江戸城歴史ウォーキング

20161201

アップが遅れましたが、阪急交通社が催行しているガイド付きのウォーキングに歴史クラブから30人で参加しました。
コース
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東京駅に集合です。
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添乗員とガイドに迎えられ、挨拶が済むとさっそくの案内です(笑)
東京駅と皇居外苑にはさまれた丸の内は、大名屋敷が多<あったそうです。大名が江戸入りの宿舎にするため邸宅を建てたので、「大名小路」ともいわれていました。備前岡山藩の池田家(丸の内)、阿波徳島の蜂須賀家(東京駅)、肥後熊本の細川家(丸の内)など有力大名の上屋敷が並んでいたそうです。

皇居外苑に入る前、ガイドから石垣の積み方について説明を受けました。写真の石垣積みは「切り込み接ぎ」といわれるもので、ほぼ方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法です。石材同士が密着しているため、排水が出来なく排水溝が設けられているそうです。

堀に面している面は「野面積み」、道路側が「切り込み接ぎ」
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外苑の松の多さには驚きです。1本1本丁寧に手を入れるので、予算が相当かかるそうです。
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扇状に広がった松
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【二重橋】
二重橋というと、メガネ橋とばかり思っていたのですが、それは正確には「正門石橋」といい、その奥にあるもう1つの鉄橋「正門鉄橋」を指すのだそうです。しかし、今は石橋と鉄橋2つを総称して「二重橋」と呼ばれるようにもなったそうです。

江戸城のころの二重橋
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手前は「正門石橋」
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奥の鉄橋「正門鉄橋」が二重橋。
一般参観の人がゾロゾロ歩いている。
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これが、鉄橋「正門鉄橋」
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【坂下門】
坂下門は江戸城西丸造営直後に造られたと伝えられています。西丸大奥に近<西丸の通用門として利用されていました。
今は宮内庁の出入り口として使われています。
坂下門が有名なのは、文久2年(1862)江戸城坂下門外で、尊擾派の水戸浪士6人が老中安藤信正を襲撃して負傷させた事件があったからです。桜田門外の変で井伊大老が暗殺された後、信正は開国路線を継承し、公武合体を推進しました。これに反対する水戸浪士が憤激して襲撃した事件です。
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また、この坂下門前広場では、天下祭りである「神田祭り」巡行祭と、赤坂日枝神社巡行祭がここで奉納を行います。
赤坂日枝神社巡行祭では、ここで神事があり、「剣の舞」が奉納されます。

「剣の舞」を見る


宮内庁の建物
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【桔梗門】
 内桜田門ともいわれています。桔梗門の名称の謂れは、昔この門の瓦に太田道淫の桔梗の家紋が付いていたからといわれています。家来たちは下馬先である門前の広場で各大名の帰りを待っていたそうです。そして政治の話、大名たらの動向など、いろいろと噂話に時を過ごしたので、責任のないところで種々の批評や噂話を「下馬評」といいます。
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【桜田二重櫓(巽櫓)】
江戸城に残る唯一の隅櫓。本丸から見て南東(巽)の方角にあるので、巽櫓という。
出窓上の突き出しが「石落とし」で、弓や鉄砲を撃つ狭間を持っている。
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【大手門】
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大手門は濠側の高麗門と渡櫓から出来ています。江戸城の正門です。
ここの警備は厳重を極め、10万石以上の譜代大名がこの門の長になって、番侍は常に肩衣を着て、鉄砲20挺、弓10張、持笛2挺等を持って警戒に当たっていたそうです。

明治初頭の大手門
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高麗門を入ると、「桝形」である。
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渡櫓
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桝形の隅に置かれていた、「旧大手門渡櫓の鯱」
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渡櫓をくぐった先に、十月桜が咲いていた。
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【大手三の門】
ここを駕籠のまま通れるのは徳川御三家、日光門主だけでした。
他の大名は、この辺で駕籠から降りて歩いていきます。
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三の門跡
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【同心番所】
 番所とは警備の詰所のことで、城の奥の番所ほど、上位の役人が詰めていました。
同心番所は大手円から最初に通る番所で、与力、同心が詰めて警護にあたったところです。大手三ノ門の内側にあり、同心番所は主として登城する大名の供の監視にあたっていました。
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元は三ノ門の外側にあったようです。
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同心番所には、「葵の紋」が残っている。この紋が残っているところを探すのも楽しい。
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ここを抜けると、「中の門跡」
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【百人番所】
百人番所は本丸に入る最大の検問所で、甲賀組、根来組、伊賀組、二十五騎組の4組が昼夜交替で守りを固めていました。
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【中之門跡】
中之門の石垣は、丁寧に加工された大形の石材が隙間なく積む「切込みはぎ」と呼ばれる技法で積まれています。また、石垣に使われているのは、瀬戸内海沿岸から運ばれた白い花崗岩で、西国大名から献上されたと考えられます。こうした石垣は、大名の登城路や天守台主要な部分だけにみられるものです。
 中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣です。明暦4年(1658)に普請され、元禄16年(1703)地震で倒壊した石垣を修復し、その後約300年の間に、石材の移動による目地の開き・孕み、荷重や風化による破損・剥離等が発生していたため、平成17年(2005)から平成19年(2007)まで20ヶ月かけて解体・修復工事が行われました。三次元レーザ測量から築石一石ごとの立体モデルを作成し、コンピュータ画面上で、石垣創建当時の線形を推定するなどの修復工事の概要が、中之門跡に詳しく表示されています。

石垣に使われている二種類の石
右が伊豆石、左が花崗岩
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中之門石垣
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往時の中之門
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石垣の積み方
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見事に水平に目地をそろえている。こんな石垣は他では見られない。これを大名に見せつけていた。
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踏み石も巨大である。
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【大番所】
中之門の内側にあり、中之門からがいわゆる本丸なので、大番所の役割は極めて大きかった。
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【中雀門跡】
 中之門に入ると長い緩やかな坂道が続きます。登ってい<と石垣が見えます。中雀門跡です。本丸御殿に通じる最後の門で、御三家も日光門主もこの門で乗り物を降りて、徒歩で本丸御殿に向かうことになります。

この門は文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時、類焼し石垣の表面が熱でボロボロになったといわれています。門の通り道の石垣はボロボロでしたが、外側は全く異状がありません。どうしてかなと思いました。
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ガイドさんの説明によると、下の写真のように櫓門が燃えたところの石垣が焼けたということでした。
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旗を持ったガイドさんが立っているところが本丸御殿の玄関があったところ。
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本丸御殿からちょっと離れて富士見櫓を見に行く。

【富士見櫓】
残念ながら工事中で全容を見ることが出来ませんでした。
案内板によれば、3つの櫓が残っていますが、その中で富士見櫓は唯一の三重櫓です。
明暦の大火(1657)で焼失した天守閣の代用として使われたとありました。
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この辺は、木蔭が多くてホッとする。
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【松之大廊下跡】
富士見櫓から近い道路わきにポツンとある小さな石碑に「松の大廊下跡」と刻まれています。
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【バラ園】
徳川家康が築いた天守閣は、この辺だったそうです。
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【石室】
 用途は不明だが、大奥の上納戸脇にあたるので、非常の際の奥向きの調度、文書を収納したところではないかという説が有力。
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ここから天守台に向かう道には、珍しい竹があった。

蘇芳竹(すほうちく)
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亀甲竹
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金明孟宗竹(きんめいもうそうちく)
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【天守合】
江戸城の天守閣は将軍の変わるごとに築かれましたが、家光が建てた天守閣が明暦の大火で焼け落ちてからは、加賀藩の前田家が天守台を築いた後、その上に天守閣が建てられることはなかったそうです。
明暦の大火は3日間にわたって外堀の内側を焼き尽くし、死者は10万人を超えたとと言われています。将軍家綱を補佐していた保科正之が天守閣の復旧については「国の財を費やすときにあらず」と反対し、江戸の町の復旧を優先した。
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家光の天守閣を図面から復元したCGを、ガイドさんが見せてくれた。
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加賀前田藩の威信をかけて築いた、天守台の石垣。
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【北桔橋門(きたはねばしもん)】
この門は本丸に一番近い橋なので、重要な地点として橋が、跳ね上がる仕掛けになっていたそうです。
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ここは「野面積み」ですね。
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小さい穴の狭間が設けられている。
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北桔橋門の外観
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そこから北の丸公園に行きます。

現在科学技術館がある場所は、春日局の屋敷があったそうです。
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平成26年12月2日に「東京」の気象観測地点を千代田区大手町から北の丸公園へ移転しましたが、ここです。
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以上で、ツアーは終了。
北の丸公園で、ツアーに含まれていた「なだ万」のお弁当を食べました。
そのすぐ近くで、私たちを恐れることなく、すずめたちが砂浴びをしていた(笑)
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その後「国立公文書館」を見学。
このときの企画展は「時代を超えて輝く女性たち」でした。
ホールには、戦前の「大日本帝国憲法の公布原本」、「日本国憲法の公布原本」、「終戦の詔書原文」が展示されていました。

(了)



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コメント

No title

四季歩さん、こんにちは

おお、歴史クラブや他のクラブ等が企画したものではなく、旅行会社の企画のものに、多数の歴史クラブの人達が参加したのですね。

私は行かれた辺りはよく通りますが、色々と知らないことが四季歩さんの文章に書かれていたので、楽しく読ませていただきました。

なるほど、大手門や田安門等、方々の門は、現在は外とつながっていますが、江戸時代は橋がかかっていたのですね。まあ、考えてみると当たり前ですが、つい、当時とあまり変わっていないと思ってしまいますので。

また、石垣はてっきり、四角錐みたいな感じの石を積み上げているのだと思っていましたが、そうではなくて、直方体に近い感じの石だったのですね。

matsumoさん

コメントありがとうございます。
私らも、ずいぶん調べているつもりですが、
プロのガイドの方の説明を聞くと、
色々と面白い話が聞けたり、貴重な昔の
写真を見せてくれたりするので、
楽しいです。
城の石垣は、色々な積み方があって、面白いですね。
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プロフィール

四季歩

Author:四季歩
とにかく歴史好きです。そして旅も好き。
写真が趣味なので、いきおい記事は写真が中心になります。

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