江島(えのしま)神社(前半)

20160917

鎮座地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8
参拝日:2016年9月15日

青春18キップの最後の1日の旅で、相模国一之宮・寒川神社に参拝した後、JR相模線宮山駅から茅ヶ崎を経由して藤沢まで来て、そこから小田急で「片瀬江ノ島」駅まで乗車。
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参道が真っ直ぐ、江ノ島に続いている。
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途中から、弁天橋になります。
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島に着くと、青銅の鳥居が迎える。
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江の島道においては三の鳥居で、一の鳥居は遊行寺前に、二の鳥居は洲鼻通りにありましたが、現存するのはこの三の鳥居のみ。
延享4年(1747)に創建され、文政4年(1821)に再建されたもので、200年近くの永きにわたり江の島の参道に立ち、参詣者の姿を見守り続けている。

鳥居に掲げられている扁額「江島大明神」は、鎌倉時代の蒙古が襲来した文永の役(1274)の勝利のお礼として、後宇多天皇から奉納された勅額の写しという、歴史と由緒あるものとなっています。
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境内マップ
これを見ると、江ノ島全部が「江島神社」の境内であり、宗像三女神を祀る「奥津宮(おくつみや)」、「中津宮(なかつみや)」、「辺津宮(へつみや)」、竜宮の4つのお宮が存在する。
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青銅の鳥居から、参道の両側にお店が並ぶ。
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社号標
社格等:県社、別表神社
日本三大弁天の一つに数えられる。
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社伝によれば、欽明天皇13年(552年)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。

当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。

朱紅鳥居
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この鳥居の傍には、慶應元年(1865)奉納の狛犬があり。
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更に「瑞心門」に続く石段が続く。
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瑞心門:神門は龍宮城を模した竜宮造の楼門。
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瑞心門の手前に、今年の干支の大絵馬があり。
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瑞心門の両側の壁に描かれた獅子が迎える。
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瑞心門から振り返ると、参道、弁天橋、片瀬海岸が一望に。
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更に石段が続く。
石段の踊り場から振り返って、下にある瑞心門の屋根を見下ろす。
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更に登る(汗)
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手水舎
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この石段を上がれば、やっと辺津宮だ(嬉)
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石段を上がりきると、琵琶の形をした「江島神社絵図」があり。
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【辺津宮】
旧下之宮。田寸津比賣命を祀る。建永元年(1206年)源実朝が創建。権現造の社殿は延宝3年(1675年)に再建された。

茅の輪をくぐってから、お参り。
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拝殿
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社額
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向拝の彫刻は、音楽を奏でる飛天。
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拝殿内部
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辺津宮の賽銭箱は巾着形をしていて、お賽銭を投げ入れると綺麗な音が出るようになっている。
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祭神であるが、宗像三女神を祀っていて、島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。
江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。

【奉安殿】
八臂弁財天と妙音弁財天が安置される。
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右が八臂弁財天、左が妙音弁財天
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○八臂弁財天御尊像
神奈川県の重要文化財です。
鎌倉時代初期の物で、源頼朝が鎌倉幕府を開く時に調伏祈願の為に造らせたと「吾妻鏡」にて記されています。
江戸時代には勝運守護の神様として広く信仰されていました。
「八臂弁財天御尊像」は鎌倉時代には勝運守護の神様として戦勝祈願をする武家だけでなく庶民の人々にも広く信仰を集めていました。この「八臂弁財天御尊像」は安芸の宮島、近江の竹生島と並んで日本三大弁財天の一つに数えられるほか、七福神の紅一点としても信仰を集めています。江戸時代には芸能や音曲上達祈願のためにも信仰されていました。

○妙音弁財天
「裸弁財天」ともいわれ、琵琶を抱えた全裸体の座像です。女性の象徴をすべて備えられた大変珍しい御姿で、鎌倉時代中期以降の傑作とされています。音楽芸能の上達を願う多くの人々より信仰を集めています。

「霊石蛇紋岩」もあり。
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「銭洗白龍王」
相模彫りの創始者である鏡碩吉が製作したもの。
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若い人たちが、お賽銭箱に投げ入れ、「入った」、「外れた」と騒いでいた(笑)
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【境内社・八坂神社】
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須佐之男命を祀る。
伝承によると、江の島対岸の小動岬にあった社が大波で流され、江の島の海で漁をしていた漁師がその御神体を拾い上げて祀ったのだという。
江戸時代まで「天王社」と呼ばれていたが1873年(明治6年)に改称。
7月に行われる祭礼は、「江の島天王祭」とも呼ばれ、神輿が海に入り、対岸の小動岬にある小動神社へと神幸する。
巳年と戌年に行われる6年に一度の大祭では、祭神が開帳される。
現在の社殿は、江島神社御鎮座1450年を記念して、2002年(平成14年)に改築されたもの。

八坂神社の狛犬は、安永7年(1778)奉納のもの。
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【稲荷社、秋葉社】
江の島内にあった祠を合祀した社。
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その向かいに、「むすびの樹」なるものあり。
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その横に、弁天橋を綺麗に見渡せるポイントがあった。
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○宗国伝来の古碑
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【猿田彦大神碑】
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そこから少し行くと、見事な展望台あり。
しばし、眺めながら休憩した。
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また石段を上がって、中津宮に向かう。
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中津宮に到着
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江戸時代に江の島への参詣が盛んに行われていた証しとして、境内には江戸時代の商人や歌舞伎役者など、様々な人達から献納された燈篭が並んでいます。
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謡曲「江島」もあり。
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中津宮前の狛犬は、宝暦13年(1763)奉納のもの。
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【中津宮】
中津宮:旧上之宮。市寸島比賣命を祀る。仁寿3年(853年)創建。権現造の社殿は元禄2年(1689年)に改築された。
文徳天皇仁壽三年(853年)に慈覚大師が創建した中津宮は、市寸島比賣命をお祀りしており、元の上之宮とされるお社です。
中津宮の権現造りの社殿は、本殿・幣殿・拝殿共に徳川五代将軍綱吉によって、元禄2年(1689)に再建されたものを、平成8年(1996)に大改修を行って、再建当時の朱色鮮やかな姿が再現されました。

拝殿
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拝殿内部
幣殿の前左右には随身が侍る。
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拝殿内の天女の彫刻
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拝殿の格天井には、四季折々の花鳥画154枚が描かれている。
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本殿
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神紋は、北条家の家紋「三枚の鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「向い波の三つ鱗」。
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※『太平記』によれば、建久三年(1190年)鎌倉幕府を司った北条時政が、子孫繁栄を願うため江の島の御窟(現在の岩屋)に参籠したところ、満願の夜に弁財天が現れました。時政の願いを叶えることを約束した弁財天は、大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられている。

社殿の横に「水琴窟」があった。
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今回の記事は、ここまで。
続きは、「江島(えのしま)神社(後半)」にてアップします。


「江島(えのしま)神社(後半)」を見る


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

江ノ島ですか。もう10年以上、行っていないと思います。

藤沢駅からでしたら、江ノ島電鉄、あるいは、モノレールを利用しても良かったかも。特に、モノレールは吊り下げ式なので、カーブ等でフワッと浮くような感じが面白いです。

江ノ島神社、江戸時代はお寺だったのですか!! ううん、驚きました。確かに、瑞心門なんか、お寺にあっても不思議ではない形ですね。

なお、狛犬ではやはる、中津宮の江戸時代のがいいですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
江戸時代、幕府はお寺で管理しようと
していましたから。
それが一転して、明治になると神仏混合は
駄目! となっちゃったんですよね。

狛犬は、既にアップした分だけでも三組が
江戸時代のもので、嬉しかったですね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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