牛島神社

20161108

鎮座地:東京都墨田区向島1−4−5
参拝日:2016年11月3日(10月2日、2012年4月24日)

3日に浅草寺で「白鷺の舞」を観たあと、参拝しました。
吾妻橋から隅田公園を抜けていくと、隅田公園の一番奥にあります。

今回使用している写真は、当日幹事で思うように写真を撮れなかったため、10/2の下見の時、2012年に参拝したときの写真も使っています。

鳥居
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縁起によると、貞観(859-879)のころ慈覚大師が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会い、「師わがために一宇の社を建立せよ、若し国土に騒乱あらば、首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わし、天下安全の守護たらん」との託宣により建立したと伝え、「牛御前社」と呼ぶようになったとも伝えます。また「江戸名所図会」では、牛島の出崎に位置するところから、牛島の御崎と称えたのを、御前と転称したものであろうと説明しています。本所総鎮守の社として知られています。
また、由緒によると、治承4年(1180)伊豆に旗上げした頼朝が、敗れて房州に逃れ、再挙して隅田川を渡る際には、千葉介常胤が当社に祈願してことなきを得たといいます。以後千葉氏の崇敬が厚く、宝物として月輪の紋をつけた千葉家の旗が伝わり、箱書に「此指物自先祖 持来候 然而牛御前宮者 先祖千葉家被再興候 慶長18(1613)年9月15日 国分宗兵衛正勝敬白 牛御前別当最勝寺」とあります。

安政の絵図に「牛ノ御前」と載っている。
場所は、今よりも言問橋寄りの位置であった。
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鳥居をくぐると、大きな狛犬が迎える。
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手水舎
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拝殿前には、珍しい「三輪鳥居」がある。
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三輪鳥居をくぐると、拝殿前にはなんと4組もの狛犬、狛牛がある。

拝殿から遠いほうから挙げていく。

文化8年(1811)奉納の狛犬
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獅子山
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狛牛
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享保14年(1729)奉納の狛犬
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拝殿
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向拝部分の彫刻が素晴らしい。
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社額
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拝殿内部
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ご祭神:須佐之男命、天之穂日命、貞辰(さだとき)親王命
貞観二年(860)に、慈覚大師が神託により須佐之男神を郷土守護として勧進。後に天之穂日命を合祀し、さらに清和天皇第七皇子の貞辰親王が当地で没したのを、大師の弟子である良本阿闍が神霊をまつり「王子権現」と称したという。


神紋は、「丸に剣方喰(けんかたばみ)」と「九重菊」
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神楽殿
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〇撫牛
撫牛の風習は、江戸時代から知られていました。自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおるというものです。この牛の像は、文政8年(1815)ごろ奉納されたといわれ、それ以前は牛型の自然石だったようです。 明治初期の作家、淡島寒月の句に「なで牛の石は涼しき青葉かな」と詠まれ、堀辰雄は「幼年時代」で「どこかメランコリックな日ざしをした牛が大へん好きだった」と記すように、いつも人々に愛されてきました。
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この神社の祭りの風習などが書かれた説明板
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烏亭焉馬「いそかすは」の狂歌碑
「いそかすは(がずば) 濡れまし物と 夕立の あとよりはるる 堪忍の虹」
談洲楼烏亭焉馬
この狂歌碑は裏面にあるとおり、初世烏亭焉馬自身が文化7年(1810)に建てた碑です。江戸落語中興の祖と称された烏亭焉馬は本名中村利貞、字は英祝、通称は和泉屋和助です。寛保3年(1743)生まれ、本所相生町5丁目(現緑1丁目)の大工の棟梁で狂歌や戯文をよくする文化人としても有名でした。談洲楼の号は五世市川団十郎と義兄弟の契りを結んだことから団十郎をもじったもの、また竪川に住むことから立川焉馬、職業が大工であることから「鑿釿言墨曲尺」とも号しました。
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境内に富士塚の名残のようなものがあり、そこにも自然石の形を利用した牛が置かれていた。
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これで、当社の参拝を終え、次いで三囲神社に向かいました。



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

牛島神社ですか。ここの祭りの町内神輿渡御を撮影したことはありますが、多分、神社自体には一度も行ったことがないと思います。

さて、写真の中では「享保14年(1729)奉納の狛犬」が気に入りました。今度、浅草寺か向島百花園に行った時に、寄ってみたいと思います。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
matsumoさんは、神輿渡御を実に熱心に
撮っておられますよね。
今度、お社の方にも参拝してみたら
いいと思います。
ここの狛犬はいいですよ。
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四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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