梅宮神社

20160708

鎮座地:狭山市上奥富507

まず、江戸時代に編纂された『新編武蔵武蔵風土記稿』に載っている図によれば、現在の赤間川の位置に神橋があり、そこから真っ直ぐに参道が延びていたことがわかる。
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この場所に、かっては神橋があった。
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江戸時代には、ここから真っ直ぐに参道があった。
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ここに「舗石供養塔」があるが、天保12年(1841)造立のものなので、ここからの参道に舗石を奉納した記念の碑であろう。
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一の鳥居
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由 緒:
 当神社の創建は古く承和(じょうわ)5年(838)といわれ、京都市右京区の桂川沿いに鎮座する梅宮大社から分祀したものです。広瀬神社と並んで市内で最も古い神社の1つです。
かっては奥富のほか三ツ木、沢、田中、峰の総鎮守であったとのことです。
 また当神社に遺されている鰐口の銘文から当初は西方滝(にしかたたき)、現在の狭山清陵高校付近に鎮座していたと推察されます。その後、天文年間(1532~1555)の中頃に社殿を焼失したため現在の地に移ったといわれ、氏子も次第に近隣に移住してきたものと思われます。
なお、当神社は酒造、安産、林業、農業、交通守護の神として崇拝されています。

二の鳥居
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二の鳥居をくぐると、参道には石灯篭3組、手水舎、狛犬が並ぶ。
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最初の石灯篭一組は、元文2年(1737)に「上奥富村」と「下奥富村」の氏子によって奉納され、「梅宮大明神御寶前」と刻まれている。
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手水舎
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狛犬(奉納年不明)
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子犬と手が離れてしまっているのが、ご愛嬌(笑)
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拝殿
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拝殿内部
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ここで、拝殿内などにある三つの市文化財について説明。

○鰐口(わにぐち)
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円形で偏平な形をした銅製品で、下部には横長の口があります。社殿や仏殿前の軒下につるされ、布で編んだ綱を振って打ち鳴らす仏具の1つです。
当神社の鰐口は昭和51年(1976)4月1日に狭山市指定文化財・工芸品として指定されました。
この鰐口は、かつては当神社の別当寺であった梅宮寺(廃寺)が所有していました。直径は14cmと小型で、しかも片側が欠損していますが、残された部分に応永33年(1426)5月3日の銘があり、また彫られた銘文からかつて梅宮神社は奥留の西方滝と呼ばれる場所にあり、当時は入間郡の一部を入東(にっとう)郡と称していたことがわかるなど、奥富地区の歴史を知るうえで貴重な資料となっています。

○神号(しんごう)
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梅宮神社と書かれた神号は、右から左に陽刻したもので、文字は金泥で書かれています。大きさは縦が43.7cm、横が115.6cmのケヤキ材で出来ており、昭和52年(1977)9月1日に狭山市指定文化財・書跡として指定されました。
筆者は亀田鵬斎(かめだほうさい)で、宝暦2年(1752)に江戸の生まれとされていますが、一説では上野国ともいわれる儒学者です。折衷学派と呼ばれ、孔子の説を中心に据えながらも自身で学んだ事や判断を重視するものです。23歳の時に私塾を開設して多くの旗本や御家人が入門しましたが、鵬斎自身は生涯仕官をしませんでした。著書には「論語撮解(さっかい)」などがあります。
また江戸時代を代表する「書」の名手で、特に草書は虹矧(みみず)書きと呼ばれ、近世を通じての名手ともいわれています。欧米の書の収集家からは「フライングダンス」と呼ばれています。
 鵬斎の書による神額がいつごろ書かれたか、どうして当神社にあるのかは不明です。書が評判となるのは鵬斎が荻生狙彿(おぎゅうそらい)を排撃して朱子学を批判したため、「寛政異学の禁」で弾圧を受けた以後、旅先の出雲崎で良寛に出会ってからなので、神号の書跡も晩年の作(没年は文政9年(1826))と推察されています。

○桃園三傑図
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拝殿に掲げられている桃園三傑図(とうえんさんけつず)は、中国の三国時代(3世紀)の初めに蜀(しょく)の英雄劉備玄徳(りゆうびげんとく)と、勇猛な武人として知られる 関羽、張飛の2人が、桃の木の下で義兄弟の盟約を結ぶさまを描いた絵画です。この絵画の大きさは縦125cm、横180cmで、昭和52年(1977)9月1日に狭山市指定文化財・絵画として指定されました。
絵の中央に酒肴(しゆこう)を画き、その回りの中央上に玄徳、向かって右に関羽、左に張飛を描いています。一般的には「桃園の誓い」とか、「桃園結義」と称されています。
作者は雲谷派(うんこくは)の画家、堤等琳(つつみとうりん、号を雪山(せつざん))で江戸時代後期の人です。同派は雲谷等顔(うんこくとうがん)を開祖とする江戸時代の画派で、主に中国から北九州地方を活躍の場としていました。雪舟の画法を忠実に守り、真に力強く押しつけるような墨線(ぼくせん)や墨色に特徴があり、その特徴はこの三傑図にも見られます。

拝殿には、こんな額もあり、猫の描写が秀逸。
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拝殿の背後に、覆い屋で覆われた本殿がある。
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拝殿と本殿とは橋で結ばれている。
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本殿は彫刻が立派な流れ造り。
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前扉には、神紋の桃が彫刻されている。
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海老虹梁と、その上の「手挟み(たばさみ)」の彫刻も良い。
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向拝柱の木鼻彫刻が素晴らしい。
獏の牙の長いこと!!

向かって左側
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向かって右側
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鳥の彫刻が三面に。
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床下束の木鼻の彫刻は亀となっている。
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本殿のすぐ背後、玉垣の中に神木。
枯れた太い幹から、それでも生きた枝が出ているのがありがたい。
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ご祭神(括弧内は別名):
・瓊々杵尊(大若子神)
・彦火々出見尊(子若子神)
・大山祇神(酒解神さかとけのかみ)
・木花咲耶姫命(酒解子神)

ちなみに、本社京都の梅宮大社のご祭神は酒解神・酒解子神・大若子神・小若子神となっています。
狭山市の梅宮神社の場合は、わかりやすい神名にしているわけです。

※当神社の甘酒祭りは、毎年厳冬の2月10日・11日の2日間にわたり執り行われます。甘酒祭りは全国的に行われており、珍しいものではありませんが、「頭屋制」という関東地方では他に見られない珍しい運営形態で1200年前の平安の昔よりそのまま継承して挙行されているところから、平成4年(1992)3月11日に埼玉県指定文化財・無形民俗文化財に指定されました。

このとき、祭事は領主、神官、役人を正座とする饗宴型で、一献ごとに優雅な謡を謡われます。
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その謡の一部を紹介しておきます。
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甘酒祭りの様子は、既に記事にしてあります。

その記事を読む



境内社は、八坂神社、蚕影神社、愛宕神社、三峰神社、山の神社、御嶽神社、松尾神社、富士浅間神社、阿夫利神社があるとの情報ですが、はっきり確認できるのは石碑の松尾神社、富士浅間神社、阿夫利神社のみです。

他は表示が無いため、どれがどれかは不明です。
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松尾神社(石碑)
 松尾神社の石碑は京都の松尾大社を勧請したもので、明治13年(1880)に建てられました。梅宮神社とともに酒造り神として有名です。全高は170cm、幅が68cmです。
祭神は大山咋神(おおやまぐいのかみ)で、台座正面には入間川村の長木屋銀次郎、上奥富村の長木屋吉蔵と白井藤太郎の計3名の清酒醸造人の名前が刻まれています。
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阿夫利神社
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【富士塚】
社殿の向かって左側に富士塚があります。
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ほどほどの高さがあり。
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登り口
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二合目の合目石
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参道は、わりと広い。
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五合目に「小御嶽神社」碑
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石段を上がります。
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「書行藤覚(長谷川角行)」と「烏帽子岩入定 食行身禄」碑
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頂上の「富士嶽神社」
明治13年建立でした。
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頂上の石垣
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富士講碑
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富士塚のまわりは林になっていて、当然富士塚からは富士山は見えない。

しかし、一の鳥居のところからなら、綺麗に富士山が見えます。
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(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

京都の梅宮神社って、どこにあるのかと思って調べてみたら、松尾大社から東に直線距離で800m位、進んだ所のようですね。狭山市の梅宮神社には梅の木は無いようですが、京都市の方は神苑がある大きな境内のようで、梅の木も沢山、あるようです。梅の季節に京都に行った時に寄ってみたいです。


桃園の誓いですか、三国志演義は原本を翻訳したのは読んだことがありませんが、吉川英治、柴田連三郎を読んでいます。後者の諸葛孔明の描き方が好きです。



matsumoさん

コメントありがとうございます。
「三国志」は、私は吉川英治と北方謙三です。
北方謙三のは、最近書かれたものらしくて、
派手で、心の描写が巧みで、好きですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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