吉見神社(延喜式内論社)/埼玉県熊谷市

20160705

鎮座地:埼玉県熊谷市相上1639-1

7月2日(土)に、「武蔵国式内社めぐり」で参拝しました。
宮代町にある「姫宮神社」に参拝したあと、ナビまかせで、途中昼食休憩をしながら移動しました。

吉見神社は県道257号線を道なりに北上し、和田吉野川の橋を渡る手前左側に社号標石と鳥居が見えます。
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一の鳥居
この吉見神社は延喜式内社「横見神社」の論社、比定社とされている。
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一の鳥居から参道を少し行くと、墓地があるが入り口に狛犬があるので、注目すると「須長家奥津城」とあるので、代々宮司をされている須長氏の墓地であることがわかった。
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『大里郡神社誌』に「相上村吉見神社の旧神職は、祖祭豊木入日子命孫彦狭島王の子、御諸別王の末胤中臣磐麿なり。子孫後葉神主禰宜として奉仕せりと伝う、今尚存す。和銅六年五月禰宜従五位下中臣諸次撰上」とあり、須長氏が御諸別王の子孫としている。

参道を直進すると和田吉野川の土手手前右側に吉見神社の社叢が広がる。
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神社に参拝する前に、土手に上がってみると、土手がTの字になっていることがわかる。
和田吉野川は、この堤が突き当たった向うである。
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二の鳥居
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熊谷市相上(あいあげ)地区は荒川の南に位置し、国道407号線上に隣接している冑山神社に近く、行政区域としては熊谷市だが吉見町との文化的、経済的にも繋がりが濃い。この相上地区に吉見神社が鎮座している。 

この近くには、縄文時代の北廓遺跡(熊谷市 箕輪)や冑山遺跡があり、とうかん山古墳(全長74mの前方後円墳)、冑山古墳(全国で4番目に大きい円墳)もあることから、和田吉野川の流域には古代から人々が継続して居住していたことが伺える。ちなみに相上堤の東に位置する県道257号線は鎌倉街道の古道である比企道だとされている。

 『新編武蔵風土記稿』相上村の項に、《神明社 當社古へは上吉見領の総鎮守なりしが、各村へ鎮守を勧請して、今は村内のみ鎮守とせり》とあるように、古くは神明社と称し、上吉見領――村岡・手島・小泉・江川下久保・屈戸・津田・津田新田・相上・玉作・小八林・箕輪・冑山・向谷・高本・沼黒・吉所敷・中曽根・和田・上恩田・中恩田・下恩田・原新田・戸塚新田――二十三カ村の総鎮守だった。

『埼玉の神社』によれば、熊谷市相上字宮前に鎮座する吉見神社の創建を伝える文書にはこのような記述がある。
 和銅六年(713)景行天皇五十六年に御諸別王(みもろわけのきみ)が当地を巡視した折、田野が開かれず、不毛の地であるのを嘆いて倭国の山代国・川内国・伊賀国・伊勢国の多くの里人を移して多里(おおさと)郡を置き、後に豊かな地となった報賽として太古に武夷鳥(たけひなとり)命が高天原から持ち降ったという天照大神ゆかりの筬(おさ)を神体として天照を祀り以来御諸別王の子孫が代々神主として奉仕している。現宮司須長二男家はこの末。

二の鳥居から入ると、右手に慶應2年(1866 明治改元の2年前)に建てられた「奉納 永代御供米田地」の碑があり。
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二つの小さな石祠あり。
読むと、「豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)」と「櫛岩間戸命(くしいわまどのみこと)」とあるので、「門神」である。
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境内の様子
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一段上がった玉垣の中に社殿あり。
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玉垣前に二基の石灯篭があり、背面に刻まれた説明を読むと、明治期に出征したこの地域の人を偲ぶものであった。
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社殿は、遥拝所、拝殿、本殿という構成
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遥拝所で参拝
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ご祭神は、神明社だったということなので天照大神となる。

拝殿
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本殿
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破風板の拝懸魚と降り懸魚は何を形どったものだろうか。
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本殿背面
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背後に小道あり、入ってみる。
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小さな沼あり。
ここには藤原長盛の大蛇退治の伝説があるそうだ。
『新編武蔵風土記稿』相上村の項には”沼あり、神龍潜み住むと云伝う”と記されている。大蛇とは和田吉野川の洪水を暗喩したものではないかと思う。
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そこから、和田吉野川の堤防まで草地。和田吉野川の堤防は改修工事が行われていた。
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神木のスダジイ
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境内には、摂社・末社が非常に多い。
これは、明治39年(1906年)の勅令によって神社合祀政策が強引に進められたからである。

社殿右手前に摂社の三社
天神社
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東宮社
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伊奈利神社
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社殿右手の末社群
詳細は不明。祀られているものの、かなり寂れている。
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社殿左手の末社群
やはり詳細は不明。祀られているものの、かなり寂れている。
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社殿左手の末社群から、更に下がって末社群があるが、幸い石祠には神名が刻まれてあり、社名は明らか。
安政四年(1857)建立の金毘羅大神社、弁才天女宮などがある。
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八幡宮
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不明
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天満宮
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寛政3年(1791)建立の「牛頭天王」
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辨才天女宮
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「頭大宮」
これが参った。何の神様かわからない。
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金毘羅大神社
大天狗、小天狗が従っているのが変わっている。
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天神宮
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本殿横にある石碑。「鈴水神楽記」とあります。
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ここ吉見神社の相上神楽は、大里村の無形民俗文化財に指定されているので、それの石碑だと思われます。
参道左側、末社群の手前に村指定無形民俗文化財 相上神楽 案内板がある。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ううん、ここ、遙拝所がある割には、そのすぐそばが拝殿で、近すぎですよね。私のイメージですと、遙拝所って、例えば、富士塚で富士山を拝むとか、山がご神体で、それを拝むと言うイメージなのですが。

もしかして、この遙拝所は以前は街道?辺りにあって、そこから、拝殿・本殿を拝むと言う形だったのでしょうか。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
こういうタイプは、たまにありますね。
例えば「船橋大神宮」がそうでした。
普通の参拝客は、それから入れず、中の建物が
本殿と思っていたら、横に回ったら、さらに奥に
本殿があったので、あれは拝殿だったのか・・・
という思いでがあります(笑)
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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