伝業の一種として発生しました。街頭で寄席の宣伝をする業態は、江戸時代から記録として残っています。明治以降は楽隊(西洋式・おり難子式)と口上を合わせた宣伝業が隆盛しましたが、景気の後退や取り締まりにより衰退しはじめ、大正後期になると「ちんどん」と後に呼ばれる太鼓と鉢を合体させた楽器の誕生と共に現在のちんどん芸が生まれました。当初は「ちんどん」一丁と口上のみの宣伝業でしたが、昭和初期には楽器や三味線との組み合わせで街を練り歩くようになりました。チンドン屋は、今では町を演奏しながらパレードをして商店などの宣伝を行うものですが、昭和30年代までは辻々で寸劇や珍芸を披露するなど変化しました。
 チンドン芸能社は、2015年「とやま全国ちんどん大会」で最優秀賞を受賞しました。この世界で最高峰の技を備える団体で、本公演ではチンドン芸能社の美香を中心に、戦前から戦後にかけてのチンドンの歩みを追った著作『聞き書きちんどん物語』の著者としても知られる「ちんどんワカメ」こと大場ひろみ、「豆太郎」の名で親しまれる若手の代表格・里野立による特別編成チームを組みました。舞台では伝統的な寸劇をはじめ、昭和20年代から伝承されてきた人形踊りなどを披露しました。

懐かしかった!!!
昔は、色々なところでチンドン屋さんに遭遇した。
口上もいいし、音楽もよかった。
今のように、自由な身の上なら、遭遇したらどこまでも付いて歩いていくことだろう。

【4.口上芸】
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 舌耕芸といえば、落語、講談、浪曲などの伝承芸が思い浮かびますが、街頭を舞台とする大道芸人たちも語りを伝承してきました。「がまの油売り」「バナナの叩き売り」などもそうした伝統の語りの一つです。
 口上芸の一つである「のぞきからくり」は、箱のなかの作り物や絵などを覗き穴から覗き見させる見世物で、図画としては貞享二年(1685年)園果亭義栗画『文字ゑつくし』に描かれています。その八年後には近松門左衛門の「ひら仮名太平記」に小道具として登場しています。最初は、からくり人形を見せたところから「のぞきからくり」と呼ばれましたが、江戸中期ごろ、西洋伝来の透視図の技法で描かれた風景画をみせるようになりました。のちに独特の節づけでうたう『からくり歌』で、地獄極楽や八百屋お七などを語るようになり、現在、新潟市西蒲区巻博物館に保存され、今もなお伝承されています。本公演では「のぞきからくり」を「八百屋お七」の演目で披露しました。
 坂野比呂志大道芸塾は、1985年浅草奥山風景という催しに際し、大道芸の第一人者であった坂野比呂志の指導により、浅草寺境内で大道芸を実演する目的で結成されました。当初は「大江戸観光クラブ」と称しておりましたが、その後、日本の大道芸の研究、記録、伝承などを目的として「坂野比呂志大道芸塾」と変更し、1989年から実演に関しては「浅草雑芸団」とも称して活動しています。

のぞきからくりは、実際には見たことがない。
私にとっての「のぞきからくり」は、夏目雅子の「時代屋の女房」に登場したものである。
あれはよかった。
この日も、口上の片方の人が女性だったので、夏目雅子に見えて仕方なかった。

【5.飴売り芸】
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 飴売りは、室町時代の「三十二番職人歌合」に登場する「地黄煎売り」は、薬草の地黄を煎じて製造した水飴で、補血、強壮、止血の効用をうたう薬でした。江戸時代になると糖分補給の駄菓子となり、家庭内生産が可能であったことから日銭稼ぎの振売りの格好な商品となりました。購買対象は、子どもや長屋のおかみさんたちであり、奇抜な衣装や面白おかしい歌や踊りを演じて興味をそそり売り歩いていました。
 江戸時代に飴売りの奇抜な姿が絵や随筆に残されていますが、今回は坂野比呂志より伝えられた「げんこつ飴売り」「物産飴売り」と、新潟県三島郡越路町(現長岡市)の祭りに踊られていた「飴屋おどり」を実演した。

見て聞いて楽しく、子供のときにこれを見たなら飛んでいったと思うものだった。

【6.岩手の鹿踊】
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 東京鹿踊(とうきょうししおどり)は、岩手県一関市舞川地区出身の東京近郊在住者と、鹿踊を通して郷土芸能や地域への関わり方、あり方、未来を考えるための様々なプロジェクトを実行するための外部有志で組織されています。
 舞川鹿子躍(まいかわししおどり)保存会は、岩手県一関市の山間地である舞川地区に1700年代から伝わっており、発祥は今の宮城県南三陸町と伝えられています。現在も南三陸町に伝わる行山流水戸辺鹿子踊は踊りや装束など一切が行山流舞川鹿子踊に準じて演じています。
 行山流舞川鹿子躍保存会(岩手県一関市)は、約300年前の江戸時代に、宮城県南三陸町から平泉に接する舞川地区へと伝わった「鹿踊」です。盆供養や豊作祈願として、本物の鹿角をつけ、背中にササラと呼ばれる竹竿を背負い、太鼓を叩きながら8人で歌い踊ります。若手も多く、他の鹿踊団体と交流会や寺社への奉納、歌の復活などに積極的に取り組んでおり、現在、岩手県無形民俗文化財の指定を受けています。

私が花巻で鹿踊りを見たのは、調べたら2006年だから10年前ですね。
宮沢賢治の足跡を訪ねて歩いているときに、花巻駅前で高校生が演じるのを見ました。

その記事を読む


この日は、一関から駆け付けたという人が埼玉県出身だということで驚いた。農業を勉強しているときに一関に行き、惚れこんで一関の市役所に勤務しているのだという。

【7.江戸太神楽】
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 太神楽の起源は平安時代に遡り、神社に伝わる「散楽」という芸能がその源といわれています。太神楽が民衆の人気を集めたのは江戸時代になってからでした。民衆から熱心な信仰を集めていた伊勢神宮や熱田神宮の神官の子弟が獅子頭を持って各地に出張し、神様に代わって縁起物の「獅子舞」を演じて神社の御札を配って廻りました。「神様の代わり、直接参拝する代わり」という意味から、当時はそれを「代神楽」と呼んでいました。
 丸一仙翁社中は、江戸時代から続く熱田派の太神楽で、寛文9年(1669年)に江戸城で将軍家の上覧に供し、三代将軍家光のお墨付きで苗字・帯刀を許されるに至り、徳川家の御用神楽となりました。八代将軍吉宗の時代になり、将軍の命を受けて神楽を一般庶民にも供する機会が生まれ、江戸民衆の趣向に合わせて「獅子舞」はよりユーモラスなものとなり、また「曲芸・茶番」等が大衆化して「江戸太神楽(代神楽)」の名でいまに継承されています。近年では昭和29年に昭和天皇のもとで御前公演、昭和39年及び53年には文化庁芸術祭優秀賞を受賞し、昭和55年には東京都無形民俗文化財の指定を受けました。
 おめでたい獅子舞と、お馴染み傘の上で色々な品物をまわす曲芸、数個の鞠や撥、輪などを放る曲芸など、お茶椀やグラスをのせた道具を体の色々なところに立てる曲芸など、ドキドキ・ハラハラ楽しんでもらえるパフォーマンスを心掛けています。

やはり、傘の上で色々なものを回して見せてくれるのが、とても楽しかった。

(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

今年も行かれたのですね! それも2日間も。

チンドン屋さんは私が小学生の時に何回も見かけたことを記憶していますが、御徒町駅と秋葉原駅の両方から10分位の所にあった私の家の辺りでは、4,5人の行列と、最後にチラシを配る人がいると言う形でした。

江戸太神楽は、六義園では昨年は10回以上行われていました。もしかして、今年も決行、行われるかもしれません。




matsumoさん

コメントありがとうございます。
チンドン屋さんの音楽は、とても良かったですよ。
サックスの人が若くて美人で(笑)

江戸太神楽の人が、「続きは六義園で」と
言ってましたから、たぶんやってると思います。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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