美濃国一之宮・南宮大社

20160824

鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
参拝日:216年8月3日

境内図
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青春18キップの旅の二日目、多賀大社、義仲寺の後、13:56に東海道本線「垂井」駅に降りた。
予定では徒歩20分なのだが、義仲寺から駅に向かうときに熱中症の予兆みたいなものがあったので、南宮大社に寄るタウンバスがすぐに出るというので、それを使うことにした。
料金100円を払い乗り込み、やれやれ助かったと思った。
しかし、これが大誤算だった(泣)
あっちこっちに寄りまくって行くので、結局駅を降りたときから35分くらいかかってしまい、南宮大社では駆け回ることになってしまった(汗)

タウンバスから降りると、こんな表示が。
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そうだった、南宮山の麓なのだ、ここは!
関ケ原の戦いのときに、総大将の毛利秀元・安国寺恵瓊ら毛利軍が陣取った南宮山である。
「関ヶ原」駅の次が「垂井」駅だったが、ずいぶんと電車は走った。
ずいぶん離れているのを実感した。
一説では、安国寺恵瓊らが企んだのは、石田三成と徳川家康の両者をけしかけて戦わせて、両者共倒れにさせて毛利の天下を狙ったのだというが、さもありなんと思わせる、南宮山の位置である。

南宮大社の向こうの山、あれが南宮山だろう。
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社号標
社格等:式内社(名神大)、美濃国一宮、 旧国幣大社、別表神社
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岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。

御由緒(境内説明より)
 御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたらせられる大神様であります。 社伝によれば、神武天皇東征のみぎり、金鵄を輔けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に 祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉遷され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。
 御神位は古く既に貞観十五年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九 座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、 平将門の乱の言朱伏の勅願や、康平年中(1058~65)安部貞任追討の神験によって、正一位 勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の 有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が再建した。
1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現 朝倉山真禅院)。
近代社格制度のもとで、1871年に「南宮神社」として国幣中社に列し、1925年に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。
『延喜式神名帳』 美濃国最初のページのみ載せておきます。
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また、興味深いのは、岡谷公二氏の『神社の起源と古代朝鮮』の中で、「出雲人の東漸」の部分で、真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』における説を紹介しているが、それは以下のようなものであ。
「その起源において諸説のある諏訪の御柱について独自の意見を提出する。踏鞴炉の高殿の四本の押立柱がもとだとするのであり、これらの柱のうち、南の柱をもっとも神聖視して、そこに金屋子神を祀る。それゆえ製鉄業者たちの崇敬する神社は南宮と呼ばれるので、『梁塵秘抄』にほ、「南官の本山は、信濃国とぞ承る さぞ申す 美濃国には中の宮、伊賀国には椎き児の官」とあって、南宮の本山は諏訪大社なのである。因みに「中の宮」は、今は南官大社と呼ばれている大垣の近くの仲山金山彦神社であり、「椎き児の官」は、伊賀上野(現在伊賀市)の敢国神社である。
(ここで、南宮大社は美濃国一之宮、敢国神社は伊賀国一之宮である)
そうなると祭神のタケミナカタのミナカタは、南方と考えられるのであり、実際『延書式』において諏訪大社は「南方刀美二座 明神大」と記されているのだ。建御名方が武神だけでなく、鉄の神である可能性は大きい。」

境内は広大。
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「石輪橋」と「楼門」
 楼門の前の川には、石輪橋、石平橋という二つの見事な石橋が架かっている。造営時期は社殿と同じ寛永十九年。
門の正面が石輪橋。花崗岩で造られ、その名の通り輪のように円弧を描いている。この形は、そり橋とも呼ばれ、神様が通られる橋、つまり人間は通ってはいけない橋を意味している。
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楼門の彫刻
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楼門の向こうに舞殿、社殿が見える。
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楼門の表には左右に随身。
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楼門の裏には木造狛犬があります。
様式から寛永19(1642)年のものと推定する。
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「手水舎」
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手水舎と舞殿の間に、左右に鉄製の柱がある。幡を提げるものでしょうか。
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「舞殿」
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舞殿の蟇股にある十二支の動物の丸彫りが特に名高いようです。

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「拝殿」
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 木々の緑に囲まれた社殿は、十五棟からなる。本殿、弊殿、拝殿、樹下社、高山社、隼人社、南大神社、七王子社、回廊(左右)、勅使殿、高舞殿、楼門、神輿舎、神官廊。そのすべてが国の重要文化財に指定されている。
 建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれている。本殿と弊殿だけは素木造りで、その他の社殿は鮮やかな朱塗りになっていることも特徴の一つと言える。社殿の軒回りは、すべて刳抜蟇股という社寺建築独特の装飾が施されている。その形が蟇の股の曲線に似ていることから蟇股と呼ばれる。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。そののち寛永19(1642)年、この地にゆかりの乳母・春日局らの願いを聞き入れた三代将軍、徳川家光によって再建された。
 現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された。

拝殿内部
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本殿は、ほとんど見ることが出来ない。
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御祭神は金山彦命
配祀:見野命、彦火火出見命

『美濃明細記』『美濃国式内神社祭神記』では、「金山彦命 御野命 彦火々出見命」とあり、秘神として「罔象女命、埴山媛命」としている。

配祀の見野命について、『日本書紀』には、豊組野尊(豐斟渟尊)の別名に見野尊が登場するが、美濃國の神、美濃国造の祖神ということかもしれない。

拝殿には、ご祭神にふさわしく、金物の奉納額が掛けられている。
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神紋は、「十六弁菊」と「左流水三つ巴」
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拝殿回廊の、蟇股には鳥の彫刻が目立った。
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続いて、境内社を参拝。

本殿回廊内
○摂社・樹下神社(ご祭神:大己貴命)
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○摂社・隼人神社(ご祭神:火闌降命)
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京都の四条でさらし首になっていた平将門の首が関東に飛び立ったとき、再び反乱が起きることを恐れた南宮大社の隼人神は、飛びゆく将門の首を弓矢で射落としたという伝説がある。そのとき首が落ちた場所とされる岐阜県大垣市荒尾町には御首神社というのがあり、そこでは将門の首を祀っている。
隼人神社の前には矢竹が植えられている。

○摂社・高山神社(ご祭神:木花開耶姫、瓊瓊杵尊)
南宮山山頂に奥宮が鎮座する。
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○摂社・南大神社(ご祭神:天火明命)
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○末社・落合神社(ご祭神:素盞嗚命)
駐車場脇にあり。
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西門から出ます。
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○末社の二社が合祀
金敷金床神社(ご祭神:豐岡姫命、蛭兒命)
石船社(ご祭神:鳥石楠船神)
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この位置から、本殿の真後ろにあり、拝殿の方から全く見ることが出来ない「七王子神社」を見ることができないかと試みた。
これかと撮ってきたが、どうもこれは「南大神社」みたいだ。その左奥にうっすらと屋根がみえるのがそうらしい。
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幸い、南宮大社公式サイトに載っていた写真を載せておく。

○摂社・七王子神社(ご祭神:大山祇神、中山祇神、麓山祇神、䨄山祇神、正勝山祇神、高靇神、闇靇神)
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「聖武天皇大仏建立勅願所」碑
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「引常明神・湖千海神社」の鳥居
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手前に「引常明神磐境石」、奥に「湖千海神社」
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神仙界の霊気を常に引寄せる泉で、引常明神とも呼ばれている。
聖武天皇が大仏建立を願い、この霊泉を汲んだという。

説明
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北条政子が源頼朝の菩提のため、ここに、南天竺の鉄塔を建立し、金水の和合を祈願した。
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「瓦塚」
「引常明神・湖千海神社」の手前にある瓦塚は、社殿の古瓦で、常世神である引常明神に捧げ祀ったもの。
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更に、上に上がっていくと、下記境内社があるとの情報があったが、時間切れであきらめた。
・荒魂社 - 祭神:本社祭神の荒魂
・伊勢両宮 - 祭神:天照大神、豐受大神。古くは本社本殿が鎮座した
・東照宮
・南宮稲荷神社
境内前方にもあったが、参拝から漏れた。
・数立神社 - 本社入り口脇に鎮座。美濃国総社という説もある

駅に向かって、予定している電車に間に合わせようと、急いで歩いたが、途中工事中の大鳥居の下をくぐった。
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急ぎ足で、ほぼ20分で垂井駅に到着。
15:26の東海道本線大垣行きに乗り、大垣で乗換え、特別快速豊橋行きに乗り、尾張一宮に16:02に到着。
次の目的地「尾張一之宮・真清田神社」に参拝した。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、大変でしたね! バスって、しっかりした時刻表がないと、どの位時間がかかるかわからないのですよね。昨年だったか、上諏訪駅より諏訪大社上社に行ったのですが、行きはバスで1時間弱でしたが、帰りはその約2倍の1時間半位かかり、一体、いつ、駅に戻れるのだと言う気分になりました。

木造の狛犬、いいですよね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
木製の狛犬、とても良かったです。
逆に貴重なものなので、あそこに
置いていていいのかな、と心配になりました(笑)
ここは、とても良いお宮でした。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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