サミット「東アシアの国際交流~古代から未来へ~」/高麗郡建郡1300年記念事業

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開催場所:國學院大學学術メディアセンター常磐松ホール
開催日:2016年9月3日(土)
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高麗郡建郡1300年記念事業の一つということで、聴講しました。
渋谷駅から歩いて15分ほど。金王八幡の前からだいたいの方向に見当をつけ歩いていきました。すぐに随分と高い校舎ビルが見えたので、迷わなくて済みました(笑)

学術メディアセンター
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開演前の会場風景、開演の頃にはほぼ一杯になりました。
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最初に、「高麗1300」理事長である大野松茂氏より挨拶があり、始まりました。

この日の題目
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どの場面だったか、記憶が定かでないが、このサミットの日の前日に読売新聞に載った記事の紹介があり、「縄文人のDNAを受け継いでいる人の割合が12%に過ぎない」とのことのようである。
いかにその後の渡来人が多かったかということである。

【記念講演Ⅰ:「渡来人」と日韓関係の未来】
講師:國學院大學文学部助教・山崎雅稔氏
1.渡来人・渡来文化と古代史の叙述
2.日韓の歴史学・歴史教育の対話のなかで
3.新たな日韓共通教材と渡来人

内容:渡来人研究・渡来人論が新しい日韓関係の構築にどのように寄与してきたか、90年代後半から昨今にいたる日韓両国の歴史教育の動向を振り返りつつ、今後の展望・課題に触れた。

日本での学校教育では、「日本史」において、関係する部分のみを切り取って示されるだけなので、東アジアの歴史について体系的な教育はされていない。
韓国では、高等学校選択科目として「東アジア史」の実施が決まり、その教科書作成が進んでいる。

日韓両国で、1976年頃から歴史認識を同じにし、共通の歴史教科書を作ろうとする活動があるのを初めて知った。
こういうところから、日韓関係が改善されていけば良いと切に思った。

【記念講演Ⅱ:「渡来人」と「日本人」】
講師:関東学院大大学経済学部数授・田中史生氏
1.古代の「帰化人」と近代日本
2.「帰化人」から「渡来人」へ
3.「帰化人」か「渡来人」か

内容:渡来人研究が「日本」「日本人」とは何かという問いと深く結び付いて進展した研究分野であったこと、また最新の研究成果をふまえて、今後の私たちが渡来人をどう捉えていくべきかについて考える。

いま、「帰化人」という言い方がされず、「渡来人」と言う。
面白いのは、『日本書紀』では「帰化」を用い、『古事記』や『風土記』では、「渡来」を用いている。
「帰化」という言葉は、中国の「中華思想」において使用されていた言葉だそうで、『日本書紀』のように国家という視点で視ると「帰化」となり、『古事記』のように一般人視点で視ると「渡来」となる。
それで、その見方が、戦前の日本のように極端な民族主義により、「日鮮同祖」論から「日韓併合」が正当化されてしまった。
その反省から「帰化」が、使われなくなったようだ。
言葉の持つ意味の重要さについて、考えさせられた。

【事例発表】
○代表事例発表「古代飛鳥の国づくり~土木やから見た“日本創成”~」
奈良県明日香村村長・森川裕一氏
京大卒、奈良県庁を経て、5年前村長に立候補し、当選。
飛鳥時代、都造りより前に難波津から飛鳥京まで大路造りをしたように、大陸・朝鮮半島からの情報入手に積極的だった。
現在の、飛鳥に親しんでもらうための各種取り組みの紹介。

○事例発表1「歴史と文化を学ぶ会」群馬県高崎市
理事長・結城順子氏
多胡碑(日本三大古碑の一つ)は、和銅4年(711)に多胡郡を建てた建郡碑。
2011に建郡1300年を迎え、2009年に「多胡郡設立1300年記念実行委員会」を発足したのが、今の「歴史と文化を学ぶ会」の前身。
私が所属している歴史クラブで、「多胡碑」、「山上碑」、「金井沢碑」を訪ねたことがあり、懐かしかった。

○事例発表2「信州渡来人倶楽部」長野県松本市
日本人、在日韓国人(民団系)、在日朝鮮人(総連系)、ニューカマーの4者の集まり。
「針塚古墳」(高句麗系積み石古墳)、「桜ケ丘古墳」(大伽那系古墳)があり。
「渡来人まつり」が今年で11回目。
私は、2014年に歴史クラブ行事で、松代をメインにした旅行に参加したが、そのとき長野市大室にある「大室古墳群」で、渡来人の墓と云われる大規模な古墳群を見た。
「積み石古墳」、「合掌型組石古墳」などが印象に残っているが、「この場所で?」という衝撃から、それ以来渡来人を強く意識するようになった。

○事例発表3「近江渡来人倶楽部」滋賀県大津市
代表:河 柄俊氏
在日コリアンと日本人で結成。
大津は、天智天皇が都にしたこともあり、当時渡来人が脚光を浴びていた時代でもあり、渡来人との縁が強い。
天智4年(665)に、百済の遺民400人余を近江国神崎郡に、天智8年(669)には余自信、鬼室集斯ら百済人700人余を近江国蒲生郡に移住させている。
代表が在日コリアン2世といことで、正しい歴史認識により、人権尊重、国際理解を深める活動をしていると、熱く語っていたのが印象的だった。
私は、ついこの間(8月2日~4日)に、青春18キップで湖北の渡来人系神社などを訪ね、しかも義仲寺のある膳所まで行っている。膳所は大津の一駅隣である。
もうちょっと早く知っていれば、「渡来人歴史館」、「鬼室神社」などを計画に組み入れることが出来たのにと残念だった。次回はぜひ訪ねたい。

ここで、どうしても外せない用事が夕方あったので、
「事例発表4:「百済の会」大阪府枚方市」、「事例発表5:「一般社団法人高麗1300」埼玉県日高市」は割愛した。

昼食休憩時に、国学院大博物館を見学した。
学術メディアセンターの地下一階にあります。
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展示室(資料から転載)
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ここの特色は「神道展示室」があること。「考古展示室」はとても充実していた。
時間が無くて、飛んで回っただけ。
再訪したいと思った。


(了)


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

ほぼ1日、聴講されたのですね。時間割をみると、学会みたいな感じですね。午前中は偉い人達の一般講演があって、午後は、各人15分間の発表と言う感じですね。

大昔の朝鮮は良かったようですが、イザベラ・バードの本なんかを読むと、明治時代の朝鮮はひどい状態だったようですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
朝鮮は、儒教と朱子学に毒されて
しまいましたからね。
隣の同胞を助けるのではなく、
制服しようとした日本も褒められた
ものではありません。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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