「義仲・巴」フォーラム in 石川

20161129

母親の三回忌の法要のため、25日から27日まで富山県に帰省しましたが、タイミングよく27日(日)の午後に石川県津幡町で行われたので、これに参加してから帰ってきました。

津幡は、倶利伽羅峠の石川県側の麓です。
義仲軍の進路で言えば、富山県の小矢部から倶利伽羅峠に上り、石川県側に下ったところが津幡です。

「義仲・巴」広域連携推進会議というのがあり、スローガンは「義仲・巴」を大河ドラマにしてもらおう、というのであるが、石川県・富山県・長野県・埼玉県が参加している、規模の大きな団体です。

私の住んでいる狭山市にも、木曽義仲の長男「清水冠者源義高」ゆかりの史跡があります。

フログラム
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〇講演「木曽義仲と巴御前~源平合戦の真実」
講師:河合敦氏

講師の方は、歴史作家・歴史研究家であり、NHKの「謎解き!江戸のススメ」、日本テレビの「世界一受けたい授業」、テレビ朝日の「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」などに出演されている方。
P・Pでとてもわかりやすい講話でした。
そのなかから、記憶に残ったポイントを挙げておきます。
・義仲は情に流されやすいやさしさがあり、冷血な頼朝と対照的。
・平家討伐の令旨を出した以仁王の第一王子北陸宮(ほくろくみや)を奉じて上京した。
・その北陸宮を天皇に奉じようとして、後白河法皇と対立してしまったが、一介の武士が皇位継承について奏上したのは、歴史上初めてのこと!
・木曽義仲は一年半くらいで、京都に入ってしまい、無位無官であった。
・木曽軍が京都で乱暴狼藉を働いたという評判になってしまっているが、平家が福原に都を移したため、京都は無政府状態。木曽軍が都に入ってマシになったのが真実。
・江戸時代の評価はよかった。頼朝は悪人で、その被害者的見方だった。
・明治になると、皇国史観から悪者にされた。
・では戦後に復活したかというと、源義経をヒーロー視する傾向と、教科書には「頼朝が鎌倉幕府を開く」前については一切記述がなくなってしまった。
・現在は、国語の教科書で「平家物語」のところで「木曽最期」がほとんどの教科書に載っている。
 これは、今井兼平との「兄弟愛」、「友情」がテーマとなっているから。

〇倶利伽羅峠の歌
出演:津幡町立刈安小学校児童
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子供たちが懸命に歌っているのが、とても微笑ましかった。

〇語り「木曽最期」 原典:平家物語より
語り:若村麻由美   (薩摩琵琶)岩佐鶴丈   (能菅・尺八)設楽瞬山

若村麻由美さんは、野村萬斎さんと組んで「劇世界・平家物語」を上演したり、語りをする際にも紅の唐衣・白の大袴に烏帽子を着け薙刀を手にして、語りをするようですが、この日も着物袴姿でした。

語りは平家物語の原文そのままでなく、現代文でわかりやすい語りだったので、とても素晴らしいものでした。

『平家物語』で他の場面では比較的義仲を良く書いていないことが多いのだが、「木曽最期」については、とても美しい名調子で描いています。
そのため、国語の教科書で平家物語というと、現在はほとんどが「木曽最期」を載せているそうです。

なので、「木曽最期」で検索すれば、たくさん現代語訳が載っているので、すぐに理解はしていただけるので、ここではフォーラムのプログラムの裏面に記載されていた解説文をそのまま転載しておきましょう。

「木曽最期」
「平家物語」は、平安末期の貴族の社会から武士の社会に移る大動乱期に生きた、源氏と平家を中心とした数多くの人々を描いた歴史物語です。その時代を生きた人物を克明に表現することによって、大きな歴史の流れを見事に描き出した壮大な叙事詩として、およそ七百五十年にわたって日本人の心を揺り動かしてきました。

これからお聞き頂きます「木曽最期(きそさいご)」は、『平家物語』の中でも屈指の名文といわれる物語です。
おごる平家にたいして打倒平家の動きは急を告げ、相模の国では源頼朝、木曽では源義仲といった源氏の武将が次々と挙兵します。

寿永二年(1813)、木曽義仲は平家の追討軍十万余騎を倶梨伽羅(くりから)落しの奇襲で壊滅させ、更に篠原の合戦では平家軍を敗走させます。篠原合戦のわずかニケ月の後には、日の出の勢いで都に進軍する義仲の軍勢をおそれ、平家一門は都を落ちていきます。
平家一門を追い落として都入りし、朝日将軍と呼ばれた木曽義仲も、都での粗暴な振る舞いの果てに後白河法皇と対立します。法皇は源頼朝に義仲追討の命令を下し、義仲は頼朝の遣わした源義経・範頼軍に破れ、粟津の原で討ち死するのでした。

「木曽最期」の物語は、男勝りで義仲の恋人でもある女武者巴の紹介から始まります。
都六条川原の合戦で義経軍に破れ、巴をふくむわずか七騎となった義仲が、勢田を守備していた乳兄弟の今井兼平と一目会って死のうと、勢田に向います。同じ思いの兼平も都を目指し、二人は大津で再会、最後の戦を挑みます。敵の大軍のなかを縦横無尽に戦い、駆け抜け主従五騎になります。討ち死に覚悟の義仲はこれまで共に戦い抜いてきた巴を戦線から立ち去らせます。巴は共に死ぬことが許されない口惜しさに、最後の奮戦をして去って行きます。

残るは義仲と兼平二騎。「日頃はなんとも思わない鎧兜が重くなった」と弱気を見せ、一緒に討ち死にするという義仲を兼平は命がけでいさめ、自ら奮戦して敵を防ぐ間に自害するよう勧めます。やむなく自害するため粟津の松原に向かう義仲の馬は深田にはまり、身動きが取れなくなります。義仲がおもわず兼平の方を振り向いた瞬間、敵に射殺されます。これを見た兼平は「日本一の豪傑の自害の見本」と太刀をくわえ、馬から飛び落ちて義仲の跡を追います。

この当時、同じ乳で育った乳兄弟、乳母子(めのとご)は、血を分けた兄弟よりも、深い契りでした。駆け抜けるように激しく戦い、次々と平家を打ち破り天下を取り、そして瞬く間に滅び去っていった義仲を中心に、乳兄弟の今井兼平、同じく兼平の妹であり木曽の恋人でもある巴の、三人三様の激しい生と死の姿が強烈に浮かびあがります。


最近、色々な縁からずいぶんと木曽義仲に深入りしています。
今回は、河合敦氏の独自の解釈も色々聞くことができて、義仲像がまた深く広まりました。
若村麻由美さんの語りも素晴らしくて、次はぜひ野村萬斎さんとの「劇世界・平家物語」を観たいと思いました。


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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

肉親が亡くなった後、7年間位はお寺に行く回数が多くなりますよね。私の父が亡くなってからもう7年以上、経ちますが、特に、1年目は何回も行った記憶があります。家のお寺は浅草と近いですので行くのは割と楽ですが、四季歩さんの場合は富山県ですから大変ですね。

木曽義仲と巴御前の話、平家物語と源平盛衰記にしか書かれていないようですが、巴御前を主人公にした小説があったら、結構、面白そうな気がします。

matsumoさん

コメントありがとうございます。

実は、巴御前の墓というのが、有名なのでは
三ケ所あるのですが、一番最初にあがるのが、
matsumoさんもご存知の福光町にあるものです。
私の実家から車で15分ほどです。
今回、改めて写真を撮ってきたので、近々
アップします。
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Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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