熱田神宮

20160902

鎮座地:愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
参拝日:2016年8月4日

青春18キップの旅三日目、尾張国一之宮・大神神社に参拝した後、「尾張一宮」から「熱田」駅まで移動。計画よりも40分早く、9:26に着き、最後の訪問地ということもあり、想像以上に境内が巨大で、しかもとても気持ちの良い空間で、昼食も含めて3時間も滞在してしまいました(笑)

熱田駅から熱田神宮沿いに歩いていき、東門から入りました。
東門の鳥居
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楠の巨木の多い広い境内で、参道は昼なお暗いという感じで、境内を歩き回っている間、ほとんど日光に照らされているところが無かった感じでした。
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とりあえず正門まで行き、そこから参拝することにしました。
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正門の大鳥居
社格等:式内社(名神大)、尾張国三宮、旧官幣大社、勅祭社、別表神社
宮中の四方拝で遥拝される一社。
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境内図
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三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。なおこの剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり(「草薙剣盗難事件」を参照)、(形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。(「天叢雲剣」を参照)。また、景行天皇43年創建と伝えられており、同年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた。

東征を終えた日本武尊は、宮簀媛命の元に、この神剣をあずけ、そのために、伊吹山の神の祟りによって命を落としてしまう。
宮簀媛命は、日本武尊との契りにより、その神剣を守ってきたが、宮簀媛命が老い衰えてきたので、社地を定めて神剣を祀ることにした。
その社地には、楓樹一株があったのだが、自然に燃えて水田に倒れ、その火が、いつまでも消えず、周囲の水田が熱くなったので、「熱田」と呼ぶようになった。

その後、神剣は、新羅の法師道行によって盗まれたが、無事、天皇家に戻り、宮中に祀られていたが、天武天皇朱鳥元年(686年)、天皇の病気の原因が草薙剣の祟りであるとして、熱田の社へ戻し、守人七人を置いて、これを祀ったという。

当社の近くにある断夫山古墳は、宮簀媛命を葬った場所で、日本武尊に忠誠を尽くし、以後、夫を持たなかったため、断夫という。また、おなじく近くにある白鳥古墳は、日本武尊の御陵であるという。

大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母(由良御前)である。

戦国時代に織田信長は桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた。

江戸時代は当社周辺に東海道五十三次の43番目「宮宿」が設けられ、当地から桑名宿への七里の渡しが運行されていた。また『東海道名所図会』に「熱田大神宮」と記載されている。

1868年(慶応4年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改め、1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮は官幣大社に列格した。熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、この請願は却下されている。次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。

1945年(昭和20年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、同年8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われるおそれがあるとして、同年8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年(昭和30年)10月に再建された。新しい建物のため、指定文化財ではない。

鬱蒼とした森に囲まれた、広い中央の参道を進む。
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鳥居
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手水舎
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樹齢千年以上の大楠
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建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった(境外摂社の氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っているそうです)。

本宮拝所(外玉垣御門)
伊勢神宮と同じ唯一神明造の拝殿。
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それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、1889年(明治22年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、1890年(明治23年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、1893年(明治26年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失し、再建されたもの。

中重の鳥居と瑞垣御門
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瑞垣内の本殿
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祭神:
主祭神は熱田大神(あつたのおおかみ) 三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)を神体とする天照大神を指すとしている。

相殿神:
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。

相殿には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。

668年(天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗難(『日本書紀』)(草薙剣盗難事件)。
686年(朱鳥元年):草薙剣が熱田神宮へ返還(『日本書紀』)。
1839年(天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂。

神紋は「五七桐竹紋」
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次いで、正門に戻り境内社に参拝していく。

○式内社・日割御子神社(ご祭神:天忍穂耳尊)
尾張國愛智郡 日割御子神社 名神大
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○式内社・孫若御子神社(ご祭神:天火明命)
尾張國愛智郡 孫若御子神社 名神大 
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○式内社・上知我麻神社(ご祭神:乎止與命)
尾張國愛智郡 上知我麻神社
かっては下知我麻神社とともに南区の星宮社に祀られていた。
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○大国主社・事代主社
上知我麻神社末社:大国主社(ご祭神:大国主命)
上知我麻神社末社:事代主社(ご祭神:事代主命)
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○別宮八劔宮(ご祭神:熱田大神)
式内社:尾張國愛智郡 八劔神社
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○南新宮社(ご祭神:素盞嗚尊)
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○八子社(やこのやしろ、ご祭神:五男三女神)
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○曽志茂利社(そしもりしゃ、ご祭神:居茂利大神(素盞嗚尊))
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参道のあちらこちらで、子供たちが七夕飾りを作っていた。
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「清雪門」
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熱田神宮側の文献として、鎌倉時代初期頃の成立になる『尾張国熱田太神宮縁記』では、道行を新羅僧として説話を記載する(素性を新羅僧とするのは、一説に『日本書紀』の記述の拡大解釈)。

同縁記によると、道行は熱田社から神剣(草薙剣)を盗み出し本国に渡ろうとしたが、伊勢国において神剣は独りでに抜け出して熱田社に還った。道行は再び盗んで摂津国より出港したが、海難のため難波に漂着した。道行は神剣を投げ捨て逃げようとしたが、神剣がどうにも身から離れず、ついに自首して死罪に処せられたという。

熱田神宮の伝承では、道行は神剣を盗み出して、かつての神宮北門の清雪門(せいせつもん)を通ったという。古来、清雪門は不開門(あかずのもん)として閉ざされたままとなっているが、これは不吉の門とされたためとも、門を閉じて神剣を再び外に出さないためともいわれる。

○楠之御前社(ご祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊)
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七夕飾りを作り上げた子供たちが行進を始めた。
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「佐久間灯篭」
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○徹社(とおすのやしろ、ご祭神:天照大神和魂)
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○菅原社(ご祭神:菅原道真)
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大楠の近くに、七夕飾りを先頭にして子供たちが集合してきて、神官も到着。
お祭りが始まった。
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○東八百萬神社(ご祭神:東国坐八百万神)
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○西八百萬神社(ご祭神:西国坐八百万神)
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○内天神社(ご祭神:少彦名命)
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○六末社
下記末社が並んでいる。
・乙子社(おとごしゃ、ご祭神:弟彦連)
・姉子神社(あねごじんじゃ、ご祭神:宮簀媛命)
・今彦神社(いまひこじんじゃ、ご祭神:建稲種命)
・水向神社(みかじんじゃ、ご祭神:弟橘媛命)
・素盞嗚神社(すさのおじんじゃ、ご祭神:素盞嗚尊)
・日長神社(ひながじんじゃ、ご祭神:日長命)
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「信長塀」
永禄3年(1560年)5月19日:織田信長とその手勢が桶狭間の戦いに赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った。合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存し、「日本三大土塀」の一つとされる。
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「西楽所」
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神楽殿の前の広い庭。
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「ならずの梅」
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神楽殿
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神楽殿の横を通ると、大きな岩が立てかけてあって、吃驚した。
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何の木か、大切に保護されていた。
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○土用殿
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○龍神社(ご祭神:吉備武彦命、大伴武日命)
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○式内社・御田神社(みたじんじゃ、ご祭神:大年神)
尾張國愛智郡 御田神社
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○清水社(ご祭神:罔象女神(みずはのめ))
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「お清水」
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この石に水をかけて祈願する。
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ちょうど、続いてやってきた男性に頼んで撮らせてもらった。
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「こころの小道」
社殿の背後にあり、気持ちの良い道だった。
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玉垣に西の門が設けられていた。
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○一之御前神社(いちのみさきじんじゃ、ご祭神:天照大神荒魂)
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これで、ほぼ境内社参拝を終え、本殿玉垣の前に戻って来た。
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疲れはて、境内の真ん中辺にある「きよめ茶屋」でお茶漬けを食べて、休憩。
美味しかった。

それで、一応チェックすると、wikipediaからのリストでは境内社がまだまだあるようだが、境内案内図には載っていないので、それはあきらめた。

この茶屋のすぐ近くの「二十五丁橋」がまだだったので、それで終わりとすることにした。

「二十五丁橋」
西行法師が腰をかけて休んだという伝承がある「二十五丁橋」は、尾張名所図会や名古屋甚句に登場し、名古屋では最古の石橋とされる。
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これで熱田神宮の参拝は終了。三時間も居たのだから、充分に参拝。

歩いて、12:30に「JR熱田駅」に戻ると、岐阜と大垣の間で人身事故が起こったとのこと。
快速は取り止めになっているとのことで、とりあえず東京に向かって、来た電車に乗って先に進むことにした。
12:59にやってきた電車に乗った。

大府で、快速が動いていたら乗換えようと思ったが、駅員がそのままこの電車で行ったほうが良いというので、そのまま岡崎まで乗車。新快速豊橋行きに乗り継ぎ、豊橋では乗り継ぐ先の電車が待っててくれていて、走って乗車。次の浜松でやっと計画通りの時間の電車になり、遅れは解消。
ずいぶん遠くまで、影響はあるものだと判った。

静岡に着いたところで、一旦外に出て、コーヒーブレイク。
17:00に静岡出発、熱海、国府津で乗換て、新宿に着いたのが20:49。

熱田から新宿まで、7時間49分かかったわけだが、まったく退屈はしなかった。
鈍行の旅の面白さが今回わかった。

これで、今回の青春18キップの旅は終了しました。
あと二日分残っているので、9月10日の期限までに、これも有効に使いましょう。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

熱田神宮は4,5回は行っていると思います。加えて、高校の修学旅行の時にも行きましたし。でも、大抵は1時間、長くても1時間半ですね。そう言えば、このそばにある「白鳥庭園」、都会の中ですが、中々、良い場所です。後、名古屋城・本丸御殿、現在、建築途中ですが、公開している場所のみでも、その素晴らしさがわかります。次回、行かれた時はぜひにも。

列車の遅れ、浜松駅で取り返せて良かったですね!! 四季歩さんも、鈍行列車の楽しみに目覚められたようですね! 鈍行列車だと2時間おき位に乗り換えなければなりませんが、それって、結構、気分転換になりますね。なお、私の場合、車内では、窓からの風景見、mp3プレーヤー、本、生録音等を行っています。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
とにかく、行きたいところばっかりだったんですが、
主要な神社を幾つ回れるかに絞りました。
あの真夏日が続く日々だったので、三日以上は
無理だと思った点も影響しましたね。
車内では本だけでしたね。
薄くて読み応えのある本を持参し、読了しました。
とにかくリュック一つで三日間過ごすために、
必要最低限の装備とし、音楽関係は全く持っていきませんでした(笑)
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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