客人神(まろうどがみ)/日本の神々の話

20160718

これは、単体の神の名称ではなく、神の位置づけの呼称。

平凡社の『世界大百科事典』から引用しておきます。
神社の主神に対して、ほぼ対等か、やや低い地位にあり、しかしまだ完全に従属はしていないという、あいまいな関係にある神格で、その土地に定着してから、比較的時間の浅い段階の状況を示している。
ふつう神社の境内にまつられている境内社には,摂社(せっしゃ)と末社(まっしゃ)とがある。摂社には、主神と縁故関係が深い神がまつられており、末社は、主神に従属する小祠である場合が多い。
客神の場合は,この両者とも異なり、主神のまつられている拝殿の一隅にまつられたり、〈門(かど)客神〉と称され随神のような所にまつられ、まだ独立の祠をもっていないことが特徴である。
東北・関東の〈荒脛巾(あらはばき)神〉、南九州の〈門守(かどもり)神〉などはその一例だが、なかには普通の境内社より大きな一社を別個にたててまつる例もある。
客神はちょうど人間社会における客人の扱いと同じで、外界からきた来訪神(らいほうしん)を、土地の神が招き入れて、丁重にもてなしている形である。
客神が,けっして排除されることがないのは、外から来た神が霊力をもち、土地の氏神の力をいっそう強化してくれるという信仰があったためと考えられている。
氷川神社の門客神神社、気比神宮の角鹿(つぬが)社、厳島神社の客神社、美保神社の客人神社などは、有名な大社にまつられた客神の代表例である。

ここでは、大宮氷川神社の摂社「門客神神社」について記しておく。

荒脛巾神(アラハバキ)については、別途説明する。

荒脛巾神が「客人神」として祀られているケースが、埼玉県大宮の氷川神社で見られる。
この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていた。
『新編武蔵国風土記』には、現在の大宮氷川神社、その摂社門客人(まろうど)社の記述として、「いにしえは、荒脛巾神社と号せし」という記述があり、(荒脛巾神社を)「門客人社と改め、テナヅチ、アシナヅチの二座を配した」とある。

だが、現在の氷川神社の主祭神は出雲系であり、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたものである。これらのことを根拠として、荒脛巾神は氷川神社の地主神で先住の神だとする説もある。
氷川神社は、出雲の斐川にあった杵築神社から移ったと伝わり、出雲の流れを汲む。出雲といえば日本の製鉄発祥の地である。しかし、音韻的に斐川は「シカワ」から転訛したという説と、氷川は「ピカワ」から転訛したという説を双方とって、両者に全く繋がりはないという説もある(しかし、シカワ説もピカワ説も格別有力な説というわけではない)。
この大宮を中心とする氷川神社群(氷川神社、中氷川神社、氷川女体神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)はオリオン座の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川とすれば、ちょうど天を映した形になっているとみる説もある。氷川神社は延喜式に掲載されている古社ではあるが、氷川神社の主祭神がスサノオであるという明確な記述は江戸時代までしか遡れない。

現在、門客神神社の祭神は「足名椎命・手名椎命」とされています。八岐大蛇退治の際に登場するので皆さんよくご存じの稲田姫命の両親です。
これは氷川神社の祭神が須佐之男命・稲田姫命・大己貴命なので、摂社としてはふさわしい神だと云えます。
そして、荒脛巾神(アラハバキ)と「足名椎命・手名椎命」とは似通っているところがあります。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

「客人神」ならぬ「客将」ですが、信長だと家康ですね。秀吉だと正式な地位的に半兵衛や官兵衛が客将に当たる感じがします。

実際は各大名や有力者にはほとんど客将がいたのでしょうが、天下人関係以外はあまり話題にならないですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
客将といえるかどうかわかりませんが、
立花宗茂という武将が、関ケ原の戦いで
敗戦後、諸国を流浪し、やがて江戸城で
徳川家康の話し相手を務めた例が、
私には思いだされました。
結局秀忠が、故地柳川に11万石を
与えましたが。
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Author:四季歩
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写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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