白髭神社/近江高島

20160812

鎮座地:滋賀県高島市鵜川215
参拝日:2016年8月2日

三日間の「青春18キップの旅」の初日(8月2日)、敦賀の気比神宮のあと、ここに参拝しました。
敦賀から北陸線に乗り、近江今津で湖西線に乗換え、近江高島駅で降りました。
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心配していたのが交通手段です。歩いて40分、とてもこの暑さのなかでは歩く元気はありません。バスの路線もありません。
事前の情報では、駅前の観光案内所に貸自転車があるというので電車から降りたら、飛んでいきました。
幸い、5台くらい並んでいて借りることが出来てホッとしました。2時間で300円と保証金300円を払って借り受け、さあ出発!

炎天下で、すぐにハアハア、ヨレヨレ(笑)
我慢してペダルをこいで、「乙女が池」に到着。
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古代、このあたりは深い湾入部をなし、勝野津と称して琵琶湖の交通の要衝だったのだが、いつのまにか湖との間が隔てられて池と化したそうです。
ここに寄ったのは、恵美押勝の乱をおこした押勝らがこの池の辺で斬られたと、この間読んでいた本で知ったので。
恵美押勝とは藤原仲麻呂(ふじわら の なかまろ)のことで、藤原武智麻呂の次男として生まれる。武智麻呂は藤原不比等の長男、鎌足の孫で、藤原南家の始祖である。
淳仁天皇から藤原恵美押勝の名を賜る。
光明皇后に寵愛され、人臣の位を極め、孝謙天皇が譲位すると淳仁天皇を擁立した仲麻呂は独自な政治を行うようになります。しかし光明皇太后が崩御すると、仲麻呂にとっては大きな打撃となる。
一方孝謙上皇は道鏡を寵愛し、孝謙上皇・道鏡と淳仁天皇・仲麻呂との対立は深まり危機感を抱いた仲麻呂は、天平宝字8年(764年)自らを都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使に任じ、さらなる軍事力の掌握を企てる。しかし、謀反との密告もあり、淳仁天皇の保持する御璽・駅鈴を奪われるなど孝謙上皇に先手を打たれてしまい、仲麻呂は平城京を脱出する。子の辛加知が国司を務めていた越前国に入り再起を図るが、官軍に阻まれて失敗。
ついに孝謙上皇と淳仁天皇との内戦が起り、孝謙上皇に先手を打たれた仲麻呂は平城京を脱出し、子の辛加知が国司を務めていた越前国に入り再起を図ろうとするが、官軍に阻まれて失敗、この地で討たれた。

湖に背を向けて立つと、すぐ正面に見える小高い三尾山は、壬申の乱の戦場となった三尾城のあったところ。
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壬申の乱は壬申の年(672)、天智天皇の子大友皇子(おおとものみこ)と天皇の実弟大海人皇子(おおあまのみこ)との間に皇 位継承権をめぐって、近江・大和を舞台に約1ヶ月にわたって行われた内乱である。
大海人皇子は、天智の死後、兵を挙げ、わずか30数人の手兵を従えて吉野を発った。伊賀・伊勢(三重県)を経て美濃(岐阜県)にはいり、東国への道を押えて近江に進攻し二手に分かれた。
琵琶湖の北を回った軍勢は、北陸路から西近江路にはいり、大友軍の前線基地である三尾城(高島町)を陥落させた。
瀬田などの戦いが有名だが、ここにも戦地がありました。

再び、自転車を漕いでいくと、琵琶湖沿岸に出た。
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沿岸に沿って自転車を進めると、海水浴をしている。
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松林のキャンプ場があり、「白ひげ水泳・キャンプ場」の看板があった。
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それから少し行くと、大鳥居が湖水の中にあった!
白髭神社に到着(嬉)
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まずは、白髭神社のシンボル、大鳥居。
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大鳥居は湖中に立ち、当社のシンボルとなっている。鳥居について古くは弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれているが、その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝える。その伝説に基づいて昭和12年(1937年)に鳥居の寄進がなされ、昭和56年(1981年)に現在に見る鳥居が再建された。

琵琶湖沿岸スレスレに国道161号線があり、その向こうに白髭神社がある。

鳥居
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境内に入る前に、国道沿いの常夜灯を確認。
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永代常夜灯は、江戸時代に京都の近江屋藤兵衛氏が奉納されたもので、以前は湖岸に立ち沖往く舟の灯台としての役割を果たしていた。常夜灯の石柱には、(前=琵琶湖側)白鬚大明神、(後)永代常夜燈、(右)海上安全心願成就の文字が大きく刻まれている。建立は天保4年8月、願主 紅 近江屋藤兵衛 発起京都 早藤卯左衛門 松尾卯兵衛の名前も見える。

境内図
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社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるという(一説に再建)。また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える。
後述の国史に見える神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説がある。一方で白鬚信仰の多く分布する武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もある。
当社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っている。
国史では貞観7年(865年)に「比良神」が従四位下の神階を賜ったとの記載があり、この「比良神」が当社にあたるとされる。ただし『延喜式』神名帳には記載されていないため、当社はいわゆる国史見在社にあたる。
弘安3年(1280年)の比良庄の絵図では「白ヒゲ大明神」と見えるほか(「白鬚」の初見)、『太平記』巻18では「白鬚明神」という記載も見える。また、謡曲『白鬚』では当社が舞台とされている。

その後、慶長年間(1596年-1615年)には豊臣秀頼によって境内の整備が行われた。慶安元年(1648年)には朱印地として100石を受け、のちには189石余となったという。
明治に入り、明治9年(1876年)に近代社格制度において郷社に列し、大正11年(1922年)に県社に昇格した。

ここで、岡谷公二氏が『神社の起源と古代朝鮮』で書いていることを載せておく。
社伝によると、垂仁天皇二十五年の創祀と伝え、琵琶湖周辺最古の神社という。しかも式内社ではない。垂仁天皇二十五年はあてにならないとしても、神社の裏山に古墳があることや、さまざまな言い伝えから推して、きわめて古い神社であるのはまちがいない。この事実は、いくつかの興味深い問題を提起する。一つは、渡来人の祀る神社が、他の神社と同じくらい、或いはそれ以上に古い歴史を持っているのではないか、ということであり、また、たとえ古社であろうが、渡来人の祀る神社は、或る時期、或いは或る時期まで、官社とは認められなかったのではないか、ということである。後者に関しては、たとえば『古語拾遺』 (807)応神天皇の項に、「〔……〕秦・漢・百済の内附(まいしたが)へる民、各万を以て計(かぞ)ふ。褒賞(ほ)むべきに足る。皆其の祠は有れども、未だ幣例に預らず」という一節が思い出される。
白鬚神社が新羅系渡来人の奉祀した神社だとは、ほぼ定説になっている。白髭神社とは、古代からの名前ではなく、その名の初見は応永二年(1395)だという。それ以前は比良神、比良明神と言われた由で、ヒラはシラ、或いはヒナに通じる。シラは、新羅の最初の国号である斯廬あり、新羅であり、白である。

手水舎
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大正3年奉納の狛犬
吽の狛犬の角が立派なのがいい。
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拝殿は明治12年(1879年)の造営で、間口三間三尺・奥行二間の四棟造。
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拝殿内部
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長押には、三十六歌仙だと思う額が掲げられていた。
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境内は、慶長年間(1596年-1615年)に豊臣秀頼によって整備が行われた。本殿は慶長8年(1603年)の造営。棟札等から、片桐且元を奉行として播州の大工の手で建てられたとされる。間口三間・奥行三間の入母屋造で、向拝一間を付し、屋根は檜皮葺である。向拝の手挟・蟇股等に桃山時代の特徴を示している。明治の拝殿造営・接続に伴い、向拝の軒先は切り縮められて権現造のような複合社殿様式となり、その際に屋根も柿葺から檜皮葺に改められている。この本殿は国の重要文化財に指定されている。この本殿のほか、境内社4殿も同時期の慶長期の造営になる。
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ご祭神は猿田彦命。

猿田彦については、色々な側面があり、稲田の神、天孫族(=天津神=大陸からの渡来民族)と、国津神(=天孫族渡来前の原住民)との仲を取り持った有力豪族の長、衢(ちまた)の神(道の神、道案内の神、旅人の神、出会いの神)、庚申信仰などがある。

この神社の場合はどうかと思っていたら、神社の説明書には、御神徳は古くから延命長寿白髭の神として広く崇敬され、また縁結び・子授け・福徳開運・譲災招福・商売繁盛・交通安全など人の世の総ての導き・道開きの神として信仰されてきた、とあった。


武蔵國の旧高麗郡にも白髭神社が多く、現に私が住んでいる近くにもあり、越してきたときから我が家の産土神として、毎年元日には参拝をしている。
旧高麗郡の白髭神社についてネットで調べているときに、いつもこの近江の白髭神社も挙がってきて当時は邪魔で仕方が無かった(笑)
当然の話で、高麗郡にも白髭神社よりも、はるかに大きなお宮なのだから。

同じ祭神猿田彦命を祀っているが、高麗郡の白髭神社は「高麗神社」から派生しているので高句麗系。一方の近江の白髭神社は新羅系である。

両社ともに、「白髭明神」を祀ることから白髭神社という社名になっている。
が、今回その「白髭明神」が違うことがわかった。
近江の白髭神社の説明書には、「当社にお祀りしているご祭神の猿田彦命は白髪で白い鬚を蓄えた老人のお姿で、社名の由来になっている」とある。
一方旧高麗郡の白髭神社は、高麗神社のご祭神「高麗王若光」が白髪白鬚の老人のお姿だったので、「白髭明神」とも呼ばれたことに因んでいる。

神紋は「右三つ巴」
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拝殿の近くに、謡曲「白髭」の説明があった。
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境内社を参拝。

摂社・若宮神社
ご祭神:太田命
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若宮神社の横から石段を上がると境内社が鎮座している。
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天照皇大神宮
ご祭神:天照大神
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豊受大神宮
ご祭神:豊受姫神
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三社
・八幡神社「ご祭神:應神天皇」・高良神社「ご祭神:玉垂命」・加茂神社「ご祭神:建角身命」
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寿老神社「ご祭神:壽老神」・鳴子弁財天社「ご祭神:鳴子弁財天」
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波除稲荷社「ご祭神:稲荷大神」
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天満神社「ご祭神:菅原道眞」
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岩戸社には、ここから少し登ります。古墳が点在しているようです。
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岩戸社と磐座が並んでいる。
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岩戸社「ご祭神は不詳」
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覗き込むと、古墳の一つの横穴式石室がそのまま岩戸社として祀られていることがわかります。
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その横には、古代磐座として祀られたのだろうな、と思わせる岩が鎮座している。
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境内には、歌碑・句碑がたくさんありました。

源氏物語の作者でもある紫式部のもので、「三尾の海に 網引く民のひまもなく 立居につけて 都恋しも」という歌が記されています。越前国主となった紫式部の父、藤原為時に従って越前に向かう途中、大津から船路で湖西を通り三尾崎(白鬚神社のある岬)の浜辺で漁をする人の網引く見馴れない光景に都の生活を恋しく思い詠んだものとされています。

海を見渡せる場所に建つ。
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これは観光協会の解釈碑
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紫式部が詠んでいる様を筋彫りで描いた碑
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与謝野鉄幹・晶子夫妻が大正元年にこの白髭神社を参拝した時に読んだ「しらひげの  神の御前にわくいずみ これをむすべば 人の清まる」の歌碑もあります。この歌は社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は鉄幹、下の句は晶子が詠んだ合作。
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最後に、俳聖・松尾芭蕉の「四方より 花吹入れて 鳰の湖」の句碑。
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一応、境内を隈なく回って参拝を終え、日陰でホッと一休み。
真夏のカンカン照りで、時間は正午。
予定よりも1時間ほど先行しているし、30分ほど昼寝をしようかと思った。
しかし、次の目的地「余呉湖」と近くの乎彌神社参拝を1時間で計画してあるのだが、本当は余呉駅の対岸に訪れたい場所があった。
このペースなら、余呉駅で運よく自転車を借りられれば貯金の時間をはたいて行けるな、と思ったら矢も楯もたまらなくなって、汗ぐっしょりになりながら、近江高島駅まで15分ほど自転車を飛ばして、駅前のコンビニでおにぎりを買って、うまいことあった電車に乗り込んだ。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

琵琶湖のそばの白髭神社ですか。白髭神社と言うと、私の場合、すぐに思いつくのは、「隅田川七福神」の1つの白髭神社で、ここは白髭と言う名前から寿老人に擬せられています。

なるほど、駅から自転車で行かれたのですか。確かに歩いていくよりは楽ですね。この神社の鳥居、湖の中にあるの、いいですね。同じような感じのもの、芦ノ湖と厳島にあると思いますが、この手のものは作るだけでも大変だと思いますし、加えて、維持するのもものすごく大変だと思いますし。

また、拝殿の屋根が厚い檜皮葺と言うのもいいですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
この神社は、ほんとうに良かったですね。
湖中の鳥居といい、檜皮葺といい、
豊臣秀頼と淀君という、時の権力者が
造営したんですから、良いはずです。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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