日本橋から板橋まで(その三)/中山道

20160424

4月16日に歩いたもので、巣鴨地蔵通りのとげ抜き地蔵尊でちょっと休憩してから、また歩き始めました。
巣鴨地蔵通りが旧中山道です。
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名物の赤パンツ屋さん。
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通りにあった「巣鴨史跡マップ」。まだまだ行ってないところがたくさんある。
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「巣鴨庚申塚」にやってきました。
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巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。
一番右端の、屋根の葦簀(よしず)の上に見えているのが庚申塚です。
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ここは中山道板橋の宿場にも近く、右に向かえば花の名所「飛鳥山」、紅葉の王子にでる王子道の道しるべを兼ねた庚申塔が建っていました。庚申塚は広重の浮世絵にも描かれています。
現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀しています。猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。

狛犬でなく、狛猿が左右に居ます。庚申塔みたいに三猿も刻まれています。
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手水舎
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社殿
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都電荒川線の踏切を渡る。
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一つ向うの駅「新庚申塚」に停まっている電車を望遠モードでパチリ。
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ここで、ちょっと旧中山道から外れて「高尾太夫の墓」と「お岩様の墓」に寄りました。

「高尾太夫の墓」のある西方寺にお参り。
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西方寺の縁起は、元和8年(1622)道哲大徳が浅草聖天町吉原土手附近で遊女が無縁仏として投げ捨てられるのを悲しみ道蓮社正誉玄育上人を請じ聖天町に一宇を建立。大正4年(1915)春火災焼失。昭和2年(1927)浅草聖天町より現在地へ移転とあります。

高尾太夫(たかおだゆう)は、吉原の太夫の筆頭ともいえる源氏名。高尾太夫は、吉原で最も有名な遊女で、その名にふさわしい女性が現れると代々襲名された名前で、吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれる。
西方寺にあるのは、2代目の「万治高尾」。仙台高尾・道哲高尾とも。11代のうち最も有名で多くの挿話があるが、その真偽は不明である。陸奥仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったために、三叉の船中で惨殺されたというのはその一つである。(伊達騒動参照)万治3年(1660年)没。

万治高尾の墓は、墓石中央に地蔵像を浮き彫りにし、右に「轉誉妙身信女万治三年十二月二十五廿五日」左に「完封にもろくもくつる紅葉かな」とある。震災で戒名の一部と辞世の句の一部を損傷している。
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参道に、石仏にしては精緻な曼荼羅がありました。
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「お岩様の墓」のある妙行寺にお参り。
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妙行寺は、寛永元年(1624)赤坂に起立し、四谷鮫ヶ橋南町への移転を経て、東京府による市区改正事業のため明治40年当地へ移転しました。境内には、四谷怪談のお岩さまの墓所、浅野家遥泉院供養塔の他、うなぎ供養塔、魚がし供養塔、浄行様があります。

境内の様子
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お岩さまの墓に進んでいくと、その手前に浅野家遥泉院供養塔がありました。
これは知りませんでした。

浅野家遥泉院というのは、松の廊下で刃傷沙汰を起こし、赤穂浪士討ち入りのもととなった、浅野内匠頭長矩の奥さんですね。
討ち入り直前に、大石内蔵助が遥泉院を訪ねる「雪の南部坂」が有名です。
瑤泉院は祖母高光院の永代供養を当寺に依頼し三捨両を寄付、その書状も残されているそうです。

墓域
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瑤泉院の祖母高光院の供養塔
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浅野内匠頭長矩後室瑤泉院の供養塔
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瑤泉院はここが菩提寺というわけでなく、祖母の供養を依頼した縁で供養塔が建てれらています。ただし古い物ではなく昭和二十八年の二百四十回忌に建てられた物です。泉岳寺が菩提寺です。

お岩さまの墓
立派なので驚きました。
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お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。
この寺も四谷にあったが、明治42年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示より)

でもお墓が立派過ぎたので、気になって帰ってから調べると、事実はこういうことらしい。
伊右衛門と妙行寺に眠るお岩さんは、仲睦まじい夫婦だった。家の格式も高い。ところが、経済的には困窮しており、家計は火の車だ。これじゃいけない、お家を再興せねば。伊右衛門とお岩さんは、奉公に出ることにする。そのとき、お岩さんは、田宮家の庭にある屋敷神を信仰したおかげで、お家を再興することができた。その噂を聞き付けた人々が、田宮家の屋敷神を「お岩稲荷」と呼んで参拝に訪れるようになった。それが、今のお岩稲荷の由来である。
真実のお岩さんは、武士の妻の鑑とも言える女性だったのだ。これなら、神様として祭られても不思議ではない。
しかし、経済的に成功した者は、妬みで世間から爪弾きにされる。当時の江戸では、この傾向が特に顕著だった。かくして田宮家は、怨霊に苦しめられた、などと悪意のデマが噂されるようになる。そんな噂話をベースに、鶴屋南北は『四谷怪談』を書き上げたのである。
けど、さすがに実名を出したり、実在の土地を舞台にするのはまずい。そこで、脚本では修正を入れた。田宮の名前も民谷になっているし、舞台は四谷左門町ではなく雑司ケ谷四谷(早稲田大学のすぐ近)。関係のない地名である「東海道」を頭につけたのも、フィクションであることを強調するためである。

旧中山道に戻り、地蔵通りとは違って静かな「庚申塚通り」をしばらく行きます。
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すると、「大正大学さざえ堂」なる旗が。
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ええっ! さざえ堂があるの! と寄ってみました。
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栄螺堂(さざえどう)は、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
通常、二重螺旋構造となっていて、上っていく人と下っていく人が交わらないようになっている。

入り口
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入り口から入ると、「制咜迦童子(せいたかどうし)」がこちらを向いて立っています。
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上りの階段の壁には、仏像の代わりに種子字が書かれている。
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可愛いお地蔵さんが置かれている。
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頂上には、聖観自在菩薩(鴨台観音)が安置されていた。
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降りの階段の壁は色の壁となっていて、上りとちがう道だとわかる。
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ところどころに女童の人形が置かれている。
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下に降りきると、制咜迦童子の後ろ側に出た。
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出口
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「僧話花(そわか)」という、お坊さんカフェもあった。
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また歩いていくと、明治通りと交差する「堀割」交差点の角に、時計の壁画でいっぱいのお店あり。
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ここから滝野川商店街に入る。
この通りでは、なんといっても亀の子たわしのお店・工場だろう。日本全国津々浦々でみかけるたわしの本社である。
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もうゴール間近と、ウキウキした気分で滝野川商店街を歩いていく。
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板橋駅に向かい、左に折れるとすぐに「近藤勇墓所」がある。
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近藤勇と新選組隊士供養碑
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近藤勇埋葬当時の墓
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近藤勇の銅像
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長倉新八の供養碑
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ゴールのJR板橋駅に15時ちょうどに到着。
ばんざい!!
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駅前のコンビニでアイスクリームを買って、公園で疲れを取ってから帰途につきました。
なかなか、楽しい一日でした。
次回は「板橋宿」ですね。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、ご苦労様でした! 日本橋から板橋駅までですね。四季歩さんが通った道は大体、私も歩いたこともありますが、所々、歩いていない所がありました。大正大学は前を通ったことは何回もありますが、さざえ堂なんて、初めて聞きました。

そう言えば、高尾太夫だったか、「居眠り磐音 江戸双紙」の中で、結構、取り上げられていた記憶があります。


matsumoさん

コメントありがとうございます。
さざえ堂は面白い建物で、関東・東北に
江戸時代に建てられたものが三ケ所
あったと思います。
その一つを見に行こうと思ったら工事中
で、今年の秋ごろには見れるみたいです。

私も「居眠り磐音 江戸双紙」の大ファンなので、
高尾大夫には墓参りしたいと思いました。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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