野木町煉瓦窯(ホフマン窯):国指定重要文化財

20161104

所在地:栃木県下都賀郡野木町大字野木3324-1
訪問日:2016年9月23日

この日は、下総国式内社めぐりで5社参拝したあとなので、予定時間に遅れてしまったのだが、ご厚意でガイドをしていただいた。

最初に野木町煉瓦窯(ホフマン窯)の説明をしておく。

ホフマン窯はドイツ人のフリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を取得した赤煉瓦焼成用の窯で、日本各地に築造されましたが、現在は栃木県の野木町、埼玉県の深谷市、滋賀県の近江八幡市、京都府の舞鶴市の4基のみ残っています。

※野木町煉瓦窯の歴史:
明治21年(1888)赤煉瓦製造の為に「下野煉化製造会社」が設立された。出資者は三井物産の三井武之助を中心とし、旧古河藩主の土井利与や豪商丸山定之助らも参加し、初代理事長は丸山定之助であった。
明治22年には野木村大手箱で赤煉瓦の製造が開始される、隣接する「旧谷中村」(現在の渡良瀬遊水地)では、原料となる良質な粘土が産出し、思川・渡良瀬川の水運により、製品輸送も容易であったため、煉瓦製造 に適した立地であった。当初、赤煉瓦焼成窯は登り窯一基だけであったが、明治23年に「ホフマン式輪窯」と呼ばれる当時最新鋭の煉瓦窯(東窯)が完成し、続いて、明治25年には同じ「ホフマン式」の西窯が完成して、赤煉瓦製造が本格的に開始された。このうちのホフマン式の東窯が現存している。西窯は関東大震災で倒壊した。明治26年株式会社に移行して、社名を「下野煉化株式会社」に改めた。赤煉瓦の生産量は明治27年には475万個、明治28年には563万個、明治29年には619万5千個と増大し、以後、大正期、昭和期に渡り、工場や鉄道建設の為に赤煉瓦を供給した。昭和46年社名を「株式会社シモレン」に改め、昭和47年に需要の衰退により、赤煉瓦製造販売が中止された。
 昭和54年(1979)2月3日現存していたホフマン式の東窯が国の重要文化財に指定された。

※設備の概要
ホフマン式輪窯(東窯)は、16個の窯をリング状に並べた連続焼成窯である。焼成中の窯から熱風を前工程の窯に送って、素地煉瓦の乾燥に利用すると同時に、後工程の窯では、煉瓦を冷却する為に取り入れた外気が暖まるので、これを焼成中の窯に送る空気として利用する。
時間がたっと、火を入れる窯を時計回りにシフトさせ、半永久的に運転することが可能である。熱の利用効率が高く、大量生産に適した設計になっている。輪窯の容量は1基当たり、28万8千立方メートルであり、通常は1窯当たり1万4千個、全16窯で約22万個が焼成することが可能である。1年間で輪窯1基当たり、約450万個の焼成能力があると考えられている。

焼成温度は約1,000℃、燃料は粉炭が用いられた。粉炭は常磐炭鉱のものが使われた。煙突の高さは約34,67m、輪窯の周囲は約100mである。窯はイギリス積の煉瓦造りで、屋根は鉄板葺である。窯内部は高さ2,8m、幅3,3m、平面がドーナツ形のトンネル状をなし、天井はボールト形である。外壁には16カ所にアーチ形の出入り口を設け、内壁下方には16ケ所に中央の煙突に通じる煙道を設け、窯内は16室に分かれ、室間に隔壁はない。窯の天井の上部には幅5,6mの床面がドーナツ形に巡り、その外周には高さ1,1mの胸壁がある。
  この床面の内縁と外縁には燃料の運搬用のトロッコのレールが一周する形で敷設され、これらに挟まれた床面には一面に投炭孔が配置される。窯は1979年に国の重要文化財に指定された。

昭和26年には全国で50基のホフマン式輪窯が存在していたとされるが、現在は4基のみである。老朽化が課題であったが、2006年に野木町が施設管理者となり、2011年~2016年まで修復工事が行われ、2016年5月10日「野木ホフマン館」としてリニューアルオープンした。

下野煉化製造の煉瓦を用いた主な建築物:
*東京駅
*日本鉄道会社:鉄道の橋脚・トンネル等
*西堀酒造(小山市)
*結城酒造(結城市)
*日光金谷ホテル(日光市):登録有形文化財
*足尾銅山(日光市)
*新井家ふるさと記念館(野木町)

ホフマン窯での煉瓦焼成図
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1、2、3室から空気を取り込み、3~7室の焼成後の製品を冷却し、8、9室で焼成。
煙は10、11室の材料を予熱した後で12室から煙突に導入され外部に出る。

全景
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まずは、窯の内部に案内される。
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出入り口は、ヴォールト・アーチ構造
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窯内部
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天井には、粉炭を投入する穴が開いている。
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基本的な窯の構造を見てから、窯を移動。
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仕切り壁
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点火窯・焚口
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外に出る。
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上に上がる階段のところで、二種類の煉瓦の積み方が見える。
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階段に設けられたアーチ。
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下のほうは「フランス積」
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上のほうは「イギリス積」
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窯の上部に上がる。
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窯に粉炭を投入する部分。
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粉炭の運搬と投入口
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窯に粉炭を投入する部分から一段下がり、煙突の周りを見る。
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巨大な煙突は迫力あり。
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点検、補修用の穴
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煙道などのしくみの写真説明
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煙突の補強構造
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見学を終え、階段を下りる場所からの眺め。
隣に、すごく立派な乗馬クラブがあった。
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煙突の旧補強材基礎
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見学を終え、改めてホフマン窯を見る。
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駐車場からのショット。
迫力あります。
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時間が遅くなったのに、親切に対応してくれた、ガイドさんなどにお礼を述べ、感謝しながら帰途につきました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

なるほど、立派なものが残っているのですね! それにしても、レンガ工場がレンガでできているのにはニコニコしてしまいました。

この時代の日本は西洋の技術をドンドン、入れていたのですね。そして、それを消化して、レンガ製造は勿論、建物にも取り入れた訳で。関東大震災でレンガ造りの建物の地震に対する弱さがわかって、レンガ積みは外装だけにしたようですし。

今の中国も似たようなものなのでしょうが、時代は大きく変わっているので、盗用になってしまっていますが。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
ほんとうに、この頃の煉瓦工場の遺跡は
至る所にありますね。
ものすごい時代だったと思います。
留学して学んだことが、全てすぐに
実行できたのですから、うらやましい
話ですよね。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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