尾張国一之宮・真清田(ますみだ)神社

20160828

鎮座地:愛知県一宮市真清田1-2-1
参拝日:2016年8月3日

青春18キップの旅の2日目、多賀大社、義仲寺、南宮大社のあと、東海道本線垂井駅から移動して、尾張一宮駅に降りたのが16:02。
ここから徒歩8分ということで、歩き出しました。
途中、環状交差点(ラウンドアバウト)があった。私は出くわしたのが初めてだったので珍しかった。
尾張一宮駅の方向に向けて撮っている。
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真清田(ますみだ)神社に到着。
社号標
社格等:式内社(名神大)、尾張国一宮、 旧国幣中社、別表神社
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真清田の由来:
当社の鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。
今でこそ、繊維の街として有名ですが、もともとこの地域は、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。

当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。
鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。
その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。

江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩主徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。
明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。
戦後は、一宮市の氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。

創建について現在の真清田神社社伝では、祭神の天火明命は大和国葛城地方(現・奈良県葛城地方)の高尾張邑を出て、神武天皇33年3月3日に当地で鎮祭されたのが始まりとする。

一方古文献では、真清田神社の創建に関して初代神武天皇の時とする説、第10代崇神天皇の時とする説の2説が知られる。

上記の文献はいずれも中世以降の成立になるため、これらの伝承の真偽や、神武天皇や崇神天皇の時期に淵源を求めた理由は明らかとなっていない。このうち神武天皇33年3月3日という年月日については、すでに存在した桃花祭(3月3日)から逆に創造されたとする説がある。これら文献を受け『真清田神社史』では、尾張氏が大和葛城地方から尾張に進出し、崇神天皇頃にあたる尾張氏一族の倭得玉彦命(『先代旧事本紀』「天孫本紀」に見える人物)の時期に神社が創祀されたと想定している。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「真墨田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
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社名「ますみだ」の語源は明らかでないが、後述のように文献では「真清田」「真墨田」の2種類の用字が存在する。この相違に関して、『延喜式』のみ「墨」の用字であることから、『延喜式』の表記が実は『弘仁式』(820年)の古い表記の踏襲と推測する説がある。歴史的には、その後は好字「清」の表記が定着した。なお『延喜式』神名帳では美濃国各務郡に村国真墨田神社(岐阜県各務原市)とも見え、真清田神社との関連が指摘される。

永万元年(1165年)の「神祇官諸社年貢注文」に「尾張国一宮 八丈五疋」とあるのを初見として、平安時代末期以降に真清田神社は尾張国で一宮の地位にあったとされ、これは現在の一宮市の市名の由来にもなっている。一宮に次ぐ尾張国二宮は大縣神社(犬山市宮山)、三宮は熱田神宮(名古屋市熱田区)とされるが、神階・格式の点では熱田神宮の方が尾張国で最高位にあり矛盾する。この点については古来諸説が挙げられているが、今日では尾張国府との距離関係の反映とする説や、東海道における京からの位置関係の反映とする説が一般視されている。

江戸時代に入ると徳川氏から庇護を受けて復興し、尾張藩主松平忠吉から社領200石の寄進、さらに寛永4年(1627年)には藩主徳川義直から105石余の寄進を受け、336石6斗余の社領を有するようになったという。寛永16年(1639年)には義直から細別を記した黒印状が下されたほか、寛文5年(1665年)には4代将軍徳川家綱から朱印状が下されている。

明治維新後、明治18年(1885年)に近代社格制度において国幣小社に列した。かって「真清田大名神」「真清田大明神」「一宮真清田大神」「一宮大明神」と称された社名も、明治に現在の「真清田神社」に統一された。その後、大正3年(1914年)に国幣中社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社に列している。

境内図
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鳥居
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神橋
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楼門
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手水舎
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拝殿
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拝殿内部
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本殿は、ほとんど見えず。
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主祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)

祭神については、色々な説がある。
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在した。
・国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。
・大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』に見える説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。

これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和や栗田寛により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される神である。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。

歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・月夜見神・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。

なお祭神の性格に関しては、過去の祭神に龍神が見えることから水神の性格が指摘されるほか、『赤染衛門集』の記述から農業神の性格も指摘される。

神紋は「竹の輪に九枚笹」
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続いて、境内社に参拝。

○摂社・服織神社(はとりじんじゃ )
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真清田神社の主祭神「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の母神である「萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつりひめのみこと)」をお祀りする。機織の神様である。尾張地方は、昔から稲作(尾張米)と繊維業が盛んだが、それだけに天火明命と萬幡豊秋津師比賣命の母子神は地域の人々から篤い信仰を集めている。なお、萬幡豊秋津師比賣命は別名を「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」と呼ばれ、七夕伝説の「織姫」と同一と考えられている。そのため“縁結びの神様”としても信仰を集めるようになった。

社号標
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社殿
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拝殿内
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主祭神は萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつりひめのみこと)

良縁を求める方は「赤い糸むすび」を奉納しているみたいです。
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「真清田さまのご霊水」
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お願いは、井戸に顔を写してするみたいですね。
子供のころ、よく井戸を覗き込んでいましたが、その時の井戸よりこちらのほうが、はるかに水面が近くて、自分の顔が映っているのを見てギョッとしました(笑)
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「神馬」
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○稲荷社(ご祭神:倉稲魂命)
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○厳島社(ご祭神:市杵島姫神)
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○八龍神社
境内末社のうちでは最も新しい平成元年(1989年)の創建。元は厳島社に祀られた龍神石が、神仏分離で日泰寺に移り、再び真清田神社に還ったときに創建された。
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○愛宕社(ご祭神:火産霊命)
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○秋葉社(ご祭神:訶遇突智神)
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○須佐之男社(ご祭神:須佐之男神)
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○三末社
服織神社東側に3社を併祀している。
祀られている神様の数がすごく多い。
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明治42年(1899)奉納の狛犬
顔がなかなかいいですね。
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社殿
☆天神社
3社のうち西社。ご祭神は天神七代神(伊弉冉命、速玉男神、事解男神、訶遇突智神、市杵島姫神)。明治44年(1911年)から大正元年(1912年)の間に旧第二別宮の七代宮(天神七代神)に愛宕社・熊野社・厳島社・新愛宕社を合祀。
☆犬飼社
3社のうち中央社。ご祭神は犬飼神、底筒男神、中筒男神、表筒男神、神功皇后、猿田彦命、真神田曽根連、本宮荒魂、菊理姫命。大正元年(1912年)に元々の犬飼社(犬飼神)に住吉社・三明神社(1993年に境内摂社として分祀)・白山社・古守社を合祀。
☆愛鷹社
3社のうち東社。ご祭神は愛鷹神、瀬織津姫神、速秋津姫神、速佐須良姫神、気吹戸主命、木花咲屋姫神。大正元年(1912年)に元々の愛鷹社(愛鷹神)に祓戸社・浅間社を合祀。
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○三八稲荷社(ご祭神:倉稲魂命)
元は「新稲荷社」として境内西北に鎮座したが、戦後に「三八稲荷社」に改称して現在地に遷座。社名「三八(さんぱち)」は、戦前まで真清田神社社前で開かれた織物中心の市「三八市」に由来する。
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大きな「おしゃもじ」が奉納されている。
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社殿の後ろに出ると、もう一つ社が存在する。
奥宮?
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もう一つ、鳥居の列が存在する。
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これで、真清田神社の参拝は終了。
無事に青春18キップ二日目の旅は終了。
尾張一宮駅の近くにホテルを取ってあるので、達成感と共にぶらぶらとホテルに向かった。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、16時過ぎでもご活動ですか! もし、私でしたら、さっさとホテルに行きそうな時刻です。

さて、この神社、一之宮と言うだけあって、立派な感じの神社ですね。特に楼門が素晴らしいです。

「井戸のぞき」ですか。ううん、子供に覗かせて「疳の虫封じ」をするとか、「自分の姿が水に映らなければ3年以内の命である」と言う話は聞いたことがありますが、「井戸に顔を写して願い事をする」と言うのは初めて知りました。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
駅(ホテル)から歩いて10分の所だったので、
せっかくだから一つでも多く廻りたかったので(笑)

私の子供のときには、ただ単に覗いていましたね。
何が面白かったんでしょうか。
なんだか不思議な気分だったような気がします。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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