野見宿禰命(のみのすくねのみこと)・襲髄命(かねすねのみこと) /日本の神々の話

20161113

出雲大社に参拝したときに、末社野見宿禰神社に参拝。
また出雲大社の彰古館には、入り口ロビーに野見宿禰命像が置かれていた。
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野見宿禰は天穂日命十四世の孫、土師の祖、菅原道真の遠祖である。
また、第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)の別称。

出雲大社公式HPに載っている野見宿禰の説明:
野見宿禰は第13代出雲國造(出雲大社宮司)である襲髄命(かねすねのみこと)に別称です。垂仁天皇の御代7年、当時大和国に当麻蹶速(たいまのけはや)という天下一の力人がおりましたが、垂仁天皇はこの当麻蹶速に匹敵する者が他にいないだろうかと御下問になられました。その際、一人の家臣が進み出て、出雲国には野見宿禰という力人がいることを申し出ると、すぐに役人が出雲国へと遣わされ、野見宿禰は朝廷へと趣きました。そして当麻蹶速と野見宿禰による御前相撲が執り行われ、野見宿禰は見事に打ち勝ち、以降、大和国へ留まって朝廷へ仕えました。このことが『日本書記』に伝えられていることから、野見宿禰は古くより相撲の祖と称えられ、今日では相撲を始めスポーツを志す人々に篤く信仰されています。
また、野見宿禰が朝廷へ仕えた際、墓陵での殉葬を取り止め、代わって埴輪(はにわ)を納める葬儀を考案。その功が称えられて焼物に適した土地を与えられ、土部(土師)職(=はじのつかさ)に任じられるなど、文武両道の神として崇められています。

垂仁天皇の命により当麻蹴速と角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた。

また、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった。第13代の出雲国造、襲髄命はこの野見宿禰のことである。

播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬された。

野見宿禰は祖先として土師氏に崇められた。
土師氏の中には、姓を菅原に改めた氏があり、その菅原氏から公家の五条家が出たが、五条家は野見宿禰の子孫であることから相撲司家となった。

光仁天皇の天応元年(781)、後裔の土師宿禰古人は、 住む土地の名によって土師を改め菅原姓を賜わった。 古人の子が清公、清公の子が是善、是善の子が菅原道真。


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コメント

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四季歩さん、こんにちは

野見宿禰ですか。相撲の神様と言うことで、両国駅から東に徒歩15分位の所に「野見宿彌神社」と言うのがあり、そこで祭られていたと思います。私は錦糸町駅近くの「すみだトリフォニーホール」でのコンサート後は両国駅まで歩くのですが、この神社はその途中にあります。しかしながら、ここ、あまり人気が無いようで、境内は広くはないですし、お参りしている人は、見かけたことがないです。相撲関係者しか行かない神社かもしれません。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
両国にあるのは知りませんでした。
こんど、江戸東京博物館にでも行ったときに
お参りしましょう。

いまにぎわっている神社というのは、縁結びの神を
売り物にしているところくらいです(笑)
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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